第11話 カメノテの誓い

「野口君、そんないい方しなくてもいいでしょ。彼は私たちと一緒に働いてくれるつもりで研修に来てくれたんだから」

「それはそうだ。でも農業でもしようかって軽いノリで経営を始めて、ちょっとしんどくなると何もかも放り出して逃げたやつがいたから、手放しでは信用できない」

 真紀がとりなそうとするが過去に何かトラブルがあったらしく、野口の表情は厳しいままだ。

「僕は、初期投資の問題もあるから、研修が終わったら職員として雇用してもらって、技術的にやっていけるようになったら自分で経営しようと思っているんです」

「ふーん意外と手堅く考えているんだな」

 功が自分の計画を説明すると、野口も納得した様子だが今度は真紀が顔色を変えていた。

「功ちゃんそれはちょっと話が違うかもしれない」

 功は真紀の表情を見て不安になりつつ尋ねる。

「それってどういうこと?」

「山本事務局長がいろいろ話したんだと思うけど、あの人は今の体制でできることと、自分がやりたいと思っている集落営農法人を立ち上げてからの話を混同するところがあるの。今の農林業公社の体制で研修を受けて、そのまま公社職員になることはできないわ」

 功の心の中では真紀の言葉を受けて不安が広がっていく。

「なんで職員になれないの」

「公社の職員は、採用試験を実施して最終は理事会で承認されないといけないの。今の受託面積では、正職員を増やす話にはならないと思う。山本事務局長はいつか、集落の農地をすべてまとめた集落営農法人を作るからその時は職員にになって一緒に仕事をしてくれって言うつもりだったと思うの」

 真紀は一生懸命説明してくれるが、給与が保証されるのと個人経営で放り出されるのでは話が違う。

 功は目の前が暗くなりそうな気分だが、この二人に文句を言える話ではなかった。

 功は農業経営で高所得をあげられるという話に興味を持ったのがまほろば県に移住することを決めた理由の一つだったことを思い出すが、最初から数千万円単位の負債を抱えて農業を始めるのはあまり気が進まないので、法人雇用を農業を始める第一歩と考えていたわけで、それが無理なら当初の目的通りに自分で経営開始もいいかもしれないと自分に言い聞かすように考えて落ち着こうと努めた。

 功が頭の中で高速で考え事をしてそろばんまで弾いているとは知らず、真紀と野口は黙り込んだ功を挟んで、互いに身振りでお前がフォローしろと押し付けあっている。

 気まずい沈黙を破るようにマスターがカツオとイカの刺身を持ってきたので、真紀が小さな歓声を上げ、功も顔を上げた。

 刺身皿にきれいに盛り付けられたイカの刺身は透き通った身の色が鮮度の高さを示しており、カツオの刺身は皮つきで提供されているが刺身一切の皮部分にそれぞれに更に包丁が入っている。

「今日のところは、美味しいものを食べて飲んでくれよ」

 野口に勧められるままに一口食べた功は、刺身の食感に驚いた。

 カツオの刺身はもっちりとした歯ごたえと弾力で今までに食べたカツオとは全く別物だ。功の顔を見た野口は、得意そうに言った。

「美味いだろ。その日の朝に水揚げされたカツオの刺身を食べられるのは地元だけだからね。そのカツオは沿岸で一本釣りされたカツオをそのまま持ち込んでいるから冷凍して流通しているのとは別物だ、そしてカツオは皮も美味いがそのままだと硬く感じるので皮の部分に包丁を入れてあるのがマスターの工夫だ」

 野口はイカの刺身も勧めたが功がイカの刺身を口に運ぶ横で真紀の声が響いた。

「このイカってやわらかくてすごく甘みがある」

 グルメ番組のレポーターみたいなコメントだが、一口食べた功は同感だった。

「このイカはなんて名前のイカですか」

 スルメイカとは違うのはグルメならずともわかるところだ。

「紋甲イカだ。産卵のために岸近くに寄ってくるんだ。このイカは胴の中に芯みたいなのがあるんだぜ」

 野口の話が聞こえたのか、マスターはカウンターの向こうで白い色の船のような形状の物体をかざして見せ、功は初めて見るイカの骨的な物体に目を丸くする。

 野口は、功と真紀がうまそうに食べる様子を見てまんざらでもなさそうで、おもむろに二人に訊いた。

「話は変わるけど二人とも将来もこのわだつみ町で一緒に農業をしてくれるつもりなんだよな?俺は一緒に野菜を作って出荷する人が増えるのは歓迎するからな」

 厳しいことも言ったが、野口君は自分たちを歓迎するつもりらしいとわかり、功はうれしかった。

「素人考えかもしれないけど、同じ野菜を作る人が増えたら競争相手が増えて値段が下が

 ったりしないんですか」

 少し酔っぱらってきた功は考えたことをそのまま聞いてしまうが、野口は真面目に答える。

「本当に素人の考え方だな。たとえば真紀ちゃんがどこかのスーパーマーケットに、真紀印のナスというブランドでナスを売ることになったとしようか」

「真紀ちゃんは一生懸命ナスの世話をするけどナスも生き物だからどうしてもまとまって収穫できない時期もできてくる。そうするとスーパーマーケットの方ではお店のナス売り場に穴が空かないように別のナス産地のナスを仕入れて売らざるを得なくなる」

 耳新しい話なので、功も真紀も真剣に耳を傾けた。

「真紀ちゃんのナスがまた取れるようになったら、スーパーマーケットもまた店に置いてくれるけど、そんなことが度々続くとスーパーマーケットとしては、真紀ちゃんのナスよりも、安定して出荷してくれる別の産地のナスを店頭に並べたくなるということがままある訳だ」

 野口はジョッキのビールで口を潤して話を続けた。

「真紀印のナスでなくて、わだつみ町の農協の名前で売る場合でも事情は同じだ。ある程度の出荷数量を保たないと他の産地に売り場を取られてしまう。そのため、部会組織を作って生産者の人数を確保しようと頑張っているわけだ」

 野口君が一息ついたところで今度はカツオのたたきが運ばれてきた。まほろば県のご当地メニューの鉄板的なアイテムと言って良い一品で、野口は手振りで食べるように促しながら話を続ける。

「そういう訳で俺としては、一緒にニラを作ってくれる仲間は増やしたし、それだからこそ研修受け入れもしている。わかってくれたかな?」

「はい、よくわかりました野口君、このカツオのたたきも最高、何でこんなにおいしいの」

 真紀はいつのまにか、地酒の純米吟醸をオーダーして飲んでいる。

「それは、塩たたきと言って塩を主体に味付けしているから素材の味が活きるんだ。塩だって地元で海水を天日乾燥して作ったのを使っている」

 野口君の説明を聞いたマスターは、瞬間嬉しそうな表情を浮かべた。

「そのお塩を作っているところを知っているわ。港から東に行ったあたりでしょう」

「そう、松ノ浦の手前の辺りだね」

 カツオから塩の話へと二人の話が弾んだ。

「松ノ浦の沖合で釣り用の筏ってやっていなかった?」

「やっているよ。今度一緒に釣りに行って見ようか」

「行きたい。どんな魚が釣れるの。私釣りってあまりやったことがないのよね」

「そうだな、鯵とかが多いけどこれからの時期ならイサギとか鯛もつれるかもしれない。違う仕掛けを使ったらさっき食べたイカもつれるしね。今度予約入れるから一緒に行こう。

「わかった。今度予定を見てから連絡するね」

 野口はいつもより真紀のノリがいいので、約束を取り付けようと必死だったが、彼女は確約しない。

 その時、功が野口に訊ねた。

「野口さん失礼なことを聞くけど、年間所得いくらぐらいあるんですか」

「本当に失礼だよ。まあ、俺は人格ができているから教えてやるけどな。今年の青色申告の所得額はこれくらい」

 野口が割りばしの袋にさらさらと書いて見せた金額は八桁の金額だった。

「すごいじゃないですか。本当にこんなに所得が上がるんですね」

「声が大きいい。人前で沢山稼いでいますなんて言うもんじゃないんだよ」

 野口は口の前に人差し指を当てて見せたが、真紀も金額を見て目を丸くしたのを見てまんざらでもなさそうだ。

「なあ、研修が終わったら、臼木で就農しろよ。俺が近所にいるから絶対に失敗しないように教えてやる。一緒にニラを作ってバリバリ稼ごうぜ」

 野口君は先ほどの話のフォローの意味も込めて明るく呼びかけ、功はゆっくりとうなずいた。

「よし、本気だな。今日は一緒に飲めてよかったよ。この三人はいつまでも良き友として農業を続けることを誓おうぜ」

 野口君はフレンドリーなだけでなく熱い人なんだなと功は思い、今まであまり接したことがないタイプの人だが、弟子入りすれば頼りになりそうだと考える。

「何だか三国史の桃園の誓いみたいね」

 話を聞いていた真紀がいいノリで話に乗る。

「お、いいことを言うね。俺たちの場合はさしずめカメノテの誓いってところだな」

 功は何故カメノテが出てくるのかわからなかったが、野口の人柄に影響されて気分が前向きになるのを感じた。

 飲み会がお開きになると、真紀は家が近いからと歩いて帰って行き、野口は携帯で運転代行サービスを呼んでいる。

 功達のように自動車で出かけてきてお酒を飲んでしまったときに、車を運転して家まで運んでくれるのが代行運転サービスだ。

 野口は功の近所に住んでおり、ついでにと功の分も頼んでいるようだが、二台分頼むけど帰りの車は一台で済むはずだから安くしろと無体なことを行って値切っている。

 代行業者が来るのを待っている間に野口は功に言った。

「功ちゃん、さっき真紀ちゃんと釣りの話で盛り上がってるときに話のこしを折ってくれたな」

 功はそういえばそうだったかと気づいて微妙に緊張した。

「責任取って真紀ちゃんと一緒に釣りに行く話をセッティングしてほしいな。功ちゃんも一緒に行っていいから」

 彼にしてみれば、あの時追い打ちをかけて、釣りに行く日程まで詰めておきたかったに違いない。

「僕はまだこちらに来たばかりだからちょっと落ち着いてからでいいですか。それに釣りの道具も持っていないし」

「いいよ。春先からからイセギがよく釣れるようになるからそれを狙っていってみよう。道具は二人の分も準備するから頼むぞ」

 そこまで言われると断るわけにも行かない。功は野口君の携帯番号を教えてもらい、真紀を釣りに誘うことを約束させられてしまった。

 功が代行業者の運転で宿舎に帰ったときには夜十時を回っていた。荷物から引っ張り出したふとんにもぐりこんだらいつの間にか寝てしまっていた。

 夜中に目が覚めた功は宿舎の外から聞こえてくる音に気がついた。

 コロコロと聞こえる音が折り重なるように聞こえ、功はしばらく聞いているうちに、それが蛙の声だと気が付いた。

 周囲の水田で冬眠からさめた蛙たちが一斉に鳴いているのだ。

 功は、自分が自然が豊かな集落の中にいるのを改めて実感して改めて眠りについたのだった。

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