第43話 選ばれし者

 十二月に入るとわだつみ町も冬の気配が色濃くなる。

 とはいえ、この地域で雪が降ることは稀で施設栽培とはいえ冬場に野菜を栽培できる所以だった。

 害虫のネギアザミウマ防除に成功したため、功たちが出荷するニラは出荷等級の最上クラスであるA級で取引され、年末を迎えてそ値段も上がっていた。

「功ちゃん、出荷伝票見ながらニヤニヤしてどうしたのよ?」

 功は夕食を終えて農協から届いた伝票類を見ていたのだった。

 農業者も自営業者なので、確定申告をしなけれなならない。

 功と真紀は控除も使えることから、パソコンを使って記帳して青色申告する方法を選択していた。

 経理用に農業専用のアプリケーションも販売されており、ほとんどの農業用資材を農協から購入している功たちは農協から送られてくる取引伝票を使って入力すれば、税務署に提出する書類は簡単に作成できそうだ。

「秀志の手伝いがあって出荷量が多い日は一日の売上が十万円を超える日もあったんだ」

「ふーん、功ちゃんは二十アールの面積で年間売上一千万円を目指すと言っていたけれど、現実味が出てきたわね」

 功は微笑して真紀にうなずいて見せるが、それで満足するわけにはいかないと考えている。

 コンビニでアルバイトするのと比べたら、大きな進歩ではあるし、経費を差引いても、功と真紀、そして萌音の三人が身を寄せ合って暮らして行ける程度の収入は確保できる。

 しかし、これから子供を育てて学資も必要だと考えると、現状の倍の面積が欲しい。

 現在手に入れた施設ですら来年からリース料の支払いが始まるくらいだが、真紀の家族が手伝いに来てくれることを考えると規模拡大を急ぎたかった。

「私が出産することになってもリースハウスの補助事業は認めてくれるのかしら」

「きっと大丈夫だよ、追加分は僕の名義で申し込むのだから」

 功たちが経営しているビニールハウスは真紀が借りた土地に真紀名義で補助事業を申請してリースハウスとして施設を整備していた。

 建設費用の半分以上を県と町に補助金として支援を受けており、補助金なしでの施設整備はもはや考えられない。

 そこまで話をして、功はゆっくりと夕食を食べていた真紀が思ったよりもたくさん食べていることに気が付いた。

「悪阻が少しマシになってきたの?」

 功が尋ねると、真紀は嬉しそうに答える。

「うん。昨日までと比べて食べられる物がすごく増えた気がする」

 真紀は悪阻がきつく、ここ一週間ほど食べ物を受け付けない状態が続いていた。

 功が思うにはニラの出荷調整作業では作業場にニラの臭いが立ち込めるので、彼女のとってはその臭いの中で作業をするのはは相当きつかったのではないかと思うのだがそれでも真紀は作業を休もうとはしなかった。

 しかし、食べることになると、ご飯の臭いや焼き魚の臭いでも吐き気がこみ上げ、ほとんど食事が出来なかったのだ。

「昨日までは柚子ゼリーしか食べられなかったのに今日はご飯と卵焼きを食べられたからすごい変わりかたね」

 真紀の食事の様子を見守っていた萌音も安心したようにつぶやく。

 真紀が普通の食事を受け付けなくなってから、萌音が最寄りのコンビニまで車を飛ばして食べられそうなものを物色するなどして世話を焼いていたのだ。

 真紀は悪阻に苦しみながらもお腹の中の子供が着実に育っていることを感じているらしく、不平も言わずに堪えていたが、つわりの症状が軽快化したことは素直に嬉しい様子だ。

 最近産婦人科の検診を受けた結果でも、超音波画像で胎児の成長を確かめられたため、真紀も次第に子供が無事に生まれてくることを確信するようになりつつあった。

 その翌日、いつものように功と真紀、そして萌音が作業場でニラの出荷調整作業をしていると、自動車のエンジン音が響き、それは来客の気配だった。

 功たちの家の庭先まで車を乗り入れたのは臼木農林業公社の山本事務局長だった。

 山本事務局長は出迎えた功の顔を見ると気がかりなことがある雰囲気で話し始める。

「功ちゃん、この前リースハウスの補助事業を申請しただろ。あれはひょっとしたら採択にならないかもしれないよ」

 功はリースハウスを追加導入することを前提に真紀の家族に手伝いに来てもらう計画だったので、山本事務局長の話は寝耳に水だった。

「どうして僕の申請が採択にならないのですか」

 功はなるべく落ち着いた口調で問い返したつもりだったが山本事務局長は微妙に身を引いた雰囲気すらした。

「補助金というのは税源が限られている。特にわだつみ町みたいな小さな町の財政規模ではリースハウス事業みたいな大きな補助事業は年間一件がせいぜいだ。それでも農業を始めようという人が少ないから功ちゃんは競争相手なしで採択の予定だったが、ここにきてライバルが現れたんだ」

 雰囲気を察したのか、真紀も作業の手を止めて顔をのぞかせた。

「誰よ、そのライバルというのは」

 真紀が話に加わったことに気づいて、山本事務局長は落ち着きを無くして目が泳いでいる。

「春樹だよ。本当はもう一年研修して基礎をしっかり身に着けてもら予定だったのだが、来春には就農したいと言い出したんだ。どうやら親父さんの晴彦さんが春樹の気が変わって東京に出て行ってしまう前に、農業を始めさせてしまおうと画策しているらしい」

 功は先日うどんパーティーに招待してくれた春樹の屈託のない表情を思い出して、信じられない思いだった。

「それは春樹さんも関わっている話なのですか」

 山本事務局長は腕組みをして空を仰いだ。

「多分あいつは知らないはずだ。晴彦さんも功ちゃんを差し置いて春樹を事業の対象にした件に直接関与したかは定かでない」

 真紀は冷たい口調で山本事務局長に食い下がる。

「なんだか煮え切らないいい方ね。春樹さんのお義父さんは町議会の議員もしているのでしょう?町の執行部となあなあで自分の息子を事業対象にしたんじゃないの?」

「いや、そうとも限らないんだ。俺はむしろ町議会の議員連中が春樹の親父さんに忖度したのではないかと思っている」

 功は山本事務局長が春樹とその父親を擁護しているように聞こえて微妙に面白くなかった。

「今日はわざわざそのことを教えてくれるために来たのですか」

 山本事務局長は功の言葉に冷ややかな雰囲気を感じたらしく慌てて話を再開する。

「いや、補助事業の件はまだ確定ではないから俺が全力でフォローする。お前たちは心配しないで栽培に専念してくれ」

「そんなネタを振られたら心配するに決まっているでしょ」

 真紀がクールに突っ込むが、山本事務局長は持ち前の頑固さを発揮して功と真紀に告げる。

「この件は遅かれ早かれお前たちの耳に入るはずだから前もって知らせておきたかった。そしてお前たちの味方もいることを知っていて欲しかったんだ」

 山本事務局長は言いたいことを言うとそそくさと自分の車に乗って帰ろうとするが、帰り際にサイドウインドウを降ろして功を手招きする。

「野口が功ちゃんに教えておきたいことがあると言っていたからあいつの家の前を通る時にでも寄ってみるといい」

「わかりました」

 功の返事を聞いて満足したらしく、山本事務局長は帰って行ったが、真紀は不満そうにつぶやく。

「解決策がないのなら強いて教えに来てくれなくてもいい気がするのだけど。私のだだ下がりになったテンションをどうにかして欲しいわ」

 功は真紀の不満に同感だったが、山本事務局長は一言いわずにはいられなかったのだろうと彼の気持ちを斟酌するのだった。


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