第53話 種をまく時

 正月に慌ただしく実家に挨拶回りをした功と真紀は三が日が明けるとニラの収穫と出荷を再開した。

 年末年始の高値の時期に少しでも多くのニラを出荷するために、功と真紀、そして萌音はいつもにもまして出荷調製作業に力が入るのだが、功は出荷と並行して次作のニラの苗つくりの準備もしなければならなかった。

 功と真紀が借りた家には水稲の育苗用の小さな差し込みハウスがある。

 差し込みハウスとは二十五ミリメートル径の金属パイプを地面に直接埋め込んでいるタイプのビニールハウスの通称だ。

 かつての住人だった林家が水稲、つまりお米を作っていた際には小さな差し込みハウスの中で稲の苗を育てて田植えの時期を早くするために使っていたのだ。

 しかし、現在では臼木農林業公社が加温施設でセル育苗した苗を販売する形態に移行したため、水稲育苗用の小さな差し込みハウスは用済みとなった。

 功はその差し込みハウスに目を付けて、次の作に使うニラの苗を育てるために使うことにしたのだ。

 既に、差し込みハウスのポリフィルムは新しく張り替え、ハウス内の温度が上がり過ぎないように温度センサー付きの換気装置も取り付けてあった。

 そして、功は差し込みハウス内の土を耕すことに余念がなかった。

 堆肥を投入しトラクターを使って何回も耕起した土はふっくらとした感触に変わる。

 功は更に肥料を散布してから、管理機を使ってうねを立て始めた。

 二アール程度の面積なので、仕上がるまでにさほどの時間はかからない。

 畝立て作業を終えた功が機械を片付けていると、功たちが住む家の庭先に見覚えのあるワンボックスタイプの軽四輪自動車が乗り入れるのが見えた。

 車を降りたのは山本事務局長と野口で、その後に秀志と春樹が続く。

「すまないな。忙しいところなのに研修の対応などさせて」

 山本事務局長の言葉を聞いて、功は温和な笑顔を浮かべた。

「僕も野口さんに教えてもらったから、今度は自分が研修生のために準備をしたいのですよ」

 功が答えると、秀志は申し訳なさそうな表情になるが、春樹は怖いもの知らずな雰囲気で功に質問する。

「きれいにうねを立てていますね。ここにニラの種をまくのですか」

 功が答える前に、指導農家である野口が口を開いた。

「違う。この上にセルトレイを置くの。うね立ては綺麗にできているけれど上をもう少し平らにしたいな。秀志と春樹はトンボを使ってうねの上面を平らにしてくれ」

 野口は研修生たちに指示してから功に尋ねる。

「今年の品種はタフガイだけで行くのか?」

「いいえ、今回播種するのはタフガイとスーパーグリーンバンドにする予定です」

 功は来年のニラ育ての戦略を考えながら野口に告げるが、功に意図を野口はすんなり理解したようだ。

「いいねらい目だな。リースハウス事業が採択されて新しい施設を建設したらさらに育苗して頑張るわけだな」

 功は寡黙にうなずいた。

 タフガイは成長が早い品種なので株養成から収穫初期に使い、その間にじっくりと育てたスーパーグリーンバンドを年末年始期に使うつもりで、出荷調整の労働力も加味した計画だ。

 その上でリースハウス事業を活用して施設の拡張をすることは、真紀の家族が移住するためには必須の条件と言えたが、春樹がライバル候補として台頭しているため先浮きは不透明になりつつある。

 本当は敵に塩を送るような真似をすべきではないかもしれないが、功としては山本事務局長や野口の顔を立てたかった。

 功は購入してあったセルトレイと育苗用の土、そして二種類のニラの種を運び、居合わせた面々がセルトレイに土を詰め始める。

 セルトレイとは、本来は水稲育苗用のトレイと同じサイズのプレートに乗るサイズで野菜の種類に応じたサイズの子部屋に仕切られたトレイで、功が使っているのは八掛ける十二の百二十八穴のトレイだ。

「セル用の土を買ったんだな」

 野口が育苗用培土の袋を見ながら呟いたので、功は微妙に緊張しながら説明した。

「このハウスの土には雑草の種が残っているから、後の管理を考えて育苗用の土をっ買ったのです」

 功は野口から批判めいたコメントがあるのではないかと思ったが、野口の言葉は功の予想とは逆の方向のものだった。

「春樹くん聞いた?後々の事を考えたらこういうところで出費を惜しまないことが正解なんだよ」

「はい、勉強になります」

 春樹が何時になく素直な返事をしているのが聞こえて功は面映ゆく感じる。

 セルトレイに土を入れるのもそれなりに手間のかかる作業なので、人手が多いと仕事ははかどる。

 セルトレイに播種種する作業は一つのセルに、二粒の種を植えていく細かい作業で、功としてはは秀志と春樹が堅守に来てくれたことがありがたいくらいだ。

 播種が終わったセルトレイはセルの表面ギリギリまでうねに埋め、セルの表面以外は黒いポリフィルムで覆った。

「ほう、なかなかきれいに仕上がったな」

 野口が褒め言葉を漏らし、山本事務局長は研修生二人に説明する。

「セルトレイ育苗と言っても、苗はトレイから下の地面に根を下ろして生育する。ここの園主さんみたいに丁寧に耕してうねを作ることが苗作りの基本だ」

 功は山本事務局長に間接的に褒められて嬉しかったが、秀志と春樹が礼を言って差し込みハウスから出て、野口がそれに続いたあとも山本事務局長は居残っていた。

「功ちゃん、実は謝らなければならないことがある」

 山本事務局長の硬い口調を聞いて、功は表情を固くした。

「何のことですか」

 功が尋ねると、山本事務局長は言いにくそうに話し始める。

「年末のボヤ事件のとき、俺は証拠にしようと現場にあった煙草の吸い殻を拾っただろ。あれは大失敗だったんだ」

 功は事の次第が理解できず無言で山本事務局長の顔を見つめる。

「俺は知り合いの警察署員に、DNA鑑定で犯人を突き止められないか相談したんだが、俺が拾った段階で証拠としては使えなくなったと言うんだ。要は警察官が現場で確認したものでないと証拠能力はないと言うことだな」

 言われてみれば当然の話だが、犯人探しに一生懸命だった功と山本事務局長は思わず証拠の品を自分たちで拾い上げてしまったのだ。

「まあ、功ちゃんがボヤ騒ぎの風評被害を受けたと言ってもたかが知れている。補助事業採択の件は役場に相談を続けるから功ちゃんはいつも通りニラ栽培に励んでくれ」

 山本事務局長の言葉は何の保証にもならないが、功は彼の言葉をありがたく受け入れることにした。

 功が一人残った差し込みハウスの中にはセルトレイが整然と埋め込まれてこれから新たな苗を育てる準備が整っているが、これからの生活を考えると功にとって施設の規模を拡大することが不可欠だった。

 春樹を相手に補助金の予算の枠を奪い合う構図になってしまったものの、功は春樹を敵として見ることができない。

 しかし、春樹の親族が功を蹴落とそうと画策しているのが現実であり、功は山本事務局長や野口を頼りにするしかなかった。










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オタクが野菜に目覚めた場合ー2012年の冬、オタク青年は地方に移住を決意したー 楠木 斉雄 @toshiokusunoki2018

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