第33話 集落の夜

 村井は野口を人目に触れない場所に隠すと店主として功たちをもてなした。

 料理人としての村井は腕もよいが、それ以上に美味い料理を食べさせて喜ぶ顔を見ることが彼のやりがいであると思われ、居酒屋喜輔が地元民のたまり場となるのも当然の成り行きだった。

 萌音はマスターが突き出しとしてカウンターに出したカメノテを見て、驚いているが、功は自分が初めてこの町に来た時にもその料理を食べたことを思い出して懐かしい気分になる。

「真紀ねえ、これって食えるの?」

 萌音が尋ねるのを聞き、真紀も功と同じ思いを共有していたらしく、穏やかな笑顔を浮かべて萌音に教える。

「これはカメノテといって貝みたいに見えるけれど甲殻類の一種なんだって。こうやって縦に力を加えたら殻が割れて中身を食べられるのよ」

 萌音は姉に言われたとおりに、カメの手首を思わせる物体をつまんで殻を割ると、中身を口に運ぶ。

 初めての食べ物を相手にガッツがあるやつだ。

「美味しい!見た目に捕らわれてはいけないというお手本のような食べ物ね」

 萌音が新たなカメノテに手をのばしている時に、マスターは大きなジョッキに入ったビールを三つ、カウンターに置いた。

「さっきはすいませんでしたね。これはお詫びに僕からのおごりです。野口は普段はいい奴なのだけれど、春先に親父さんが無くなって忙しくなっていた上に今日はおふくろさんと何かあった様子でね」

 マスターは同級生の野口の失態を我が事のように詫びるとひげの濃い顔に笑顔を浮かべた。

「真紀ちゃんの妹さんが初めて来てくれたのだから美味しい刺身を出さないといけないね」

「カツオをメインに他の魚も加えた盛り合わせを出して、こいつを驚かせてやって」

 真紀が刺身の盛り合わせを頼むと村井はお勧めの鮮魚をさばき始める。

 真紀が萌音と乾杯してビールのジョッキを口に運ぶのを見て、功は彼女が妊娠中はしばらくアルコールを口にしなかったことを思い出して悲しい気分がぶり返し、チビチビとビールを飲む。

「さっきの野口君は真紀ねえに気があったの?」

「そんなこともあったけどね、私が甲状腺ガンで入院した時に、病院まで追いかけてきてこの町で一緒に住もうと言ってくれたのは功ちゃんだったのよ」

 功は話の矛先が自分に向いて思わず手を止めたが、萌音の明るい雰囲気が功の湿った気分を吹き飛ばした。

「そんなことがあったのね。功兄ちゃんかっこいい!」

 功は何と答えたらよいかわからなくて口ごもっていたが、そこに、村井が手早く調理したカツオとタイ、そしてトコブシの刺身盛り合わせが登場し、萌音の関心はそちらに移る。

 結局、夕食代わりに軽く飲むつもりだったのに真紀は吟醸酒まで飲みはじめてしまったが、雰囲気は明るい。

 真紀は締めに頼んだ裏メニューの海鮮茶漬けを食べながら、マスターの村井に尋ねた。

「このお茶漬けはお茶ではなくて、出汁をかけているのだと思うけれど、普通のカツオ出汁ではないですよね」

 村井は真紀の質問に我が意を得たように答える。

「最初の頃は刺身に使った魚のあらを使った潮汁をかけていたのだけど、塩を振って臭いを消してもどうしても生臭い感じが残るので、あらをオーブンで焼いてからだしを取っているのです」

 萌音は熱い出汁で表面だけが白く煮えた刺身を乗せた茶漬けをたべながらマスターに感想を述べた。

「美味しかったです。私これ食べただけで四国に来てよかったと思った」

 村井は感動した様子で、口数が少なくなってしまったが、真紀はカウンターから降りると大儀そうに言った。

「さあ、帰ろうか。野口君も連れて帰らないといけないから彼の車の回収分も含めて代行運転呼ばなきゃ」

 真紀がスマホに登録してある代行運転サービスに電話しようとしていると 

村井はボソッとつぶやく。

「その代金は、野口に請求するといいよ。妹さんが来た時に迷惑をかけたね」

「明日彼の酔いがさめたら請求するわ。ご近所だからこれくらいどうってことないから」

 真紀は穏やかな表情で村井に答えるのだった。

 結局、功は真紀が頼んだ代行運転サービス業者にたのんで酔いつぶれた野口を彼の車に乗せ、自分たちは駅の駐車場に置いた功のハイゼットバンを回収して帰途に着いた。

 臼木集落に着くと何はともあれ野口を自宅に送り届けなければならない。

 しかし、野口の母は真紀に対して原発事故の際に放射線を浴びていると差別じみた発言をしたことがあるため、功は野口の母と真紀を接触させたくなかった。

 流産したばかりの真紀に対して野口の母が心無い発言をしそうで心配だったのだ。 

 出来ることならば、真紀を先に帰らせて自分が野口を運ぼうかと思っていたのだが、真紀は功の考えも知らずに代行運転サービスのドライバーに指図をしていた。

「私達の家はここなのだけどあのローレルに乗せた酔っぱらいを家に送るから、集落の中まで行って」

 功は真紀に言われて自分たちの家の横を通り過ぎるところだと気付き、野口を乗せたセダンが後ろに付けているため、真紀を自宅に置いて行くタイミングを逃してしまったことを悟った。

「野口さんのお宅ですよね。時々使ってくれるのでよく知っていますよ」

 代行運転サービスのドライバーは気のよさそうな雰囲気で真紀に告げる。

 功と真紀、そして萌音はの功の愛車であるハイゼットカーゴに乗っており、その後ろに野口のローレルと代行運転サービスのドライバー回収用のダイハツムーブが続く。

 日もくれた過疎地の集落を時ならぬ自動車の隊列がライトを照らして走る。

 やがて、車列は野口の家の前に止まった。

「僕が野口さんを送り届けるから、真紀と萌音ちゃんはこのまま待っていて」

 功が助手席のドアを開けてローレルに乗っている野口をさっさと彼の家に連れて行こうと急ぐが、真紀もハイゼットカーゴの手動のスライドドアを

開けて足早について来る。

「功ちゃん一人じゃ無理よ。抱えて運ばないといけないかもしれないわ」

 真紀の言葉を聞いて功たちの車を運転していたドライバーも手伝いに加わるが、ローレルを運転していたドライバーは後部座席のドアをあけて途方に暮れたように覗き込んでいた。

「目を覚ましてくれそうにないけどどうしたらいいだろう」

「引っ張り出してみんなで抱えて運びましょう」

 真紀は野口君の搬送作戦の指揮をとりつつあり、もはや車に戻ってくれそうにない。

 功は仕方なく野口を後部座席から引っ張り出すと代行運転サービスのドライバー三人と協力して野口を抱えて運び始めた。

 その先に立って真紀が玄関ベルを鳴らすと、野口の家からは野口の母親が顔を出す。

 最悪だと思い、功は間の悪いタイミングで酔いつぶれていた野口を恨みがましく見下ろした。

 

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