第28話 理香の褒め言葉

 真紀が自分の車でどこかに行ってしまい、あまつさえ今回の件が東日本大震災の際に原発事故の放射能を浴びたためではないかと思っているとしたら、彼女は自殺するかもしれないと考えて功はパニックに陥った。

 真紀が乗っている自動車はインプレッサSTIなのに対して、功が使っているのはハイゼットバンと呼ばれる軽四輪のキャブオーバータイプのワゴンであり、追いかけたところで絶対に追いつけないことは確かだ。

 それでも功は自宅でじっとしていることが出来なくて自分のハイゼットバンに乗ると、集落の中心部に向かった。

 集落と言っても住人の数はさして努力しなくても全員の顔を憶えられる程度しかいないが、中心部には廃校になった小学校を中心に農林業公社の事務所や集落唯一の商店もある。

 功は臼木農林業公社の駐車スペースに自分の車を止めると、事務室に顔を出した。

 そこでは、農林業公社の山本事務局長と事務員の理香が功の友人の秀志を囲んで何やら話し込んでいるところだった。

「おう功ちゃん、お前の友達の秀志君は俺にとって意外と話の合う相手なんだぜ」

「私も、山本君と音楽の話が出来る人が現れたからびっくりしたの」

 山本事務局長と理香の間で秀志は人差し指を立てながら力説する。

「そんなすごい話でもありませんよ。僕と山本事務局長がたまたまローリングロックスのコアなファンだったというだけの話です」

 功は引きこもり系の秀志が新しく出会った山本事務局長と話が合う事についてはうれしく思うのだが、それ以上に自分の抱えた問題で頭がいっぱいだった。

「秀志と山本事務局の趣味が合うのはいいけど、真紀が出て行ってしまったんです。山本事務局長、真紀を探すいい方法を思いつきませんか」

 完全に無茶振りなのだが人のいい山本事務局長は既に功の話に食いついた。

「真紀が居なくなったなんて一体どうしたんだよ。功ちゃんは浮気するようなやつではないと思うのだけど」

「実は、真紀のお腹の中に子供が出来ていたのだけど流産してしまったみたいなのです。真紀は東日本大震災の時に原発事故の放射線を浴びたためだと僕に謝る内容の書置きを残しているので心配なのです」

 功の言葉を理解すると山本事務局長の表情は俄かに硬くなり、理香の顔には憂いの色が濃くなった。

 二人とも真紀が東日本大震災に罹災した後で研修生として臼木農林業王者に来た当時を憶えており、真紀にとっては震災のトラウマは現在進行形の出来事であることを良く知っているからだ。

「流産って妊娠した人の十人に一人は経験する出来事で放射能なんか関係ないはずなのに、そんな風に思い込んでしまうなんて、真紀ちゃんが可哀そう」

 理香は伏し目がちに呟き、先ほどまで秀志と一緒に大笑いしていた山本事務局長は生真面目な表情で功にいう。

「そうか、功ちゃんも大変だったな。真紀のことが心配だろうから俺たちも一緒に行方を探すよ」

「ありがとうございます」

 功は硬い表情のままで山本事務局長に礼を言った。

 理香や山本事務局長が真紀の捜索に同行したところで、さほど効果が期待できるわけでも無いのだが、一人で心配を抱えているよりも誰かが居てくれるのは遥かに心強い。

 その時、臼木農林業公社のドアを開けてもう一人の人物が事務所に現れた。

 それは、真紀や功の指導者でもあるニラ農家の野口だった。

「賑やかそうなので覗いたんだ。そこに居るのは功ちゃんとおたく仲間の秀志君だな、四人も寄り集まって何の相談をしているの?」

 山本事務局長と理香が当惑したように顔を見合わせているので、功は自分が説明することにした。

「実は真紀が流産してしまったのだけれど、自分に原因があるように思いこんで姿を消してしまったんです」

 野口は功の言葉に意表を突かれて動きを止めたが、真面目な顔をして功に告げる。

「そうか。行方を探すなら少しでも人数が多い方がいいだろう。俺も一緒に探すよ」

 野口の言葉を聞いた理香は、何か言いたそうに口を開いたがどう言ったらよいかわからない雰囲気でそのまま固まっており、山本事務局長も野口を止めるように手を伸ばしたもののどう切り出したら良いかわからない雰囲気だ。

 功は野口の人の好さそうな顔を見ながら、必死に言葉を紡ぎ出した。

「野口さん、気持ちはありがたいけれど今日は野口さんには真紀を探して欲しくないんだ。真紀は流産したのは東日本大震災で原発事故の放射線を浴びたせいではないかと思っているので、野口さんを見たらそのことを思い出してしまう」

 野口の顔色は一瞬で青ざめたように見えた。

 野口はかつて真紀に想いを寄せていたが、真紀を自宅に招待したときに、野口の母親が真紀は厳罰事故の放射能を浴びているから野口の嫁にしてはいけないと決めつけて野口と口論になり、それを聞いた真紀はひどく傷ついてその場を飛び出して帰ってしまったのだ。

「そ、そうか。功ちゃんの言うとおりかもしれないから、俺は遠慮したほうがいいみたいだな」

 野口が懸命に体裁を取り繕うのをみて功は自分の心がズキンと痛むように感じた。

 野口さんごめんと心の中で思いながら、本人が頑張って平静を装っているのでそれを言うこともできず、功は突然に自分に降りかかった不幸を周囲にも振りまいてしまったような気がして申し訳ない気分で一杯になる。

「そうだな、野口が手伝おうという気持ちは尊いものだから、ここはひとつそれが無駄にならないように事務所の電話番でもしてもらおうか。二手に分かれて探す時に、司令塔がいると役に立つはずだ」

 山本事務局長はいつのまにか平静さを取り戻して野口に仕事を与える機転を利かせた。

「でも、農林業公社の業務関係の電話だったらどうすればいい。俺にはその手の話は分からないから」

「わからない話だったら、後で折り返すからと言って相手の連絡先を聞いておいてくれたらいいのよ」

 理香が笑顔を浮かべて野口に告げると、野口は電話番をする気になったのか事務所の山本事務局長の向かいにある空いた机の椅子に腰を下ろした。

「わかった。捜索隊の連絡係引き受けるよ」

「よし、それでは理香は功ちゃんの車に同乗してくれ。俺は自分の車に秀志君を積んで真紀の行方を探す」

 山本事務局長の言葉を聞いた理香は功を促すように先に立って事務所を出ると功のハイゼットバンに向かう。

 理香はあまり乗り心地の良くない助手席のシートに座ると功に優しく言った。

「功ちゃん、野口君相手に言いにくいことをよく言えたわね。いつの間にか強くなったのね」

 理香が褒めてくれたのが内心嬉しかったものの、功は真紀への心配や野口への申し訳ない思いに押しつぶされそうになりながら答える。

「強くなったというものでしょうか?僕は野口さんにあんなことを言ってしまったのが申し訳なくて」

 功は言葉を途切れさせたまま、ハイゼットバンのエンジンをかけて運転を始める。

 理香は功の横顔を見ながら温厚な表情で言った。

「真紀ちゃんもきっと功ちゃんが探しに来るのを待っているわよ。早く見つけてあげよう」

 功はうなずくと真紀が辿ったはずの集落から山の斜面を降りて麓にある幹線道路に続く道に乗り入れ、秋の日が夕暮れの気配を帯びはじめた山間の道路を功のハイゼットバンがひた走った。

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