第30話 救世主登場!?
真紀が失踪し、功が探し回った挙句に海岸の丘の上で彼女を見つけた翌日、二人はニラの出荷調製をしていつもと変わらぬ一日を過ごした。
気前のいい野口が練習用と称して提供してくれたニラの汚れた葉を取り除き、草丈をそろえ、一束を百グラムにして輪ゴムで束ねる出荷調製作業を終えて箱詰めしたものを農協の出荷場に持ち込むのだ。
功と真紀が農協の出荷所まで調製済みのニラを運んでいくと、そこでは野口が先に来て自分のニラを降ろしているところだった。
「お疲れ様。この時間に持ち込めるなら二人ともスピードアップしたみたいだね」
野口は昨日の真紀の失踪事件のことなど触れもしないでのんびりした口調で功に声を掛ける。
「ありがとうございます。おかげでずいぶん助かっていますよ。そろそろ自分のはすのニラを出荷してみようかと思うのですが」
功はニラ栽培の師匠でもある野口に、自分が栽培したニラの出荷開始をしてみようかと伺ってみた。
「最近ハウスのニラの出荷を始めていたから露地ニラまでは手が回っていない。露地ニラは秋の長雨に当てたら軟腐病も発生するから使ってくれた方が助かるくらいなんだよ。功ちゃんのニラはそろそろ百日目だし出荷を始めるのもいい頃合いだね」
栽培管理に長けた野口は露地栽培のニラとハウス栽培のニラをうまく組み合わせて出荷調整作業のために雇用した人々に常に仕事があるように心がけている。
ほとんど周年で出荷している野口の場合、出荷可能なニラの量に出荷調整作業の量が追いつかない時期もある。
出荷が間に合わず伸びすぎたニラは倒れてしまい、病気や害虫も発生しやすくなるので刈り取って出荷しないで捨ててしまうこおもあるから気にするには及ばないというのが野口の理屈だ。
そして彼は、功と真紀の栽培状況も通りすがりに覗いてはつぶさに確認して助言をしてくれるのだ。
「わかりました。明日から自分のニラを出荷してみます」
「刈り取る時に株元がぬめぬめしていたら軟腐病で腐敗し始めているかもしれないから気を付けるんだぞ」
野口は屈託のない笑顔を二人に向けると自分の作業を終えて出荷場を後にする。
功はあえて昨日のことを口にしない野口の気遣いが嬉しかった。
野口が自分の軽トラックに乗って出荷場を後にし、残された功と真紀は野口にもらって出荷調製したニラを出荷場に納める。
「野口君に申し訳ない気分だったから、自分たちのニラを出荷したいと思っていたのよ」
真紀がぽつりとつぶやいたので、功は慌てて彼女に答える。
「株の充実具合も良い見合だからそろそろ出荷を始めても大丈夫だと思うよ」
真紀は朝から数えるほどしか言葉を発しておらず、功は少なからずやりづらい思いをしていた。
野口のおかげで真紀が普段のように話し始めたので慌てて彼女に尋ねる。
「そういえば、萌音ちゃんの到着時間は何時頃だったっけ?時間がないならこのまま駅まで迎えに行こうか?」
功は真紀の妹の萌音が夕方にはわだつみ町に到着する予定だと聞いていたので到着時間を確認したかったが、真紀の塞いだ雰囲気に押されて聞くことが出来ないでいたのだった。
「ちょっと待ってLIMEで聞いてみる」
真紀はスマホのSNSアプリを使って萌音の動向を訪ねていたが、数秒も立たないうちに萌音からの返事が来た様子だった。
「どうしよう。萌音は駅弁が好きだから、空港からJRの駅に着いたところで駅弁を買って、列車の中で食べながらこちらに向かうつもりだったらしいけれど、駅のホームの売店が閉まっていて何も買えなかったらしいの。きっとお腹すかしているわ」
萌音が空港からリムジンバスに乗り、JRの特急に乗り換えたはずのわだつみ市は曲がりなりにもわだつみ県の県庁所在地だ。
しかし、駅のホームの売店は営業終了が早く、列車の車内販売などは存在すらしていない。
「それではうちでご飯を食べさせようか」
「ごめん、今日は食材を仕入れていないからニラ玉くらいしか作れるものがないの」
家に帰ればニラは売りに行くほどあるのだが、それで夕食を賄うわけにもいかない。
功は勤めて明るい口調で真紀に提案した。
「それでは外食するのはどうかな」
真紀は功の言葉を聞いて、自分の服の袖の臭いを嗅ぎながら気乗りがしない雰囲気で答える。
「そぐり作業した後だから、服にニラの臭いが付いている。あまり人中には出かけたくないな」
真紀の答えは積極的な雰囲気ではないが、昨日からふさぎ込んでいた彼女の話し方が普段のノリに戻りつつあることに気が付いて、功は勢いづいた。
そして、まほろば市方面から次の特急が到着するまでにはまだ一時間近くあると計算しながら真紀に告げる。
「家に帰って着替えてからでも間に合うよ。今日は萌音ちゃんの歓迎会にしようよ」
真紀は功にうなずいて見せながら、わだつみ町界隈で食事ができる店を思い浮かべている様子だ。
「榊原さん達のお店はどうかな」
功は勢いづいて真紀に言ったが、彼女は首を振る。
「茜さん達のお店は最近お昼の時間帯のみの営業なのよね。あの人達は農家をしながら片手間にカフェも開業しているのだから仕方がないわね」
功は外食を勧めたものの、わだつみ町は地方の漁師町なのでレストラン系の店は少ないことをいまさらに思い出していた。
「居酒屋の喜輔はどうかしら」
真紀が提案すると、今度は功が難色を示す番だった。
「喜輔が美味しいのは認めるけれど、居酒屋のメニューは基本的にお酒の肴でしょ?」
「そんなことないよ。マスターに頼んだら魚のあらを使った潮汁をかけた海鮮茶漬けとか美味しい裏メニューを作ってくれるから大丈夫よ。それに、萌音も最近お酒を飲むみたいだし」
功は喜輔で飲む機会があった折に、宴席も終わりに近づいた頃に真紀がメニューに載っていない美味しそうなものを食べていた記憶があったので微妙に納得した。
「わかった。それでは、喜輔に萌音ちゃんを連れて行くために、家に帰って着替えよう」
功が時計を見ながら言うと真紀は素直にうなずいた。
功と真紀が自分たちの家まで戻り、軽く汗を流してから着替えを済ませると、萌音が乗った特急列車が到着する時刻が迫っていた。
「ほら、功ちゃん。私の車で行くから急いで」
先に着替えを終えた真紀はガレージに向かいながら功を急かす。
功が助手席に乗ると、真紀はインプレッサSTIを急発進させ少々乱暴な運転で再びわだつみの市街地にある駅に急ぐ。
功と真紀が駅に到着して駐車場に車を止めた時に、客を降ろした特急列車が駅からさらに西に向けて走り出すのが見えた。
わだつみ駅は無人駅のため、切符は車内で車掌が回収しており、列車を降りた乗客たちはそのまま駅舎を抜けて駅前のロータリーに出てくるが、列車を降りた数人の中に萌音の姿が見えた。
萌音は功と真紀の姿を認めると手を振りながら屈託のない笑顔を浮かべる。
「やっほー!真紀ねえ、功兄ちゃん。そろそろ赤ちゃんできた?」
功は萌音が発した無邪気な言葉が真紀を再び鬱状態に引き戻すのではないかと思い凍り付いていた。
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