第51話 犬印の腹帯

 通常の帰省ラッシュとは逆の方向に向かう功たちはさしてトラブルも無く都内にたどり着いた。

 功は夜明け頃に東名高速から見た富士山の姿が強く印象に印象に残っているし、首都圏に住んでいた頃には自分の車などなかったため首都高速を自動車で走るのも初めての経験で新鮮な感覚だ。

 秀志が自宅に帰るために一度首都高速を降りて、新宿駅の南口辺りで彼を降ろしたのだが、再び首都高に乗るまでは日頃運転している四国の道路と違い交通量が多いので功は少々緊張を強いられた。

 それでも、午前中にさいたま市にある功の自宅に到着し、功と真紀、そして萌音は功の実家で一息ついたのだった。

「よく来てくれたわね。自分の家だと思って寛いでくださいね。萌音さんも功たちの結婚式以来だけど、うちは女の子がいなかったから華やいでいいわ」

 功の母は茶の間でお茶を出しながら嬉しそうに話し、萌音は無邪気に答える。

「ありがとうございます。功さんが埼玉県出身とは聞いていたけれど、首都圏に家があって羨ましいです」

 功の母は微笑を浮かべるとゆっくりとつぶやいた。

「そうね。便利かもしれないけれど、先々を考えたら私達も空気が良い田舎に引っ越そうかと考えているの。差し当たっては川崎家がまほろば県に移住して功たちを手伝ってくださるようだから私達はもう少し様子を見ながら考えるわ」

 功にしてみれば、川崎家と宮口家の双方の人々の生活がが自分の肩に掛かるような気がして重圧を感じないわけではないが、それはもう考えないことにしていた。

「母さん、萌音ちゃんが年越しの後で初詣に行きたいと言っているのだけど調神社あたりがいいかな?」

 功は母が同意してくれると持って話を持ち掛けたのだが、母は意外な方向に話を振る。

「あら、真紀ちゃんはもうすぐ赤ちゃんが出来るのだから、水天宮にでも行ったらどうかしら。そうそう、水天宮で思い出したけど私から渡したいものがあるの」

 功の母はそそくさと席を外し、父は穏やか表情で真紀に近況を聞いている。

 功は母が薦めてくれた水天宮は都心近くにあるため、出かけていくに遠いと感じているが成田天満宮に行くよりはましだと自らを慰めた。

 やがて、戻って来た母が差し出したのは、衣料品のような包みだった。

「真紀ちゃん、これは腹帯なの。妊娠五か月目の戌の日から着けると良いのよ」

 真紀が包装を開けると、そこにはイメージキャラクターらしき可愛らしい犬のイラストをあしらったパッケージがあり、中身は医療用品を思わす布製品が入っている。

「妊婦帯とか聞いたことはあったけれど、私すっかり忘れていました」

 真紀が嬉しそうに犬印の腹帯のパッケージを眺めているのを見て、功の母も目を細める。

「腹帯はお腹を支えるのと同時に、冷えを防いでくれるの。これからは体を大事にして無理はしないようにしてね。力を使うことは全部功にやらせたらいいから」

「はい」

 母は微妙に自分を粗末にする話ぶりだが、母と真紀の雰囲気がいいので功は何も言わないことにした。

 その日の午後は、功の母が真紀や萌音と一緒に買い物に出かけ、功はそのお供といった風情で後をついて歩く。

 母が家に女の子がいなかったから真紀たちが来たことで華やいで良いと言ったのは本音であったらしく、真紀と萌音に洋服を買い与えたり、自分が購入する様子は本当にうれしそうだ。

 夕食は功の両親が準備したごちそうが並び、いい加減満腹になったところで年越し蕎麦まで出されたので、功はやっとの思いで食べ終えた。

 テレビを見ながら年越しのカウントダウンを終えた功たちはおもむろに初詣に出かける支度を始めた。

「私達は家にいるから時間は気にしないで行ってきなさい」

 功の母がまったりとした雰囲気で功と真紀そして萌音を送り出した。

 功は交代で仮眠したとはいえ昨夜一晩かけて移動したため、睡眠不足を感じながらのお出かけだ。

 功の家からさいたま新都心までは徒歩圏内なので防寒着で着ぶくれした三人はゆっくりと歩いて駅に向かう。

「功ちゃん、私は腹帯のことなんて知らなかったのにお義母さんちゃんと準備してくれていたから、自分も赤ちゃんもすごく大事にしてくれている気がして嬉しかった」

 真紀が珍しく素直に話すのを聞いて、功も気分が弾むのを感じる。

 初詣から戻ったら功と真紀が功の使っていた部屋で就寝し、萌音は客間で止まる予定だった。

 功は夕食の前に荷物を置くために真紀を部屋に連れて行った時を思い出していた。

 功の部屋は、子供のころから受かっていたいわゆる勉強部屋だ。

 巷では、いい年をして結婚もしないで実家から離れず、子供部屋に住み着いている人を揶揄する「子供部屋おじさん」という言葉があるのだが、功は四国に移住しなければ自分がいずれそうなっていたいう自覚があった。

 自分が使っていた頃のままで模様替えしていない部屋は、白黒写真のように色あせたイメージがあるのだが、そな中に居る真紀はフルカラーの鮮やかなイメージで功の目に写った。

「僕もうれしかったよ」

 功は少々違ったことについてコメントしたのだが、真紀はそんなことに気が付くはずも無く、自分の言葉に同調したのだと思って功に笑顔を向ける。

 初詣に出かけようと発案した萌音は、少し眠くなったらしく口数が減ったが、大晦日は終夜運転している電車に乗ると、功と一緒に真紀が人混みから圧力を受けないように守ってくれる。

 さいたま市から水天宮まで行くには上野駅まで直通運転しているJR線と地下鉄を乗り継いで小一時間を要した。

 水天宮で初詣のお参りをした功は、新たな年には自分たちの子供が生まれることを改めて自覚するとともに、萌音を先駆けとして四国に移住を計画している真紀の家族のためにも、ニラの栽培を滞りなく行って稼いでいかなくてはならないと感じるのだった。


 












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