第46話 草刈のアルバイト

 野口と釣りに出かけた夕方、功と真紀はは釣り上げたばかりの魚の料理に奮闘した。

 野口の勧めで交友した打ち刃物の出刃包丁を振るって、メジナとアジ、そしてウスバハギを三枚におろし、さらに柳葉包丁を使って刺身にしあげるつもりなのだ。

 功は魚の鱗を取って三枚におろすところまでを担当したのだが、釣った魚の数が多いと鱗を取るだけで結構な作業だった。

 沢山のうろこに覆われたメジナに続いて、アジの鱗を落とし、ぜいごと呼ばれる鯵の側線器官を削ぎ落したところで、功はウスバハギを手にして途方に暮れた。

「ウスバハギは鱗がないのかな?」

 他の魚と違ってのっぺりとした雰囲気のウスバハギは鱗があるようには見えなかったのだ。

 真紀は面白そうに笑いながら功に教える。

「皮が厚いから、切れ目を入れて手で剥くんだって。佳奈ちゃんが教えてくれたのよ」

 功は手で剥くという言葉が比喩的表現なのだろうかと考えながら言われたとおりにウスバハギの背中の辺りに切れ目を入れてみたが、皮の縁の部分を手でつまむと文字通りの意味で皮を剥ぐことができることに気づく。

「その下に薄皮があって、剥いた皮のざらざらした部分でこすって落とすと言う人もいるんだけど、私は包丁で取った方が良いと思うな」

 功は真紀の言うとおりに、薄皮を剥くのは後回しにして鱗を取った坂を三枚におろすことにした。

 魚を三枚におろすとは頭を落としてはらわたを取り除き、背骨とその両側の身の部分に切り分けるのだが、功の場合は最後に腹骨を削ぎ取ろうとして、身の部分が相当減ってしまう。

「まだまだ修行が必要だな」

「数をこなせば上手になるわよ。私も皮を引くのは苦手だったのよ」

 功が嘆息すると、真紀は柳葉包丁を使ってメジナ皮を取り除きながら微笑する。

 その夜は功と真紀、そして萌音はメジナとアジの刺身を堪能した。

 真紀がアルコールを控えているので功も酒は飲まないつもりだったが、真紀本人が功に勧めるので功と萌音は真紀秘蔵の純米吟醸酒を戴くことにした。

 食べきれなかったアジは翌日も刺身にし、ウスバハギは鍋物と肝合えにする予定だ。

「刺身で食べる時も、本当は二、三日熟成させた方が旨味成分が増えると言うけど、釣ったばかりの刺身も美味しいわよね」

「そうだね、釣ったその日に食べると歯ごたえが良いから、それはそれで美味しいとおもうよ」

 真紀は食欲旺盛でよく食べ、功も自分で釣った肴で飲む酒はひと際おいしく感じられる。

「私は野口君のイメージあんまりよくなかったんだけど、実はいい人なのね」

 萌音がつぶやくのを聞いて、功は微妙に可笑しく感じる。

 功にとって野口は尊敬する大先輩なのだが、萌音は初対面で酔いつぶれた彼を見たため印象が良くなかったに違いない。

 真紀が野口を君付けで呼ぶため、萌音までが遥か年上の彼を野口君と呼んでしまっているが、萌音の中の野口のイメージが改善されたのは功にとってもうれしい事だった。


 功たちは釣行の疲れも出て早く休んだが、翌日は早朝からニラの収穫・出荷作業に取りかかった。

 功が先に起床してまだ暗い中ライトを頼りにニラを収穫し、朝食を挟んで真紀と萌音、そして手が空いていれば功とアルバイトがてら手伝いに来る秀志が出荷調製作業をするのだ。

 収穫したニラが収まったコンテナを作業場に置いて母屋に入ると、真紀たちが朝食の準備を整えたところで、秀志の姿も見える。

 秀志が一緒に出荷調製作業をする時は、真紀は賄として秀志にも朝食を食べさせることが多かった。

「おはよう。昨日は釣りに行っていたんだね。研修が無ければ僕も一緒に行きたかったところだよ」

 引きこもり系の秀志が参加したがるのは余程一緒に行きたかったに違いないと気付き、功は少し申し訳ない気分になるが、秀志も研修計画に沿って動いているので、簡単に休むわけにもいかない。

「次の機会があったら一緒に行こう」

 功が秀志に告げている時に、真紀はいつもの朝食とは違う料理をテーブルに置いた。

「昨日の刺身を醤油に付け込んでおいたの。まずは海鮮丼として一口どうぞ」

 どんぶりに盛られたご飯の上に、醤油に漬けた刺身と刻んだネギとノリ、そしてゴマが散らしてあり、一働きして空腹な功は早速食べ始めた。

「刺身とは違う雰囲気で食べられるね」

 功が感想を漏らして食べ続けようとすると、真紀が杓子を片手に功を制した。

「ちょっと待って。一口食べたら次はこの出汁をかけて食べてくださいな」

 真紀が準備していたのは魚のあらを使った潮汁で、海鮮丼に熱い出汁をかけて味変させる目論見だった。

 真紀が潮汁をかけると、刺身の表面は白く煮えて湯気が上がる。

 早朝から働いて体が冷えていた功にとっては熱い出汁をかけた海鮮丼はひと際おいしく感じられた。

「美味しい!体が温まるね」

 功の言葉を聞いて真紀は穏やかな笑顔を浮かべた。


 功たちに秀志を加えた四人は、朝食を終えると作業場に向かった。

「今日はニラのコンテナが少なくない?」

 作業場の脇に積み上げられたコンテナを一見して真紀が指摘するので、功は自分の意図を彼女に説明した。

「農林業公社の山本事務局長に草刈の業務を下請けしてくれと頼まれているんだ。午前中にそれを済ませようと思って自分が出荷調製作業から抜ける分ニラの量を減らしている。秀志が研修に行く時間に合わせて僕も出掛けるつもりだ」

「山本事務局長も半端仕事をうちに押し付けるのはやめて欲しいわね。功ちゃんもボランティアとか人のいいことは言わないでちゃんと委託料を貰ってくるのよ」

 真紀が苦言を呈するのを、功は苦笑しながら聞き流す。

 功は朝食後の小一時間、ニラの出荷調整作業を行った後で、八時半の研修開始時間に合わせて臼木農林業公社に出かける秀志と共に家を後にした。

 臼木農林業公社の事務所に顔を出すと、山本事務局長と理香が笑顔で出迎える。

「功ちゃん申し訳ないな。農林業公社が作業受託した田んぼの他に、利用権を設定して自分の経営として稲作をしている田んぼがあるのだが、そこの畦畔については草刈りをしなければならないんだ。何分忙しくて手が回らないから引き受けてくれて助かるよ」

 山本事務局長は壁に貼ってある業務予定表を眺めながら功に説明する。

 予定表には大豆やホールクロープサイレージの収穫予定等がびっしりと並んでいるのが目に入る。

「大丈夫ですよ。今回の仕事は自分の草刈り機を使えば良いのですね」

「ああ、アルバイトとして賃料を払うより業務委託として投げた方が功ちゃんに支払う金額を増やせるからそうして貰いたい」

 それは、理事会で経費節減をうるさく言われている山本事務局長にしてみれば相当な気遣いに違いない。

「それでは行ってきます」

「ああ、業務完了は一応後で確認するけれど、作業前後の写真をスマホで撮影しておいてくれると助かる」

 功は臼木農林業公社事務所内にいる里香、そして研修に出てきた春樹に会釈すると臼木農林業公社を後にした。

 草刈は結構しんどい作業だが集落の農作業を支える人間は減る一方なので、稼働できる自分たちが助け合うしかないのだった。

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