第29話 悲しみを捨てる場所
集落から山を下った川沿いに周辺で唯一の国道が存在する。
功が自分のハイゼットバンを運転してわだつみ町の港や駅があるエリアを目指していると後ろに山本事務局長の黒いセダンが張り付いたのがミラー越しに見えた。
隣に座っている理香がスマホの着信音に気づいて応答していたが、短いやり取りの後で功にその内容を告げる。
「山本君は港から西の方面を捜索するそうよ。功君には港から東に向かえですって」
「わかりました」
港から東に向かうと人気のない海岸から急斜面の山となる山がちな地形が多く人家は少ないのだが、功はむしろそんな場所に真紀がいるのではないかと考えて山本事務局長の指示に素直に従うことにした。
やがて、港のある市街地への道と、西に向かう国道の分岐で山本事務局長は軽くクラクションを鳴らして西へと向かった。
「ねえ、真紀ちゃんがこんな時に時間を過ごすとしたら多い当たる場所ってない?」
理香に尋ねられて、功は以前に似たようなシチュエーションで真紀を探した時に海際の丘の上で真紀を見つけたことを思い出した。
「そういえば嫌なことが有った時は海を見に行く癖があったと思います。港から東に言った丘の上です」
理香は意外そうに功の顔を見る。
「あんな人気がない辺りにわざわざ行ったりするものなの?」
「植林を伐採した場所で見晴らしが開けているのですよ」
功が説明すると、理香はどうにか納得した様子だった。
港の周辺には市街地が広がっている。
漁港を中心としたささやかな街だが、町役場の支所やスーパーマーケットや農協の出荷場が軒を連ね、周辺住民の生活の拠点と言っていいエリアだ。
理香は街に差し掛かった辺りで、真紀の叔母である佳奈に連絡を取り始めた。
「功ちゃん、佳奈さんが非番で家に居たわ。一緒に真紀ちゃんを探してもらいましょう。このまま佳奈さんの家に寄って」
叔母と言っても年齢は真紀より五歳年上で、気仙沼に寄港した漁師と恋に落ちて四国に嫁いだ佳奈のことを真紀は一目置いていた。
功にとって、理香と佳奈が一緒に真紀を探してくれるのはありがたいことだ。
「そうさせてもらいます」
功は港の陸側に住宅が密集している辺りに自分の車を乗り入れた。
かつて真紀が同居していた佳奈の家は功の記憶に残っており、細い道を数回曲がると見覚えのある家があり、加奈は既に家の外に出て待ち構えていた。
「功君、赤ちゃんは残念だったわね。真紀は例によって見当違いなことを考えてあなたを困らせているみたいだから私がちゃんと説明するわ」
看護師をしている佳奈の言葉は功の耳に頼もしく響く。
功のハイゼットバンは佳奈を乗せて港町を抜けると、海岸沿いに伸びる一車線の細い道路を走り、小さな集落を過ぎると海際の急な斜面を登り始めた。
海岸の地形が険しすぎて道路が建設できず山側を迂回して次の集落に向かう道なのだ。
尾根を通る道路がやがて小さな漁港がある小集落に向かって斜面を降りる辺りで、功は真紀のインプレッサが道路わきの路肩に停めてあるのを見つけた。
一車線しかない道路は、対抗車とすれ違うために、コーナー部分などの道幅を広くしてあるのだが、真紀はその広くなった路肩に車を置いていた。
「功ちゃんあそこに真紀ちゃんがいる」
理香が彼方に見える人影を指さし、佳奈は感心したように功を振り返る。
「さすが、旦那だけに真紀の習性を熟知しているという訳ね。私だったらこんなところ絶対に探しに来ないわ」
褒められているのだが、功は佳奈に答える余裕もなく真紀のいる場所に駆け下っていた。
「真紀、急に姿を消すから心配したんだよ」
功が声を掛けると、真紀はゆっくりと振りかえったが、その顔は涙にぬれていた。
「功ちゃん、それに理香さんに佳奈ちゃんも、どうしてみんなこんな所にいるの?」
功は、走ったために少し息を切らせながら真紀に答える。
「僕が一緒に探してくれるように頼んだんだ。山本事務局長も白浜海岸の方に行ってくれた」
真紀は片手で目をこすりながら功に呟いた。
「功ちゃんごめんね。赤ちゃんが出来たのを一緒に喜んでくれたのに私のせいで赤ちゃんがいなくなっちゃったよ」
功は、彼女に何と言葉をかけて良いかわからずに立ち尽くすが、功に追いついた佳奈が真紀を諭すように話しかける。
「真紀、あなたは東日本大震災の時に浴びた放射線の影響だとか思っているだろうけれど、それは違うわ。妊娠初期の流産というのはある程度の確率で起きるものなの。私だって同じようなことがあったわ」
真紀は佳奈の言葉をかみしめるようにしばらくの間黙っていたが、やがてゆっくりと答える。
「さっきね、スマホで検索して調べたら妊娠初期には10パーセントくらいの確率で流産が起きるって書いてあったから、佳奈ちゃんの言うことを信じる。でもね、ついこの間まで、お腹の中の命が居なくなってしまったと思うとなんだか悲しくてここに来たの。ここは私が悲しみを捨てる場所なのよ」
功は、真紀の悲しみが自分に伝わったような気がした。
功は真紀の身の上を案じることで精一杯だったが、真紀の言葉を聞いて彼女の妊娠が判明した日から彼女の身体を気遣いながら仕事をしたり、夕刻に一緒に散歩をしたときに、仄かに存在を感じていた小さな命の灯が消えてしまったことを改めて感じたのだ。
功は自分の両目から涙があふれていることに気づいたが、それを拭いもせずに真紀に言った。
「皆も心配しているからもう帰ろうよ」
真紀はゆっくりとうなずいて功の顔を見たが、功の顔が涙でぬれていることに気が付いた
「何よ、功ちゃんだって泣きべそかいているじゃない」
「悲しい時には泣いたっていいだろ」
功が唇を尖らせて文句を言うと、真紀はかすかに笑顔を浮かべる。
理香は真紀と功の様子を見ていたが二人の肩にそっと手を置いて斜面の上に置いて車に戻るように二人を促した。
「さあ、もう日が暮れるからお家に帰りましょう」
佳奈は真紀が思いのほか早く立ち直りそうなことに安堵してつぶやいた。
「明日には萌音ちゃんが郡山からこちらに来る予定だけど、この調子なら大丈夫みたいね」
功たちが居るのは、植林を伐採した急な斜面の中ほどで小太刀が切り払われたことによって、小高い山の上からはるか下の海を望むことが出来た。
水平線へと続く太平洋は深い青色で満たされており、暮れなずむ空には夏の名残をとどめる積乱雲がいくつか流れていく。
高く立ち上がった積乱雲は沈んでいく太陽の日差しを最後まで受け止めて白からオレンジに色を変えながらその存在を主張しており、静かな海面は鏡のように雲を映していた。
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