第45話 ライバルの確執

 数日後、功たちは野口に案内されて磯釣りにチャレンジすることになった。

 磯釣りへの渡し船が発着する港はウエブの衛星地図を見ると功たちの家からほんの数キロメートル先にあるのだが、実際にそこに辿り着くには相当な時間が掛かった。

 功たちの家から谷を挟んだ向かい側にある山は、家から見た限りでは小高い丘にすぎないが、臼木集落自体が標高百メートルを越える高原上の地形のため、その丘は実質二百メートルほどの標高がある。

 功たちの集落からその尾根を越えるとそこは太平洋に面しており、太平洋の荒波が山を削り、崖と言っても差し支えのない急斜面が波打ち際まで続いているのだ。

 功たちが目指した港はその海岸伝いならばわずかな距離の場所にある小さな岬に開かれた漁港なのだが、功たちの集落から海岸伝いに到達できる道路は無く、内陸側から大きく回り道をして岬の漁港に行かなければならなかった。

 港では磯に渡してくれる釣り船がスタンバイしており、漁港に着いた功たちが荷物を積み込むと早速出港した。

「貸し切りですね」

「ウイークデイに休みが取れるのは農家のいいところだからね。お互い日頃から栽培管理を徹底しているからこそ少し無理をすれば休みをねじこむことが出来る」

 功と野口が会話する真紀と萌音は夜明け前の海と、明るくなり始めた空を眺めている。

 出港後、遊漁船が功たちを陸揚げしようとしている岩礁を見ていさおは微妙に心配になった。

 港から沖合数キロメートルの位置に浮かぶ岩礁は、海面からごつごつした岩が突き出している状態で、遊漁船は緩衝材として廃タイヤを縛り付けた舳先を岩に押し付けて客を陸揚げするつもりらしい。

 功は妊娠中の真紀が海に転落した場合を考えて心配になったのだ。

 それでも、船頭さんは波にもまれる船を巧みに操船して、舳先を岩礁に押し付けた状態を保っている。

「荷物は俺たちが何とかするから真紀ちゃんと萌音ちゃんは先に渡るんだ」

 野口の指示を聞いて、真紀と萌音は身軽に船から岩に飛び移り、功の心配は幸いにも杞憂に終わった。

 むしろ、竿やクーラーボックスなどの荷物を抱えて岩に乗り移った功の方が転落しそうだったくらいだ。

 岩礁に渡ると功は自分と真紀の仕掛けを作り始めた。

 野口に誘われることもあるので、自分たちの釣り道具を買って準備していたのだ。

 事前に野口に聞いて仕掛けを準備していたので功は竿にリールをセットしてラインを通すとおもむろに仕掛けを取り付け始める。

「今日の仕掛けは浮きを使うのね?」

 真紀が尋ねるので、功は野口が教えてくれたことの受け売りで真紀に解説を始めた。

「メジナは海の表面近くにいるから遊動タイプのウキを使った浮きフカセ釣りで釣るんだよ。浮きは固定していなくて、メインのラインに着けたウキ止めの下側をシモリ玉というパーツを使って自由に動くようにしているんだって」

 功は最初、浮下のラインはの長さが固定されたフナ釣りのような仕掛けを作ろうとしていたのだが、野口に何度も連絡してようやく誘導浮きのシステムを理解したのだ。

 わだつみ町に来て日が浅い萌音の道具は野口が準備しており、野口がかいがいしく萌音の世話をしている。

 やがて、仕掛けの準備が出来たところで野口が功たちと萌音に告げる。

「さあ、釣ろうか。グレは「さらし」を釣ると言って、波が崩れて白くなった水面をターゲットにして釣るんだ。グレはさらしの下で餌を待ち構えている。今日はエサ取りが多いかもしれないから、頻繁にえさを取られると思ったら、浮き下を伸ばして躱すんだよ」

 功と真紀は野口の指示に従い波が引いて白く泡立った水面に餌を付けた仕掛けを投げる。

 エサは、ボイルしたオキアミで、餌を投入した辺りには時々撒き餌をすることも必要だ。

 釣り始めてあまり時間が経過しないうちに、功は自分の浮きが微妙な動きを見せたことに気が付いた。

 即座に竿をあげて合わせると、ずっしりと重い手ごたえを感じる。

「功ちゃんもう釣ったの?」

 真紀が尋ねるのを聞いて、功は弓なりに曲がった竿を見ながら満面の笑みを浮かべる。

「お先に。どうやらこの釣り場では僕が幸運に恵まれたようだね」

 功は重い手ごたえに気を良くしながらリールを巻くが、獲物がメジナにしてはやけにすんなりと上がって来ると違和感もある。

 功が岩場の足元まで引き寄せ、野口がタモ網ですくった魚は銀色に輝く平べったい魚で、体長は三十センチメートルを超えている。

「これはメジナではない?もしかしてウマズラハギ?」

 以前釣ったウマズラハギに似た小さな口と平べったい魚形はいわゆる外道が連れたことを示していたが、野口は温厚な笑顔を浮かべた。

「これはウスバハギと言って功ちゃんの言う通りウマズラハギの仲間だ。メジナではないが白身で美味しい魚だよ。ハリスを切られることが多いのによく合わせたね」

 その横で真紀の竿がしなる、真紀も浮きの動きに反応してああわせたのだ。

 真紀がリールを巻いて獲物を寄せるとそれは功が釣ったのと同じウスバハギで体長は四十センチメートルを越えている。

 功がウスバハギをクーラーボックスに入れていると野口が尋ねた。

「ウキ下はどれくらいにしている?」

「二ひろですけど」

 ウキ下の長さも野口の教え通りにしてあるのだが、野口は思案した様子で功に告げる。

「エサ取りが出ているから三ひろに変えてみよう」

 功は師匠の言葉に従って自分と真紀の仕掛けを調製する。

 その間に、萌音の声が響いた。

「なにこれ、すごくひっぱられる」

「竿を立てて、竿の弾力を上手く使って少しづつリールを巻くんだ」

 野口が指示して、物は一生懸命にリールを巻いている。

 やがて、萌音が足元まで寄せ、野口がたも網で救い上げた獲物は美しい青色に輝いていた。

「おめでとう。尾長グレ(クロメジナ)四十センチメートル級だ」

 萌音は釣り上げたクロメジナを手にして嬉しそうに微笑む。

 その後、功たちもメジナを釣り野口は数枚のメジナを上げたが、岩礁の周辺にアジの群れが来たため釣れるのは四十センチメートルほどのアジばかりとなった。

「まあ、おかずにはなるからいいかな」

 野口は釣り上げたアジをクーラーに放り込むと次のえさを付け始めたが、功の近くに来ると真紀たちには聞こえない声で功に話す。

「春樹がリースハウス事業で功ちゃんの対抗馬になった話は聞いたよ。青山の親父さんは俺の親父と農業大学校の同級生で、ライバルとしていろいろと確執があったと聞いている。息子の俺が指導しているからと言ってとばっちりが功ちゃんに及んだのだとしたら申し訳ないから俺が全力でフォローするよ」

 功は釣り竿を持ったままで野口を振り返った。

「ライバルですか?」

 野口は刺し餌を付け終わったところで手を止めて功に答える。

「くだらない話だが、小さな集落で一緒に育って農業を志したのに競争しないと気が済まなかったらしい。青山の親父さんはナス、家の親父がニラを選んだのもそのためかもしれないし、山本事務局長が集落営農法人の設立を呼び掛けた時に反対したのも青山の親父さんだ。でもな、ニラ部会の中では俺だって発言力があるから、好き放題にはさせないよ」

 野口は穏やかな表情だが、決然とした口調で話す。

 功は自分の経営のためには栽培施設の規模拡大は不可欠なのだが、同じ集落内で諍いに発展するのは気まずいものだ。

 うどんを作って振舞ってくれた時の春樹の顔を思い出しながら功はうまく解決することは出来ないものかと思い悩むのだった。







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