第27話 真紀の置き手紙

 功は真紀の妊娠を確認するために訪れた県立病院の待合室で手持無沙汰にスマホの液晶を見つめていた。

 スマホに表示されているのは妊娠初期の妊婦に対する注意事項だ。

 功は病院までの経路では今更のように功がインプレッサのステアリングを握り慎重に運転したのだが、これまでの数日だけを思い出しても真紀が力を入れなければならない様々な作業をこなしていたことを思い出して気が気ではない。

 やがて、診察を終えた真紀が待合室に戻ってきたがその手には小さな紙片が握られていた。

「やっぱり赤ちゃんが出来ていたよ。これが超音波の画像だって」

 真紀が示したのは断面図のような白黒の画像だったがその白い背景の中に黒い空洞があり、空洞の縁には白い塊状の物体が見える。

「僕たちの子供なんだね」

 功はその塊が自分と真紀の間に出来た小さな命だと思うと嬉しい気持ちが沸き上がるのを感じる。

「次の検診は二週間後だって。功ちゃんこのことはみんなにはまだしゃべっちゃだめよ」

 功は無言でうなずくと、真紀の手を引く雰囲気でエスコートしようとするが、真紀は普段と変わりなく病院のロビーを歩く。

 帰る途中に昼食をとるために真紀のお気に入りの店に立ち寄り、彼女の好物のシーフードピザを食べると、地元産の魚介類をふんだんに使ったピザはひと際おいしく感じられた。

 翌日から、功は密かに真紀の身体を労わるシフトを考えた。

 功と真紀は自分たちのビニールハウスでニラの零番刈と呼ばれる株養成中に育った葉を練習がてらに収穫して農協に出荷し始めていたのだが、畑に屈み込んでニラを鎌で刈る収穫作業と刈り取ったニラを淹れたコンテナを運ぶ作業は全て功がすることにしたのだ。

 いつもなら功の決定に文句を言って自分も作業をすると頑張るはずの真紀も、素直に功の決定に従って出荷調整作業に専念した。

 出荷調整とはニラの古い葉を取り除き、一皮むいた綺麗な部分を出荷規格に沿った長さと重量に調整して輪ゴムで束ねるところまで行う作業だ。

 束ねたニラは箱詰めにして農協の出荷場の持ち込み、そこで鮮度保持フィルムでできた小袋に入れさらに箱詰めして大都市に送られる。

 零番のニラは小さな株から育つ過程で新しい葉と入れ替わりに枯れた葉が株元に残っているため出荷調整作業に手間がかかるのだが、真紀と功は黙々と作業する。

「夏場に十分に害虫退治をしたから結構綺麗なニラを出荷できるね」

 真紀が機嫌よく作業するのを見て、功は夏の暑さに耐えて農薬散布をした苦労が報われる気分だった。

 出荷が本格化すれば、二人では出荷作業の手が足りなくなるため、農業体験研修所に通っている秀志や真紀の妹の萌音が手伝いに来る予定だった。

 秀志は基礎研修を農業体験研修所で一年間の基礎研修を終えたら臼木農林業公社の研修生となる予定で、空いた時間に功たちを手伝う予定だ。

 真紀の妹の萌音は家族が本格的にわだつみ町に移住するのに先立って功たちと同居して出荷作業を手伝う予定だった。

「秀志君が研修を終えて臼木に引っ越してくるのは何日ごろだっけ?」

「来週には研修の修了式があるからその後になるはずだね。山本事務局長は早めに荷物を運んでもいいと言ってくれたから時々荷物を持って来ているみたいだよ」

 秀志は日常の脚としてスクーターを使っているため、大きな荷物は運べないから最後の引っ越しには自分の車で荷物を運んでやらなければと功は考えている。

 功は自分たちの生活が徐々に軌道に乗りつつあることを実感していた。

 南国の四国とはいえ夏が過ぎ日没が次第に早くなると夕暮れ時には涼しい風が吹き始める。

 真紀と功は暮れていく空の雲の色をみながら、緑に囲まれた田園風景の中を散歩するのが日課となった。

 そして二人は口には出さないが一緒にいるジュニアの気配を確かに感じていたのだった。

 やがて真紀の産婦人科の定期検診の日が来て、功は再び真紀を連れて県立病院を訪れた。

 待合室で待っている間、功は二週間の間に子供がどれくらい成長したのだろうかとひそかに楽しみにしていた。

 前回真紀が見せてくれた超音波画像なるものでそれが確かめられると思っていたのだ。

 功は暇な時間にネットで検索して妊娠関連の情報を集めて頭に詰め込みつつあり、超音波画像には3D画像とか4D画像と呼ばれるものもあり、写真のような画像や動画まで見ることもできると知って、早くその画像を見せて欲しいと思っていたのだ。

 真紀が待合室に戻ってくるのを見て功は椅子から立ち上がって迎えたが、真紀の様子がおかしいことに気が付いた。

 真紀の顔は蒼白で、その表情はつらい思いを必死で耐えていることを伺わせる。

 功が問いかける前に真紀はぽつりと告げた。

「功ちゃん、赤ちゃんがいなくなっていたよ」

 功は悪い予感に心臓を掴まれる気分だったが、平静を装って彼女に聞いた。

「いなくなったってどういうことなの?」

 真紀は無理やり言葉を紡ぎあすようにして功に答える。

「先生が言うにはね。赤ちゃんにトラブルがあって育っていくことが出来ない時には妊娠初期で消えてしまうことがあるんだって、ごめんね功ちゃん」

 功は真紀が自分に謝るのを聞いて慌てて彼女の言葉を遮った。

「どうして真紀が謝るんだよ。いなくなってしまったものは仕方がないから自分の責任みたいに言わないでくれ」

 功の言葉を聞いても真紀は無言のままで、功と真紀は重い足取りで県立病院を後にした。

 帰る車の中で功は運転しながら真紀の気分を変えようと近所に住む先輩農家の野口や秀志を話題にするが、真紀はおざなりな笑顔を浮かべるだけだ。

 臼木集落に戻ると、功はビニールハウスのサイドカーテンの開閉状況などを点検してから足早に家に戻った。

 自分も落ち込んでいるが、もっと気落ちしている様子の真紀が気になり、彼女の気分を変えてやらなければと急いでいたのだ。

 しかし、功がビニールハウスから斜面の上にある家に帰る前に真紀のブルーのインプレッサがガレージから出て行くのが見えた。

 功が慌て自宅のリビングを覗くとそこには書置きが残されていた。

『赤ちゃんがいなくなったのは私が震災の時に原発事故の放射能を浴びたせいかもしれません。功ちゃんごめんなさい』

 書置きの文字を見た功は、真紀の考えが最悪のルートをたどったことを知り唇をかんだ。



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