第42話 うどん職人

 功たちが住むわだつみ町の季節が移ろい、冬の気配が忍び寄る頃、功と真紀、そして萌音は春樹主宰のうどんパーティーに招待された。

 春樹の呼びかけで、同じ研修生である秀志の研修生用宿舎で手打ちうどんを食べた後軽く飲んで歓談しないかというお誘いだった。

 功たちは真紀が運転するインプレッサSTIに乗り、秀志の研修生用宿舎に出かけることになった。

 常緑の照葉樹が多い臼木集落の山にも紅葉する落葉樹が点在しており、ところどころで紅葉した木々が晩秋の風情を醸し出す。

 秀志が住む研修生用宿泊施設は春先までは功が住んでいた建物であり、功にとっては馴染みのある場所だ。

 かつて臼木小学校の校庭だった場所なのでそのエリアには銀杏の巨木も残っており、その朝の冷え込みで一気に落葉が始まった様子だった。

「春樹さんが私たちを招待してくれるなんて思ってもみなかったわね」

 真紀はインプレッサSTIのステアリングを握りながら、面白そうにつぶやく。

 研修生の宿泊施設は功たちが住む家から歩いていけないこともない距離なのだが、真紀が自分はアルコールを飲まないから運転するというので自動車で出かけることになったのだ。

「僕たちの所に研修に来た時に、手打ちうどんを食べさせると言っていたから、律義に覚えていて実行してくれたんだね」

 功も意外に感じているものの、出荷をしない休日と決めている日曜日に普段と違うイベントがあるのは歓迎するところだ。

「私はあの人は、農業研修を最後まで続けることなくまた東京に行ってしまうのではないかと思っていたから、ちょっと意外だわ」

 真紀がつぶやき、萌音もうなずいているし、功もその件に関しては同感だった。

 真紀がインプレッサSTIを、研修施設の駐車場に乗り入れると、建物の前にあるスペースには即席のかまどが作られ、大きな窯が火にかけられていた。

 少し離れた場所には、長机二つをくっつけてテーブルがしつらえられており、折り畳みの椅子も並んでいる。

 功の見たところでは長机と椅子は臼木農林業公社の備品を借りてきたようだ。

「よく来てくれたね。今日は僕のうどん職人としての腕を見せたくてお呼びしたんだ。これからうどんを打って皆さんに食べてもらうよ」

「え?これから作るの?」

 到着と同時に讃岐うどんが振舞われると思っていた萌音ががっかりしたような声を出したが、それ以上余計なことを言わないように真紀がその口を塞ぐ。

「もう下ごしらえしてあるから、伸ばして切って茹でるだけ。二十分もあれば釜揚げのうどんが味わえるよ」

 二十分待たされると知った萌音とその口を押さえていた真紀が揃って落胆したことが功には見て取れたが、功自身は興味津々だった。

 春樹の前にある長机二つをくっつけたテーブルの上には、大きなビニール袋に入った白い塊があったからだ。

「それがうどんになるのですか」

「そう、香川県産小麦を配合した特製の小麦粉に塩と水を加えてこねたものだ。この時期は気温が下がり始めるから塩の量を減らさなければいけないのだけれど、その加減が難しいよ」

 功の質問に春樹は嬉しそうに答えると、大きな木の板をテーブルに乗せて、その上に小麦粉を散らし、ビニール袋の中身を取り出して乗せた。

 それはうどんの材料の塊だったらしく、春樹は器用な手つきで木の棒を使って塊を平たく伸ばす、とそれを何回もたたんでから菜切り包丁タイプの大きな包丁で切り始める。

 功は包丁で切った材料を見て、それを茹でることによってうどんが完成することを理解したのだった。

「これを二十分も茹でたら煮えとけてしまうのではないの?」

 真紀が尋ねると、春樹は面白そうな表情で答える。

「それは違うよ。君がイメージしているのは量販店で売っている茹でうどんを食べるために加熱する時の話で、小麦から打った生うどんは十五分ほど茹でることが必要だ。ちなみに二十分といったのはうどんを切る時間五分込みだよ」

 春樹は切り終えた生のうどんを両手でつかむとお湯が煮えたぎった窯の中に投入した。

「それでは秀志君、この棒を使ってうどんが焦げ付かないように時々かき混ぜてくれ、俺はその間に揚げ物を作って皆に食べてもらう」

 春樹は相変わらず同じ研修生である秀志を自分の部下のように使っているが、秀志はあまり気にしていない様子だ。

 功が手持無沙汰に見ていると春樹は功の目の前に洗って皮を剥いた大根を突き出した。

「宮口さんはこれをおろし金ですりおろしてくれ」

「はい」

 功は気を飲まれて、言われるままに大根をおろし始めたが、おろし金の目が大きいため、目の粗いおろし大根が出来あがっていく。

 その横で春樹は折り畳みのキャンピングテーブルの上に置いたダブルバーナーカセットコンロを使っての魚介類やすり身を天ぷらにしていくが、同時進行で薄切りの牛肉をお湯にくぐらせた後氷水で冷やしており、その手際はプロの料理人のようだ。

 功が大根をすりおろしたのを見計らって春樹は言った。

「宮口さんありがとう。秀志君も、そろそろ仕上がるから席についてお待ち下さい」

 功と秀志が先ほど春樹がうどんを切っていたテーブルに向かうといつの間にか山本事務局長や理香、そして野口までテーブルに座り、真紀や萌音と歓談しているところだった。

「萌音ちゃんは真紀ちゃんそっくりなのね。初めて会ったけどびっくりしたわ」

 理香が温厚な笑顔を浮かべ、山本事務局長と野口は萌音を相手に質問攻めにしている。

 そこに、春樹がうどんが入ったどんぶりを並べ始める。

「まずは窯玉うどんを味わってください。窯から上げたうどんに生卵を絡ませたものです。お好みで薬味のネギとショウガ、それから天かすを加えてこちらの醤油を使ってください」

 功は生卵とうどんという組み合わせに戸惑ったが、薬味を加えて食べると腰のあるうどんの麺に溶き卵と甘口の醤油が加わり完成された味が口に広がる。

「次は肉ぶっかけをどうぞ。水で絞めたうどんにしゃぶしゃぶ風に熱湯をくぐらせた牛肉とおろし大根を乗せてあります。ぶっかけ用の麵つゆと柚酢でお召し上がりください」

 功は言われるままに肉ぶっかけを口にして、先ほどの釜玉とは麺の歯ごたえが全く違うことに驚かされる。そして柚子の香りを利かせたおろし大根と牛肉はぶっかけうどんに調和する。

「これさっきの釜玉うどんと同じ麺なのに歯ごたえがあって食感が全然違うのね」

「鋭いですね。一度水で締めて冷やして食べると硬く感じるのです。麺の腰を楽しむにはこちらがお勧めですね」

 春樹は嬉しそうな表情で真紀に答えていたが、さらに次のうどんを準備している。

 最後に出されたのは暖かい天ぷらうどんだった。

 春樹はうどんの出汁つゆにつけると天ぷらの衣がふやけてしまうからと、天ぷらは別皿に盛って提供し、エビとイカの天ぷらに魚のすり身を揚げた「天ぷら」がボリュームを添える。

「出汁は讃岐うどん風に煮干しをたっぷり使ってしっかりした味を出しています」

 春樹が説明を締めくくると、山本事務局長がまじめな顔で春樹に言った。

「話には聞いていたが、これだけの腕があればうどん屋さんとしてやっていけるのではと思うよ」

 春樹は穏やかな表情で山本事務局長に答えた。

「自分ではそのつもりだったのですが、父がどうしても実家に戻って農業を継いでほしいと言って聞かなかったのですよ」

 功は美味しいうどんを食べさせてもらったのは嬉しいものの、春樹が本当に農業を続けていくのか改めて懸念を感じるのだった。

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