第44話 先輩のアドバイス

 午前中の作業を終えた功たちは別棟の作業場から母屋に移動してで昼食を取ることになった。

 お昼時を見計らったように港の近くから行商に来る富岡さんがスーパーカブを乗り付けたので功たちは昼食の総菜を物色するべく富岡さんを取り囲んだ。

 富岡さんは年配の女性で港の近くに住んでいるのだが、若いころから魚の干物を中心に行商していたのだという。

 最近は荷台に取り付けられたクーラーボックスに干物だけでなく鮮魚やちょっとした総菜なども詰め込んでお得意先に販売に回っているとのことで、功たちは昼食のバリエーションが増えるので重宝している。

「真紀ねえ、今日はアジの干物にもチャレンジしてみる?」

 萌音はつわりがひどかった真紀の食べられる物調達係をしていたため、その流れを引き継いでいる。

「そうね、今日は魚も食べられそうな気がする。本当を言うと一時期はニラの臭いが拷問みたいに感じられたけど最近は気にならなくなってきたし」

 二人の会話を聞いたと富岡さんはすかさずアジの干物をとりだしており、ポテトサラダやひじきの煮物など、功たちがよく購入する品物もとりだしていく。

「この干物は形が変だけどすごく美味しいから気に入っているの」

 わだつみ町で流通している干物は、魚の頭の部分は丸ごと残っているタイプなので功も最初は見慣れない形状だと思っていたが、真紀が販売している富岡さんの前で形が変などと言ってしまうので功としては彼女が気を悪くしていないかと慌てて表情を窺う。

 しかし、富岡さんは面白そうな表情で真紀に説明する。

「この辺の干物は腹開きにして頭は開いていないから違って見えるのね。他所では縁起を担いで背開きで頭も真っ二つにするところが多いのだけど、わだつみでは昔から手作業でこの形に仕上げているのよ」

 功としては、鮮度が良くて美味しければ拘泥する話ではない。

 わだつみの漁港はカツオの産地として知られているが、沿岸で取れるかまあげちりめんじゃこや、干物が地元で流通している。 

 功は自分の好物のイカの一夜干しとウツボの干物を見つけて、萌音に食べさせようと追加購入するのだった。

 三人は手分けして手早く昼食を準備して食事に取りかかった。

 富岡さんが販売している干物は数日前に水あげされた魚を干物として仕上がった直後に売りにきているので、保存を目的とした魚の干物というイメージではない。

 肉厚な大きなアジを使った干物は脂がのった弾力のある味わいで、程よく水分を飛ばして旨味を凝縮させる料理法と思えるほどだ。

 功は昼食を食べながら購入したウツボの干物を萌音に見せるが、萌音は丸ごと干物にされたウツボを見ると身を引いた。

「ウミヘビみたいじゃないですか。そんなもの食べて大丈夫なの?」

「これが美味しいんだよ。干物にしてあるけど唐揚げにする食べ方もいいみたいだし」

 真紀も功と萌音の様子を見ながら穏やかな微笑を浮かべて昼食を口にしている。

 功も真紀も山本事務局長が知らせに来たリースハウス事業の話は気になっているのだが、萌音の前で深刻な話はしたくなかった。

 しかし、山本事務局長が教えてくれた、野口が功に教えることが有ると言っていたという件については、放っておくわけにいかない。

「今日は昼寝はしないで野口さんに会いに行くつもりだよ」

 功が告げると真紀はゆっくりとうなずく。

「野口さんがわざわざ教えたいと言ったら大事なことかもしれないわね」

 二人の会話を聞いていた萌音は不思議そうに真紀に尋ねる

「野口さんって、私がわだつみ駅に到着した日に、酔っぱらって道端で行き倒れていた人でしょう?あの人がお兄ちゃんに教えたりできるの?」

 萌音から見た野口の第一印象は著しく悪かったようだ。

 功は彼の名誉のためにもフォローしなければならなかった。

「野口さんはこの集落の中心的な農家の一人だし、僕たちに栽培技術を教えてくれる指導農家なんだよ」

 萌音は意外そうにつぶやく。

「見かけによらないのね。功兄ちゃんは売上一千万円を目指すと言っていたけど、あの人はもっと多いの?」

 人の価値は収入とは関わりないというものの、所得額はわかりやすい尺度ではある。

 功は野口がこっそり収入額を教えてくれたのを思い出しながら、萌音には露骨に金額は示さずにほのめかすことにした。

「経営規模から単純計算しても僕の3倍以上、栽培技術が上なのを考えると売上金額もっと多いね」

 萌音は一瞬動きを止めた。

「真紀ねえに聞いたけど、功兄ちゃんの売り上げの3,4割は所得になるんでしょ。あの人ものすごい高額所得者のセレブじゃん。それなのにどうして酔っぱらって行き倒れていたのかしら」

「きっと、野口さんなりに気苦労の種を抱えているんだろうね」

 功は思い当たることがあるものの、あたり障りのない答えをするしかなかった。

 功は昼食を終えると、自分のハイゼットカーゴを運転して野口の家に向かった。

 野口の家も功の借家と同様居住用の母屋と機械倉庫と出荷作業場として使っている別棟の納屋があり、家の前には六十アールを超える面積のビニールハウスが立ち並び、水稲やニラの育苗用の小さなビニールハウスも隣接されている。

 功が野口の家の庭にハイゼットカーゴを乗り入れると、母屋から野口が顔を出した。

「功ちゃん来てくれたか。この間通りかかった時に気になることが有ったから教えておきたかったんだ」

「どんなことなのですか」

 野口は気さくで、日頃から自分の栽培テクニックを惜し気も無く教えてくれる。

 それだけに、彼が気になるということは、功にとっても気がかりだ。

「わしのハウスで実物を見せながら教えようか、ちょっと来てくれ」

 野口は功に手招きすると自分のビニールハウスの入り口を潜り抜け、功もその後に続いた。

 功がビニールハウス内に広がる整然としたニラの圃場を眺めていると、野口は天井を指さした。

「昨日通りかかった時に、功ちゃんのビニールハウスを見たが、あれは冬用に自動開閉の設定を変えた後なのだろ?」

「ええ、サイドカーテンは閉じたままにして、内部の気温が設定温度を越えたら天窓が少しだけ開くようにしたのですけど」

 それは、他ならぬ野口の指示で設定したのだが、どこか間違えたのだろうかと功は落ち着かない気分になった。

「天窓の開け方が大きすぎるんだよ。今は冷え込みが厳しくないからいいけど、日中気温が五度以下に下がる時期にあんな開け方をしたら、冷たい空気が流れ込んで葉先をやられて全滅する。全体が葉焼けして出荷等級が下がったらつらいよ。冬場は開けてもこれくらいがいい」

 野口が示した天窓は2センチメートルも開いておらず、功は野口の話を聞いてゾッとする想いだった。

「わかりました気を付けます」

「天窓を開ける時は二重張りのカーテンを閉めるとか、開閉部を狭くするとかして、外の冷たい空気が直接ニラに当たるのを防ぐんだ」

 功は現地研修などで直接指導するとき以外も気を配ってくれる野口に対してありがたいと思うほかない。

 野口は功と真紀を同じ集落で生活する仲間として極めて大事に思ってくれているのだ。

 功は感謝の気持を言葉に出来ずに抱えたまま佇んでいたが、野口はのほほんとした口調で功に言う。

「最近気温が下がってニラの伸びも遅くなっただろ、日曜日まで働かなくても済むから、釣りにでも行かないか?」

 功も仕事の手が空いてきたので真紀や萌音と遊びに行くことも考えていたため乗り気になった。

「いいですね。何処に釣りに行くのですか」

 野口は水を得た魚のように功に話す。

「渡し船で沖磯に渡って、グレを釣ろう。標準語訳するとメジナのことだ。真紀ちゃんや萌音ちゃんも行くなら竿や仕掛けは準備してやるよ」

 功はお世話になりっぱなしだが、野口も楽しめる企画ならばそれもいいのかもしれない。

 夏の終わり頃から気苦労が多かった功も野口の提案は歓迎だった。

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