第37話 帰郷した農業後継者
山本事務局長は功が露骨に拒否しないことに気を良くして話を続ける。
「彼のお父さんはこの地区の農業者で、町議会議員もしている金子さんなんだ。春樹君は東京の大学に行き、卒業後も東京で生活していたが、最近こちらに戻って来たらしく、お父さんが春樹さんに農業をさせたいからと言って小農林業公社の研修生にしたところだ」
功は話を聞いただけでは、高齢化に悩む農村に後継者が増えたという良い話にしか思えない。
「それなら別に問題ないじゃないですか」
功がさりげなく口を挟むと、山本事務局長は待ち構えていたように春樹の話を始める。
「それがな、春樹君がこちらに戻って来たのは必ずしも彼の希望によるものではなかったらしい。臼木の人間は大概知っているんだが、彼は東京の農業系の大学に行ったのだが、大学のサークル活動で演劇にはまってしまったんだ。それ故、春木君は大学卒業後も東京に残り、小さな劇団に所属して、アルバイトで生活費を稼ぎながら劇団員として活動を続けた。十年近くそんな生活を続けていたのだが、所属していた劇団がつぶれるに及んで仕方なく帰郷したということだ。そのため彼は農業をしたいというモチベーションが極めて低い」
功は話を聞いていてばかばかしくなってきた。
「やりたくないなら無理に農業なんてしなくてもいいのではありませんか?本人の意欲がないのに出来るほど甘い世界ではありませんよ」
功は自分が真紀と生活するために懸命に働き、野口に教えてもらいながらどうにか営農を軌道に乗せようとしているところなので、その意見は辛口になりがちだ。
「功ちゃんのご意見は十分わかる。しかしだな、東京から農業なんて何も知らずに飛び込んで来た功ちゃんが経営主として栽培に取り組んでいる姿は彼に刺激になると思うんだよ。彼が農業する気になるようにレクチャーしてやってくれ」
功は山本事務局長に頼まれるとむげに断れない。そして、自分が研修生としてわだつみ町に来た時ばかりのころ、野口に農業は甘いものではないと諭されたことも思い出していた。
周囲の人に背中を押されたり、助けられたりしたおかげで今の自分があると思うと、春樹氏が農業に目を向けるようにすべきなのかもしれない。
「自信はないですけど努力はします」
功がしぶしぶと返事をすると、山本事務局長は満足そうに功の背中をたたいた。
「ありがとう。そういう訳で功ちゃんには模範的な経営を行ってもらわねばならないから、ヘルプの人手がある間にアザミウマ退治しろよ」
「はい」
思った通り、山本事務局長は功たちの救援も兼ねて研修生を送り込んでいた訳で、功は返す言葉が無かった。
「研修は八時~五時が基本だが、早朝の収穫がある場合は時間帯をずらして、研修時間合が一日あたり八時間になるようにしてくれ。本人の同意があれば八時間を超過して作業させることも可能だが、その場合はアルバイト扱いで賃金を払ってあげる必要がある。今日は一旦連れて帰るから、明日からよろしく頼む」
「わかりました」
功は明日から研修生二人に収穫から手伝ってもらう計画を頭に描き始めていた。
ニラを収穫してコンテナに詰めて運ぶ作業を研修生にしてもらい、自分はネギアザミウマの防除作業をすることで、伸びすぎている上に、害虫が発生した四月植えのニラの栽培を立て直す計画をスピーディーに進められそうだ。
功と山本事務局長が作業場に入ると、真紀が先生役となって秀志と春樹にニラの出荷調製作業を教えているところだった。
「どうだ。出荷調製作業は難しいか?」
山本事務局長が尋ねると春樹は気難しい表情を浮かべる。
「作業自体は簡単ですけどね。こんな単純作業を何時間もさせられたら拷問ですよ。こんなことをして研修としての効果があるのですか?」
真紀は自分が教えたことをけなされた気がしたらしく、微妙に機嫌を損ねた表情だ。
「農産物は販売しなければお金にはなりませんからね。出荷調製作業は収穫物を現金化するためには不可欠な作業故に、作業体系を組むうえでこの研修は不可欠ですよ」
秀志が意見を述べると、意外なことに春樹は秀志の言葉に耳を傾ける様子を見せる。
「そうか、秀志君がそう言うならば必要なことなのだな。やはり経営に詳しい人の考えることは違うよ」
功は意外な思いで秀志と春樹を見るが、研修が始まってからすでに数週間が経過している訳で、その間に研修生同士である二人の間でなにがしかの交流があったのにちがいない。
「よし、顔合わせも終わったから今日は引き上げよう。明日から宮口さんに研修受け入れしてもらうことになったから、研修の開始時刻を功さんに聞いて、その時間に遅れないようにしてくれ」
山本事務局長が研修生たちに告げると、秀志と春樹は同時に功の顔を見る。
研修開始時刻を知らせなければと思い、功は少し迷ったものの、自分が収穫を始める時間に来てもらうことにした。
「朝五時から収穫作業を始めるのでそれまでに来てください」
功の言葉を理解して春樹は驚いた表情で問い返す。
「五時ってまだ日が昇っていないでしょう?なんでそんな時間から作業をするのですか?」
半ば非難するような春樹の口調を聞いて、山本事務局長が口をはさむ。
「夕方に出荷場に持ち込むために必要な作業時間を逆算して決めているんだよ。そうですよね宮口さん」
山本事務局は研修生の前では功を研修受入農家として扱い、話し方まで丁寧なので功はむしろ居心地が悪いくらいだ。
功が頷くのを見て山本事務局はさらに話を続ける。
「研修開始時刻が午前五時なら午後二時で研修は修了だ。それ以後は自由にしていい」
山本事務局の話を聞いて、春樹もそれ以上不平がましいことは言わなかった。
臼杵農林業公社の一行は来たときと同じく慌ただしく帰っいき、後に残された功たちは静かになった作業場で顔を見合わせる。
「私、春樹さんは何となく苦手だな」
真紀がポツリと感想を漏らし、功も同感だと感じる。
春樹が自分達より十歳以上年上だということもあるが、世慣れた雰囲気や押しの強い態度に何となく圧迫されるような気がするのだ。
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