第18話 鍵の隠し場所

 梅雨入りすると、天気の善し悪しにかかわらず蒸し暑い日が多くなる。

 四国にあるまほろば県は暑いのが当たり前のような土地柄だが、臼木は標高が高いので少しマシな方だ。

 臼木の集落はちょっとした高原になっており周囲が緑に囲まれているおかげだ。

 しかし、加温栽培用のビニールハウスの中は過酷な環境だった。

 ナスの茎は功の身長より高く伸び、栽培の終期に入った今はナスの果実も足もとから頭の上の高さまで様々な高さに点在している。

 収穫に適したサイズのナスを探して収穫し、枝を切り戻す作業を続けるうちに功は視界が頼りなくゆがむのを感じた。

 サウナの中でヒンズースクワットをするような体の使い方をするうちに熱中症気味になったのだ。

 功は意識を失ってビニールハウスの銀色のシートを敷き詰めた地面に倒れた。

 功が再び意識を取り戻して目を開けると、視界に飛び込んできたのは臼木地区の上に広がる抜けるような青空だった。

「気が付いたのね、功ちゃん」

 岡崎が功を仰いでいた団扇を止める。

「俺はもしかして倒れていたんですか」

「うん、ちょうど通りかかった野口君が見つけてくれたの」

 功が慌てて起き上がると、作業服はびしょびしょに濡れている。

「それは山本事務局長が体温を下げなければといって水を掛けたの」

「熱中症の応急処置って、水を掛けるんでしたっけ」

 功が尋ねると岡崎はクスクスと笑う。

「あの人もちょっと粗忽なところがあるから。あら、まだ休んでいていいのよ」

 功が起き上がろうとするのを岡崎が引き留めようとしていると、山本事務局長が研修圃場の見回りからもどってきた。

「功ちゃん大丈夫か」

「もう大丈夫ですよ。作業の続きをしなくては」

 立ち上がろうとする功を山本事務局長者心配そうにのぞき込む。

「農作業がきついから東京に帰るなんて言わないよな」

「言いませんよ」

 功は山本事務局長が心配そうな理由がわかっておかしくなる。

 彼は功が研修をやめるのではないかと心配していたのだ。

「ナスの栽培をいつまでも続けても意味はないから早めに収穫を打ち切って片付ければよかったんだよな。俺の失敗だよ」

 山本事務局長は珍しく反省の言葉を口にしている。

 この先はニラの定植作業の第二弾や受託作業の水稲の収穫なども控えているので彼の言う通りなのだが、ナスは収穫可能なのでついそのままにしていたのだ。

 そのとき、功のスマホの呼び出し音が鳴った。

 液晶の表示は真紀からの着信だと示していた。

「真紀ちゃんからですね。今どこにいるんだろう。」

「そう言えばいつもなら研修ハウスにいる時間なのに真紀の姿が見えなかったな。」

 山本事務局長がつぶやいている脇で功が通話ボタンを押す。

「功ちゃん、すぐに来て、林さんの家の玄関が閉まったままで、声をかけても返事がないの。何かあったのかもしれない」

 音量が小さいと研修中に通話を取った時に聞こえないことが多いので功のスマホは受話音量を大きめにしている。山本事務局長にも内容は聞こえた様子で、彼は真剣な顔で言った

「体調が悪くて、寝込んでいるのかもしれない。功ちゃんも行って様子を見てやれ。ハウスの開閉とかは俺が見ておくよ。うちの業務用の車を使え」

 山本事務局長は車両の鍵置き場の方をあごで示しながら指示し、功は車庫の出しやすい位置に置いてあったタウンエーストラックの鍵をフックからひったくって車庫に走った。

 林さんの家は車で行けば5分もかからない。功が到着すると玄関口の道路脇に真紀のインプレッサが止めてあるのが見える。

 道路から一段上がった庭先に行くと真紀が玄関先から林さんを呼んでいる、功が到着するのと前後して、林さんの隣家の矢野さんも騒ぎに気づいて顔を見せた。

「今朝出勤する途中で何気なく林さんのおうちをのぞいたら、いつもなら、家の中に取り込まれている牛乳と新聞がそのままになっていたから気になって様子を見てみたの。玄関からいくら呼んでも反応がなくて」

 真紀の説明を聞いていた矢野さんが口を開いた。

「私はね、林さんに万一の時があったら玄関を空けてくれと頼まれて、鍵の場所を教わっているの。それを使ってみようか」

 矢野さんは林家の門口のポストの方に歩き始めた。

「どこにあるんですか」

 真紀が矢野さんの後を追う。

「ポストの下に古い牛乳箱があってね、その中に軍手を入れてあると聞いているの」

 その言葉が終わらないうちに、真紀は牛乳箱から軍手を取り出していた。逆さにして振ると鍵が転がり出てくる。

「ありがとう矢野さん」

 真紀はそのまま玄関に走り、鍵でドアを開けて中に入った。

 功と矢野さんもその後に続く。

「林さんいたら返事をして。」

 真紀が家の中を探し始めたときに、功のスマホの呼び出し音が鳴った。

 表示には山本事務局長の番号が出ている

「どんな様子だ、家の中に入れたのか。」

 スマホから聞こえる山本事務局長の声も心配そうだ。

「今、隣の矢野さんに鍵の場所を教えてもらって中に入ったところです。真紀が家の中で林さんを探しています。」

 功は、スマホで山本事務局長に状況を伝えながら、真紀の後を追った。

「もし具合が悪いんだったら、こちらから消防に連絡するからそのまま切らずに状況を伝えてくれ。」

 功は支所長の指示を聞きながら家の奥に進んみ、台所に入ったところで、床に倒れている林さんと、耳元で必死に呼びかけている真紀を見つけた。

「体調不良で倒れていたみたいです」

 功は事務局長に報告した。

「今、理香が救急車の出動要請をしている。もし虚血性心疾患だったらここのAED持って行くから症状を確認してくれ」

 山本事務局長は簡単に指示するが、功は途方に暮れた。医者でもないのに症状の判断ができるわけがない。

「意識があるか、呼吸をしているか、心臓が動いているかを確認するんだ。」

 山本事務局長もそのことに気が付いたらしく、功がわかるように指示して、状況を救急隊に伝えることにしたようだ。

「いびきが聞こえるから呼吸はしています。呼びかけには反応していません」

 そう伝えると、理香と支所長が何かやりとりしているのが聞こえた。救急司令部からの指示が理香と山本事務局長経由で伝言ゲームよろしく功まで伝わっているのだ。

「それじゃあ動かさないで救急車が到着するまで待つんだ。真紀には気道を確保するように伝えてくれ。一旦切るぞ」

 功は真紀に近づくと、彼女に伝言を伝えた。

「真紀ちゃん揺さぶったらだめだ。支所長が気道を確保するように伝えろって言うんだけどわかるか?」

 真紀は呼びかけるのをやめると、周囲を見回した。

「去年支所長と一緒に救命救急研修を受けたの。AED使ったり心臓マッサージしたりするやつ。なんとかできると思う」

 真紀は食事用テーブルの椅子から座布団を取って二つ折りにしすると、林さんの頭の下に入れようとするのだがうまくいかない。

「林さんの頭を持ち上げて。」

 功は言われるままに反対側から林さんの頭の下に手を入れて持ち上げる、真紀は林さんの頭の下ではなく首の下に二つ折りにした枕を差し入れた。

 その状態では頭頂部が下がって顎が上がってしまうが、それが真紀の目的だったらしい。

「救急車呼んだ?」

「今こっちに向かっている。僕は道路に出て誘導するよ」

 功は林さんの介護を任せて家の外に出た。

 言葉通りに救急車を誘導するためだが、意識不明の林さんを見ているのがいたたまれないのもあった。

 山本事務局長が救急車の出動を要請したのが十分ほど前とすれば、あと十分ほどで救急車はここまで到着する。

 しかし、それからが問題で、地域で救急受け入れを行っている県立の総合病院に運ぶには一時間近くかかる。まほろば市の医大病院に運ぼうとすればさらに、三十分ほど輸送時間が延びる。

 脳の中で血管が破れて出血しているような状態だったら一分を争うのに、病院に搬送するために貴重な時間が浪費されていく。

 功が待ち受けていた救急車が到着したのは十分以上経過してからだった。

 救急隊員は家の中にはいると林さんを担架で搬送し、救急車が出ようとするとき矢野さんが、ボストンバッグを持って家から出てきた。

「これは林さんが、自分の身に何かがあったときに一緒に搬送先に運んでもらおうと荷造りしていたものなの。あなたが付き添って持って行ってあげて」

 矢野さんはボストンバッグを真紀に渡した。

「わかった。私同乗していくから、功ちゃん山本事務局長に連絡しておいて」

 真紀は功に言い残すと救急車に同乗して行ってしまった。

 残された功に、矢野さんは礼を言う。

「あなた達よく気が付いてくれたわね。隣に住んでいる私でも気が付かなかったくらいなのに。おかげで林さんは命を拾ったかもしれないわ」

 矢野さんは功に礼を言って自宅に戻って言った。

 功は考えた末、林さんの家に施錠してから鍵をもとの場所に隠すことにした。

 そして、功は真紀のインプレッサを覗いてみた。真紀は通勤途中で林家の以上に気づいたためドライバーズシートに財布と携帯が放り出してあり、キーもその横に並んでいる。

 功はどうしたものかと山本事務局長に指示を仰いだ

「お疲れ様。功ちゃんは真紀の車を運転してあいつを迎えに行ってくれ、消防に勤めている知り合いに搬送先を聞いてみる。トラックは俺が回収に行くからそのまま置いといてくれ。キーは車に付けといてもいいよ、乗り逃げするようなやつはこの辺にはいないから」

 功に異論があるわけもなかった。

 救急車の搬送先が判明したら車の出そうと待機していると、山本事務局長から連絡が来た。

「林さんは硬膜下出血だったらしい。救急車では時間がかかりすぎるから、ドクターヘリを飛ばしてくれたそうだ。犬神の福祉・健康センターのランデブーポイントで拾っていったらしいんだが、そのときに真紀も一緒に乗っている。行った先はまほろば市の高度医療センターだ。功ちゃん場所はわかるか」

 首都圏からわだつみ町に移住した功はまほろば県の地理には疎い。

「わかりません。道を教えてくださいよ」

「じゃあ教えるぞ、まずいざなぎ町から高速道路に乗るんだ。そのまままほろばインターまで行ってそこで高速を降りる。まほろばインターのトールゲートを出たら左のルートに入って、そのまま道なりに走っると市街地を通り過ぎてトンネルが見えてくるんだ。二本目のトンネルを抜けたら左側が目的地だ 。」

「それだけで本当にたどり着けるんですか。」

 功はポケットに入れていた手帳にメモしていたが、道順があまりにも簡単なので、不安になった。

「俺の言うことを信じろ。不安だったら真紀の車のナビを設定したらいい。今から医療センターの代表番号を言うぞ」

 支所長の言う番号をメモした功は真紀のインプレッサのエンジンをかけるとナビゲーションの設定を始めた。

 功にとっては初めて使うナビなのだがその辺はおたく的スキルでどうにかなる。

 ルート検索が終わったナビは音声案内を始めた。

「これよりルート案内を開始します」

 功はカーナビゲーションの液晶画面でルートの先をたどっり、目的地が医療センターとなっているのを確認してからスマホで山本事務局長に話しかけた

「ナビの設定ができたのでこれから迎えに行きます」

「気をつけて行け。途中で給油したらその領収書も持って帰れよ」

 山本支所長は燃料代が功の負担にならないように気を遣っている。

 設定したルートは片道で百キロメートルを超えていたが、隣町のいざなぎ町からは高速道路が使える。

 功はステアリングを握っておもむろに出発した。

 いざなぎ町のインターから高速道路に乗ってまほろば市を目指し、医療センターに着くまでには二時間足らずだ。

 インターを降りてからは市街地の煩雑な道を予想していたが、意外にも支所長の言ったとおりに道なりに走るとあっさり目的地に着いた。

 医療センターに着いたので真紀に連絡をとりたいが、真紀のスマホは功の目の前に転がっている。

 外来受付のそばにインフォメーションセンターを見つけた功は、事情を話して林さんの病室を教えてもらった。

 院内の案内板を見ながら脳神経外科の病棟に行き、手術室の辺りを探してみると、ソファーを並べたスペースで真紀を見つけた。

「真紀ちゃん、大変だったね」

 声をかけると真紀はうつむいていた顔を上げた。

「功ちゃんもしかして迎えに来てくれたの」

「それ以外にありえないだろ。室長がインプレッサに乗って真紀を回収しにけって言うから来たんだよ。林さんの様子はどうなの?」

 真紀はポケットからティッシュを取り出すと鼻を拭きながら言った。

「うん、硬膜下出血だけど命には別状ないって。矢野さんが渡してくれた鞄に家族の連絡先もあったから病院の人が連絡している。でも、なかなか連絡が付かないみたい。」

 功が真紀に持ってきた携帯と財布をわたしていると、功のスマホの呼び出し音が鳴り、それは山本事務局長からだった。

「今着いたところです。真紀ちゃんにも会えました。林さんは今手術中です。」

 功が伝えると、山本事務局長は落ち着いた声で告げた。

「林さんの息子さんに連絡が取れたのでもうすぐそちらに着くと思う。お前達はもう引き上げていいぞ。研修作業とか考えなくていいからゆっくり帰ってくれ。」

 山本事務局長の言うとおりで引き上げ時だった。

 功は真紀に声をかけて帰ろうと腰を浮かしたが背後から功と真紀に声をかける人がいた。

「わだつみ町の農林業公社の方ですか」

 功が振り向くと、声の主はスーツ姿の中年の男性で額に浮いた汗をハンカチで拭いている。

「はい、そうです」

 功が答えると男性は慇懃に礼を言う。

「私は林と申します。今日は母が倒れているのを見つけて搬送していただいたそうで、何と言ってお礼を言って良いか。どうもありがとうございました。」

 男性は功と真紀に深々とお辞儀をし、功は男性の目元の辺りが林さんに似ていると思った。

 真紀は立ち上がって、発見したときの状況を説明した。

 同じフロアにあるナースステーションからも担当の看護師が来て病状の説明をし始めた。

「真紀ちゃん帰ろう。」

 引き際だと思って真紀に声をかけると、彼女は何度も振り返りながら病棟を後にした。

 医療センターの駐車場に来たものの、真紀は何だかぼんやりとしているように見えたので、功が運転してわだつみ町を目指すことにした。

 功はまほろば市のインターから高速道路に乗り、わだつみ町方面に車を走らせた。

 お昼時で交通量は少なく運転は楽だ。

 功がしばらく車を走らせたてふと気がつくと隣に座った真紀はポロポロと涙をこぼしており、鼻の頭も赤くなって鼻水まで出ている。

「どうしたの、林さんも一命を取り留めて、泣くよう話ではないだろ」

 功が問いかけると、真紀はセンターコンソールから取り出したティッシュで鼻をかみながら言った。

「ごめんなさい。親しくしてくれた林さんが死ぬかもしれないと思ったから気が動転してしまって。そのうえ関係のないいろんな事を思い出して涙が出てきた。」

 功は真紀の様子が気になったが運転中なので迂闊に視線を向けられない。

 まほろば県の高速道路はセンターラインにポールが立っており、隣の車線を対向車が走る対面通行の個所があるので、功は圧迫感を感じていたのだ。

 どこかで車を止めようかと思っていると真紀が訥々と自分のことを話し始めた。

「まほろば県に来てから誰にも話してなかったけど、福島にいる頃私には、つきあっている人がいたの。高校の先輩で健一って名前で、彼は高校を卒業してから町役場に勤めていたんだけど。私も高校を卒業して、小さな水産工場の事務の仕事が決まっていた。四月に就職したらもっといろんな事ができるようになるかなと思っていた頃に、東日本大震災が起きたの」

 高校卒で誰かと付き合っていたとしても別に不自然な話ではない。

「地震の揺れはひどくて家具が倒れたりしたけど、家自体はつぶれなかったし、津波も近くまで押し寄せてきたけど、家は被害を受けなかった。祖父母も両親も家にいたし、出かけていた妹も無事に戻ってきたから。みんな無事で良かったねって言っていたの。でも、彼とは携帯でも、災害伝言板でも連絡が取れなくて、どうしてだろうと思っていたの。そうしたら今度は原発が危ないから避難しないといけないって話になって。皆で双葉町の方に逃げたの」

 功は埼玉出身なので福島の地名は詳しくないが、彼女の話す町名を東日本大震災の報道でたびたび耳にしたのを覚えていた。

 地震に続いて起きた原子力発電所の放射能漏れの事故で、空間放射線量が高い地区として報道されていたからだ。

「双葉町は浪江や南相馬から逃げてきた人が多すぎて避難所に入りきれないぐらいだった。避難所になっている学校の体育館の外で、救援物資をもらうために並んでいるときに、彼のお母さんに会えたんだけど、そのとき初めて彼が行方不明になっていることがわかったの。そのまま彼の所在がつかめない日が続いて、そのうちに、震災の日に彼を見かけた人の話とか聞くと、どうも海岸の方に避難誘導に行ったのかもしれないというのがわかってきたの。それでも、けがをしてどこかに入院していて連絡が取れないのかもしれないとかいろいろ考えていた。でもしばらくしてから、DNA鑑定で彼の遺体が確認されたって連絡が入ったの」

 彼女はもう一回鼻をかみ、鼻の頭は赤くなっている。

「その時には彼はもう仮埋葬されていたらしくて、掘り起こして本葬にするときに彼の両親が私も呼んでくれた。彼に合わせてくれって頼んだけどやめた方が良いって言って結局合わせてもらえなくて、火葬にされたお骨は拾ったけど、これって一体何だろう、何でこんなにかさかさしているんだろうと思ったのを憶えている。葬儀の後で避難所で暮らしながら 、何か始めないといけないと思っているんだけど、立ち上がる元気もないような日が続いて。いつのまにか季節が冬になっていた。そんな頃にまほろば県に住んでいたおばさんが、気分転換にまほろば県に来ないかって声をかけてくれたの。おばさんっていううのがね私より五才しか年が違わないけど、気仙沼で仕事をしていたときにまほろば県の漁師さんと大恋愛してまほろばに嫁いだのが親戚中で有名でね、しばらくの間のつもりでまほろばに滞在していたら農林業公社が研修生を募集していたからそこに行くことになったの。何も知らない私に周囲のみんなが優しくしてくれたし、トラクターに乗ったりおナスの世話をして、一生懸命農作業をしていると他のことを忘れられるような気がして、そんなことをしているうちに今に至った訳」

 功は何か言おうとしたが、気の利いた言葉を思いつかなかった。

「ごめん功ちゃん、つまんない話を聞かせてしまって」

「そんなこと気にしなくて良いよ」

 功は寡黙になって運転を続けた。

「私が何でこの車に乗っているかわかる?」

 真紀の質問に功は黙って首を振った。

「これは健一が乗ってた車なの、彼の家も津波の被害はなかったからガレージに無傷で残っていたんだけど、彼の両親がガレージでほこりをかぶっているのを見るのもつらいからって、私がまほろば県に来るときにくれたの」

 功は自分が握っているステアリングやメーター類を改めて眺めた。何となく彼女のキャラクターと合っていないような気はしていたのだ。

「さっきうたたねしてから目を覚ましたら、ほんの少しの間だけど、健一の運転する車に乗ってドライブしているところだって錯覚してしまったのよ。もちろん運転してるのは功ちゃんだし、すぐに我に返ったんだけど」

 功は真紀の言葉を聞いて、彼女の様子がおかしかった理由を理解した。

「健一さんって僕に似てたの?」

 功が尋ねると、彼女は功の顔をじっと眺めている気配だった。やがて彼女はぽつりと言った。

「全然似てね」

 身も蓋もなかったが、彼女はかまわず話を続けた。

「一瞬だけど彼と一緒にいる錯覚をしたせいで、もう元には戻らないんだって自分を納得させていたのが全部振り出しに戻ってしまったの。さっきは半分は自分に言い聞かせるつもりでいろんなことを話したけど、つまらない話をちゃんと聞いてくれてありがとう」

 功は彼女が抱えていたものを理解し、普段は傍若無人に振る舞っている真紀が口にするお礼の言葉が何だか痛かった。

「お腹空いたからお昼にしない?。この近くに鍋焼きラーメンの美味しい店があるらしいよ」

 結局、普段どおりに接した方がよさそうだと思った功は、のんびりした口調で言った。

 一旦高速道路を降りなければならないが、山本事務局長も文句は言わないだろう。

 功の提案にミリョクヲ感じたのか真紀も話に乗ってきた。

「ほんとだもうお昼すぎてるし何だかお腹空いてきた。鍋焼きラーメンってどんなかんじなのかしら。」

「鍋焼きうどんみたいに土鍋に入ったラーメンが出てくるらしいよ」

「何よそれ、私は普通のどんぶりに入ったラーメンのほうがいいわ。」

 最寄りのインターチェンジで高速道路を降りた功は、いつもの様子に戻った真紀とラーメン屋に向かうのだった。






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