第21話 最初の一歩

 功の研修は九月に入るとナスの定植作業という大きんなイベントを迎えた。

 ニラの定植作業は春先に経験済みだが夏場に種を播き、土壌病害に抵抗がある台木に接ぎ木するという大手術を乗り切ってきた苗たちを本圃場に植えるとあって功や真紀の意気込みも違う。

 定植作業には、県立の長期研修施設の研修生となった秀志も作業に加わることになった。

 人出が足りないと言うよりは、彼自身の研修のために外部研修の一環として派遣されたようだ。

 前日までに功と真紀は畦立てを済ませ、ナスに水をやるための灌水パイプを設置し終えていた。

 電磁バルブをセットしてスイッチ一つでハウス全体に水を灌水でき、必要ならタイマーも使えるシステムだ。

 灌水パイプを設置した後、畦にはマルチと呼ばれる銀色のシートが張られ、あとは、シートに開けた植穴に苗を植えるだけだ。

 功と真紀はそれぞれに小さなビニールハウスを担当してナスを栽培することになっており、定植作業は功の研修ハウスから行うことになった。

 功がトレイに入れて運んできたポリポットと呼ばれる樹脂製の鉢に植えられた苗を山本事務局長の指導の下で功と真紀、そして秀志が植え付けていく。

 良く耕した上にたい肥と肥料を入れた土は少し乾燥気味にしてあるので、さらさらとした手触りで手でたやすく掘ることができる。

 功はスコップで穴を掘って、樹脂製の鉢から出した苗を植えていく。

 ナスは一つの畦に2列植えていくので、功と真紀は畦をはさんで向かい合って作業している状態だった。

「功ちゃん、苗の下側に隙間ができないように、土をかけてからしっかり押さえないとだめよ。」

 真紀は先輩らしく畦の反対側からお手本を示して見せ、功は言われたとおりに次の苗を丁寧に植え始める。

 苗の株を押し付けてふと顔を上げると、こちらを見ている真紀と目が合った。

 双方が作業をするために畦の上に体を乗り出しているので、その距離は近い。

 真紀の大きな目と、長いまつげがつぶさに見えて功はドキリとした。

 いつもの真紀なら、「何を見ているのよ。」と怒鳴りそうな場面だが、彼女は目を伏せると無言で次の作業に取り掛かる。

 功は真紀が傍若無人に見えて、実は繊細に気配りする性格であることに気づいており、研修作業で日々接するうちに自分が彼女に心を惹かれていることを意識していた。

 定植作業には事務員の理香も手伝いに入り、定植した苗に水を掛ける係りをしていたが、功と真紀の様子を見てクスッと笑うのが聞こえた。

 午前中に定植作業は終わり、昼食の時間に臼木農林業公社の研修生とスタッフはそろって榊原と茜が始めた農家レストランに食事に出かけることになった。

 以前から機会があれば皆で出かけようと話があったので、定植作業で皆が一緒に仕事をした流れでちょっとした食事会を開くことになったのだ。

 榊原の店はわだつみ町の町はずれの国道横にあるため、よく目にする建物のテナントとして入っており、一行は二台の車に分乗してその店に乗りつけた。

「いらっしゃいませ。今日はお揃いで来てくれたのね」

 店内ではエプロン姿の茜と榊原が時ならぬ大勢の客を出迎えた。

 二人の店は閉店していた喫茶店を居抜きで買い取ったものだ。

 もともとがアメリカの西海岸辺りをイメージしたウッディな内装だったため、きれいに掃除された店内は小洒落た雰囲気だった。

「午前中で定植作業が終わったからみんなで出かけることになったの」

「そうだったのね、時々みんなで来てもらえるとうちも助かるわ」

 茜は嬉しそうに皆の顔を見渡したが、見かけない顔があるのに気づく。

「新しい研修生さんが入ったのかしら」

「彼は僕の友達の秀志です。県の農業体験研修所で長期研修を始めたのですが、今日は現地研修扱いで定植作業を手伝いに来たんです」

 功が紹介すると秀志は立ち上がってお辞儀をする。

「よろしくお願いします」

「私たちもあそこで長期研修を受けたんですよ。よろしくお願いしますね」

 研修所の卒業生はそこを母校として懐かしく思っているようで茜は相好を崩す。

「ご注文は何にいたしますか」

 榊原がオーダーを取るのを、山本事務局長が冷やかし気味に尋ねる。

「おすすめは何があるんだ」

「それはね、俺が作った野菜をふんだんに使った本日の日替わり定食ですよ」

 榊原が自慢げに言うので、結局皆が本日の日替わりを注文することになった。

 しばらくして、皆の前に出されたのはまほろば地鶏とエリンギの鉄板焼きにベビーリーフのサラダを添えた皿と、ラタトゥイユを添えたバゲットだった。

 臼木農林業公社の一行は黙々と食べていたが、やがて真紀が言った。

「凄くおいしい。この野菜を全部榊原さんが作ったの?」

「そうだよ。でも、今使っている畑の持ち主が子供が戻ってくることになったから返してくれっていうから、例の耕作放棄地の再生作業を早くしないといけないんだ」

 榊原は相変わらず農地の確保に悩んでいるらしかった。

「土木業者に頼めばいいじゃないか」

 山本事務局長が言うと、榊原は首を振る。

「最近、土木業者が忙しいらしくて、施工してくれる業者が見つからないんだ。俺は重機の免許を持っているからいっそのこと重機を借りて自分で作業しようかと思っている」

「そうか、それは大変だな」

 山本事務局長は表情を曇らせる。

「そうだ、作業日を土日にするからあんた達が手伝ってくれないか。例の補助事業を使うと自分で施工する場合でも経費と雇った人の日当も補助してくれるらしいんだ」

「俺は別に手伝ってもいいけど」

 山本事務局長が遠慮がちに周囲を見回と、真紀が真っ先に手を上げた。

「私手伝います」

 功も手を上げる、ここまで関わってきて手伝わない訳にはいかない。

「あの、僕も手伝わせてもらえますか」

 秀志も遠慮がちに手を上げていた。

 山本事務局長は微笑を浮かべて言った。

「戦力は十分のようだな」

「わかった、事務的な手続きが終わったら改めて連絡するよ」

 榊原がホッとしたような表情で告げた。

 それから、十日ほど過ぎた土曜日に功たちは榊原の耕作放棄地解消事業を手伝うことになった。

 功たちのさしあたっての仕事は榊原が重機で根こそぎ掘り起こした雑草や雑木を適当な大きさに裁断してトラックに乗せることだ。

 バックホウの低いエンジン音が響く中で、功はなた鎌と呼ばれる道具をふるって伐採された灌木の枝をたたき落とす。

 樫の木でできた柄に、四角い分厚い刃を取り付けた「なた鎌」は直径が3~4センチメートルの雑木なら叩き切ることができるし、軽く振るだけで枝落としが可能だ。

「間違えて指を落としたりしないでくれよ。」

 支所長に言われて、功はなた鎌の破壊力が自分の指に及んでしまう事態を想像してぞっとする。

 左手で雑木をつかんで叩き切ろうとしていたら、不測の事態が起きかねないと気が付いて、功は注意して作業することにした。

 その横では秀志が自分が集めた草木を一輪車でトラックに運ぶ作業を黙々とこなしていた。

 農作業など無理ではないかと思われた秀志だったが案外粘り強く働いている。

 集めた雑草や雑木は一般廃棄物としてゴミ処理場に運ぶと言う。

「雑草を畑に鋤き込んでしまうわけにはいかないんですか。」

 功は隣でチェーンソーを使っていた山本事務局長がエンジンを止めたので尋ねた。

「そのやり方もできないこともないが、雑草の種が残るからあまりよろしくない。本当はしばらく田んぼにして稲を作りたいぐらいだな。」

「あの人達なら雑草が生えてきたら手で抜いちゃうでしょ」

「お、なかなか言うようになったね。あいつらなら本当にやりかねないから怖いな」

 山本事務局長は燃料を補給すると再びチェーンソーを使い始める。

 その向こうでは、真紀が草刈り機でススキやセイタカアワダチソウを刈払っていた。

 功たちは軽口をたたいてはいるが、雑草や雑木の処分はなかなかの重労働だ。

 枝付の雑木をそのまま積んだらかさばってすぐにトラックの荷台がいっぱいになるため、功と山本事務局長は掘り起こされた雑木の枝を払ってコンパクトにしてトラックに積み込む作業に専念していた。

「そろそろお昼にしませんか」

 トラックを降りた茜が声をかけてくれたので、功と山本事務局長は手を止めた。いつの間にか正午を回っており、作業の参加者は残渣を処分場に運んだ帰りに茜が買ってきた弁当を食べ始めた。

「茜さんが大型免許持っているとは思わなかったな。」

 山本事務局長はトラックを運転していた茜さんに話を向ける。

「ううん。大型なんか持ってないよ。若い頃に普通免許取ったんだけど制度が変わったおかげで8t限定付の中型免許になったの。あのサイズのトラックなら、運転できるわけ。」

「あんた一体何歳なんだよ。二十代のお嬢さんだとばかり思っていたのに」

「レディに歳は聞かないのがお約束でしょ。気分は二十歳だしぃ」

 横で弁当を食べていた功は思わずむせた。

 功も山本事務局長と同様、彼女を二十代のお嬢さんだと思っていたからだ。

 初めてまほろば県に来た時のあこがれの存在だった彼女と榊原との関係がわかって落ち込んだこともあったが、彼女からは年下の坊やとしか見られていなかったに違いない。

 功の気も知らず榊原と茜は片付いてきた畑を指さしながらなにやら楽しそうに話していた。

「今日であらかた片付きそうです。皆さん今日はありがとうございました」

 榊原さんが柄にもなく丁寧に皆に礼を言う。

「まだディスクハローで耕起するのと、堆肥散布があるし、そこから使える土にしていくまでは長い道のりだな」

「あんたの口から、土作りを語っていただけるとは思わなかったよ。」

 山本事務局長の言葉を榊原さんが混ぜ返し、いつものバトルが再燃した。

「うるさいな。自分だけが何もかもわかってると思うなよ。補助事業まで使って、ここで農業始めるからには絶対うまく経営して見せろよ」

「当たり前だ、最後には俺のやり方が正しかったって認めさせてやるよ」

 二人のやりとりは続いていたが。功はこの二人の口喧嘩は、じゃれあっているようなものだと気が付いていた。

 同時に多少の困難は解決していく榊原氏の強さがうらやましく感じる。

 榊原氏が目指している有機農業はいろいろな人がやりたいと言うが、反面挫折する人も多く、彼が農業経営者として成功するかも未知数だが、功は榊原氏が自分の信念を貫く強さを自分も身につけようとぼんやりと考えていた。

 功の考えが分かる訳もないが、二人のやりとりを眺めていた茜は功を振り返ってにっこりと笑った。

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