第22話 健康診断のお知らせ

 年が明けてまほろば県にも冬本番が訪れていた。

 功が九月に定植した研修用ハウスのナスも草丈が高くなり、次々と咲いた花は次第に肥大して見事なナスに育っていく。

 功は自分が定植から管理しているナスの果実が次々と実るのを目の当たりにして感慨深いものがあった。

 そして、ハウス園芸農家がもっとも稼げるのが年末から年明けにかけての時期にあたり功はビニールハウス内の温度や湿度の管理を学ぶことに懸命だった。

 研修用ハウスは小さなものだが収穫物は増えており、管理作業まで一通り行うと、もう昼に近い時間だ。

 功が事務所に戻ると先に戻っていた真紀もいれば、通りすがりに寄ったらしい榊原もの姿も見えにぎやかな様子だ。

「というわけで、真紀と功ちゃんには、さっさと健康診断を受けてもらう必要があるんだ」

 山本事務局長は真紀に研修生の定期健康診断を年度内に実施することを告げていたらしい。

「私管理作業もあるから一日空けるのは無理なんだけど」

 真紀は、断るそぶりを見せた。

「だめ、研修用ハウスの管理ぐらい功ちゃんに申し送りしたらちゃんとやってくれるよ。今週の水曜日と金曜日が指定病院が空いているから、そこで二人が交代で受診しなさい。うちは農薬を使った作業もするから健康診断受けるのも業務のうちだ」

 どうやら真紀は病院が苦手らしいが、業務と言われて観念したようだった。

 真紀は功が事務所にいることに気が付くと腹いせのように功に注文を付け始めた。

「功ちゃん、私のナスは自分で摘心したいから、勝手に主枝をちょん切ったりしないでよ」

 真紀は前年の研修の際のことをしっかり根に持っているようで、功は何か言い返したい気もしたが無駄な抵抗はせずに黙ってうなずくにとどめた。

 榊原はその様子を見て穏やかな笑顔を浮かべている。

「それじゃあ、水曜日が真紀で、金曜日が功ちゃんでいいな、前日の夜九時以降は飲食禁止だから気をつけるように、病院から案内が来たらよく読んでから、受診してくれ」

 山本事務局長がダメ押しをして、健康診断の日程は決定した。

 水曜日になり、功は真紀の留守中の管も受け持った。

 功は後で難癖を付けられないように細心の注意を払って作業を進める。

 功はとにかく余分なことはしないと決めて、収穫と必要最小限の管理作業だけすることにしていた。

 収穫時期がきたナスの果実を収穫し、果実を収穫した側枝の切り戻し、それから古い花の花ぬきと最小限でも作業は多い。

 水の管理などは、真紀自身がプログラムタイマーを使って自動灌水を設定しており、自分が信用されていないのだろうかと気落ちしたくらいだ。

 功は午前の作業を終えて事務所に戻ってからそのことを山本事務局長にこぼしていたが、山本事務局長はやんわりと指摘した。

「功ちゃんそれは違うよ。あいつは口こそ悪いけど結構気を遣うタイプだから、おまえが水管理に気を遣わなくて済むように自動設定していったと思うべきだな。それに彼女は水管理とか、側窓と天窓の自動開閉の設定も天気予報とか見ながら、まめに設定を変えているから、いつも同じ設定でそのままにしている君はこういう機会に彼女がどんな設定で管理しているか勉強するべきだな」

 やりこめられた功が二の句が継げないでいると山本事務局長は言葉をつづけた。

「でも俺は真紀のことでちょっと心配していることがあるんだ。今日の健康診断に関わることなんだけどな」

 功は真紀の体調に不安があるのかと気になった。

「一体どんなことなんことなんです」

「今日の健康診断のメニューに、マンモグラフィーがあっただろ。あれって機械におっぱいを挟んでぺったんこにして画像を取るらしいんだけど、真紀のがちゃんと挟めるか心配なんだよ」

 出し抜け飛び出したおやじトークに功はあきれたが、なんとなく納得している。

 功は理香さんなら大丈夫に違いないと、目を向けたが話の流れで功の思考を読んでいたらしい彼女は書類ばさみで胸を隠した。

 功はあわてて目線をそらしたが、山本事務局長は空気を読まずにヒートアップする気配だった。

「そこへいくとだなあ・・」

 話を続けようとする山本事務局長の背後につかつかと歩み寄った理香は、プラスチックの書類ばさみの角でスコーンと山本事務局長の頭を一撃して黙らせてしまった。

「女性がいる前でそんな話をするのはセクハラでしょ、事務局長さん」

 何時になく冷たい口調で言い捨てた理香は事務所から出ていき、山本事務局長は頭を抱えて悶絶していた。

 口は災いの元で、自業自得な山本事務局長なのだが功が見てもちょっと痛そうだ。

「何てことをするんだあいつは、功ちゃん俺の頭を見て、血が出ているんじゃないかな」

 山本事務局長が大げさに訴えるので功は見てあげたが、出血まではしていない。

「大丈夫、出血はしていませんよ」

 理香が一撃した辺りはたんこぶになりつつあったが、功は黙っていることにした。

 マンモグラフィー騒ぎが収まりかけた頃、事務所の電話機の着信音が鳴った。

 手近にいた功が応対すると、健康診断の受け入れ先になっている病院だった。

 管理職員の方に用件とのことだったので功が山本事務局長のデスクに転送したが、山本事務局長の電話機は受話音量が大きいのでけっこう音漏れしている。

 事務室に戻ってきた理香と功が聞き耳を立てている中で、山本事務局長がなんだか緊張した表情でやりとりをしているが、甲状腺ガンとか本人への告知とか漏れ聞こえて、どうやらあまり良からぬ話だと功にも理解できた。

 通話が終わって受話器を置いた山本事務局長は功と理香が自分を見つめているのに気がついた。

「おまえたち今の話が聞こえていたのか」

 功と理香がうなずいて見せる山本事務局長はがっくりとうなだれて自分のいすに座り込んだ。

「俺は管理職失格だな。セクハラ発言はするし、職員の個人情報は漏らしてしまうし、うっかりして定期健康診断の受診が遅くなったのが最悪かもしれない」

 山本事務局長は両手で顔を覆って考え込んでいる。

「真紀ちゃんの検診で何か良くない結果が出たんですか」

 功が聞くと、室長は五秒くらい沈黙した後で答えた。

「甲状腺にガンができている疑いがあるらしい、近いうちに手術をすることになりそうだ」

 功は一瞬周囲の時間が止まったような気がした。

 良くない知らせを聞くと、時として心はそれを受け止められないものらしい。

 子供の頃にかわいがってくれたおばあちゃんが死んだ時などが然りで、今回の良くない知らせは、功にとってはもっと衝撃が大きかった。

 日常接している真紀の存在が功の中で大くなっていた事が改めて感じられたが、功と彼女の関係は研修生仲間以上に進展しているわけではない。

 山本事務局長との会話を続けなくてはと功の中の理性は頑張っているのだが、頭の中の大半の部分はフリーズして動きを止めてしまっている。

 幸い、山本事務局長も自分の問題にかまけて、功の様子には気がついていなかった。

「俺が春先に健康診断を受けさせていたら半年以上早く見つけてやれたのにな」

 責任感の強い山本事務局長はそんなことを考えて自分を責めていたのだ。

 男性陣二人が固まってしまっているそのときに表からインプレッサのエンジン音が聞こえ、真紀本人が帰ってきた。

「ただいま、思ったより早く終わった」

 スーパーマーケットの袋を片手に提げて真紀が事務所に入ってくると、理香が給湯室から声をかけた

「おかえり、お昼はもう食べてきたの」

「ううん、おひとり様でレストランとかに入りにくいから、ムーンーマートでパスタセットとお総菜を買ってきた。バリウムがお腹に入っていてぱんぱんだけど、昨夜から何も食べてないから何か食べたい気はするの」

「そう。それじゃあ、お茶を入れようか」

 理香がお茶を入れて持ってくる横で、真紀はパスタセットを電子レンジで温めている。

 見事なまでにいつもの光景だったが、真紀は功と山本事務局長が凝固しているのに気がついた。

「あの二人さっきから固まっているけど、何かあったの」

 真紀が尋ねた。理香は急須でお茶を注ぎながら答えた。

「そこのおやじ達は、マンモグラフィーネタで盛り上がっていたから、私がちょっと締めてやったのよ。」

「うわっ最低。何を話してたかだいたい想像が付くわ。これだからおっさんとオタクって油断ができないのよ。」

 事務机二つを挟んだ向こうで、舌を出している真紀を見ていると、いつもと変わらない様子だ。

「そう、それからね、スーパーでレジ袋くれないから文句言ったら。環境保護のためにレジ袋は有料化しているから、必要ならあらかじめ言ってくれって反対に説教されたの。あり得ないわほんと」

「レジ袋は有料ですってどこかに書いておけばいいのにね」

 真紀がパスタを食べ始めた横で、理香も手作り弁当を食べ始めている。

 山本事務局長は二人の前まで行って、何か言いたそうな様子だがなかなか切り出せなかった。

「そうそう山本山本事務局長、もう聞いてるかもしれないけど、検診で私は癌らしいってことになったの。長期療養とかになったらこれまでの研修費は返さないといけないのかしら」

 真紀の口調はレジ袋が有料だった話とあまり変わらない。

 山本事務局長は、訥々とした調子で告げた。

「話は医者から聞いている。研修費のことは西村が研修止めたときでも、やむを得ない理由だとして研修費の返還請求はなかったから、真紀の場合は病気なのだから、なおさら研修費は返さなくていいと思うよ。リースハウス事業の件は農協と相談しておくから、今は治療に専念してくれ」

 カルボナーラらしきパスタをくるくる巻いていた真紀ちゃんは山本事務局長の言葉を聞くと、パスタを口に入れてもぐもぐしながら言った。

「治療は受けたくない」

 落ち着いた口調だが、事務所にいた皆は固まってしまう

「何を言い出すんだよ、早く治療を受けないと」

「まほろば県に来てから、おナスの世話をしたりミツバチが飛んでいるのを眺めているときが私の心が落ち着く時間だったの、治療なんか受けなくていいから私にこれまで通りの生活をさせて」

 山本事務局長を途中で遮った真紀の言葉に功は少なからずショックを受けた。

 いつも一緒にいた功や農林業公社のスタッフはミツバチよりも影が薄い存在だったのかと思えたからだ。

「検診で見つかった癌なんて、きれいに切除できてすぐに元の生活に戻れるよ。頼むから治療を受けに行ってくれ」

 説得しようと近づいた山本事務局長に真紀がパスタの入ったトレイを投げつけた。動体視力のいい山本事務局長が身をかがめてかわしたので、トレイは功の目の前を緩やかな放物線を描いて飛んでいき壁にへばりついてからずり落ちた。

「気休めを言わないで。郡山のおじいちゃんが肺ガンで死んだときも最初はみんなそんなことばかり言って病院に押し込めたけど、手術をしても抗ガン剤治療をしても良くならなくて、最後は痛みに苦しみながら死んだのよ。これ以上私からお気に入りのものを取り上げないで」

 目に涙をためている真紀に、山本事務局長が何か言おうとしたのを理香が手で制した。

 功にも目配せをしてどうやら事務所から出るように指示しているようだ。

 山本事務局長と功が事務所から追い出されて外の道路から窓越しに様子を窺うと、しゃがみ込んでうつむいている真紀に岡崎が何か話しかけていた。

「理香さんて普段穏やかだけど、すごく芯がつよいところがありますよね」

 功が話しかけると山本事務局長は事務室に目を向けたまま答えた。

「そうだな、本当はなにがあっても動じないのは、あいつかもしれない」

 しばらくして、理香が俯いたままの真紀を連れて外に出てきた。

「私が真紀ちゃんの車を運転して加奈子さんちまで送ろうと思うんだけど」

「そうしてやってくれ、俺が後ろから追いかけて理香を回収するよ」

 理香は山本事務局長が答えるのにうなずくと、インプレッサに真紀を乗せて集落の外に続く道路へとゆっくりと出て行き、山本事務局長は自分の車でその後を追った。

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