周旋

 庸平と斎藤は寺院の黒い大門の前にいた。

 庸平は顔をしかめる。

「ここ?」

「ああ。ここが俺たちの新しい本陣だ」

 広いが、なかなか古びた寺である。

「極秘任務つってんのに、プライバシーも糞もねえな」

「しょうがねえ。上からの手配だ」

 門をくぐると、小丘の先に本堂の屋根が見える。

「こっちはなんだ?」

 丘を囲むように右手に道が伸びていた。

「ああ、奥に墓地があるらしい」

「死んでも寝床には困らねえわけだ」

 二人は中まで見廻る。

「そろそろ荷物とみんなが届く頃だぜ」

「よし、この辺を本部にして、あっちの新築の方を隊員の部屋にしよう。

 それから…」

 全員が到着する前に間取りを決めてしまった。

 隊員はそれぞれ荷物を分担し、足のつかないようバラバラにやって来た。

 荷解きが始まると、指揮は頑なに庸平が執る。

 千紗たち情報部はパソコンなどの機材を並べる。

 そこへ庸平が入って来た。

「ここが終わったらあっちの講堂の方を頼む。

 あ、プロジェクターはこっちに置いてくれ」

 一通り指示を出し終えると出て行った。

千紗には、一度も目を合わせなかった。

「やっぱり桐野って少し怖いよね」

 と言うのは女子隊員の塚本。

「でも丸くなった方だと思うよ。

 今も最初に比べてだいぶ表情柔らかかったし」

 千紗がフォローする。

「でも確かに、何考えてるかわからないよな。

 こっちもいつもビクビクしてなきゃなんない」

 高橋が首を突っ込んできた。

「不器用なのよ」

 千紗はまだ肩を持ってくれる。庸平が見ていたらどんな顔をするか。

 しかし高橋はさらに続ける。

「最近蒼龍隊の黒田見たか?」

「いや…」

「基地の場所が敵に知られたのは黒田のせいじゃないかって、その疑いをもって桐野が黒田を消したんじゃないかって」

「まさか…」

 千紗は失笑する。

「それは噂だがよ、桐野ならやりかねないってことだ。

 味方だろうと邪魔者は消すって顔だ。俺たちも気を付けないと」

「そうだったかもしれないけど、少しずつ変わってるよ。

 きっと…」

 気弱げに、しかし確信するように千紗は呟いた。


 一方廊下を歩く庸平もまた悩んでいた。

 どうもダメだ。どれだけ気合いを入れていっても、千紗を前にすると気持ちが全て持っていかれる。

 指揮官がこれじゃチームも引き締まらない。

 そもそもこれで戦えるのか。人を殺すなんざ、人という生物に対して余計な感情を持っていてはできない。それが人を好きになってしまった。

「まいったねこりゃ…」

 呟きながら次の部屋へ入っていった。


 大方終わった頃には、外はもう真っ暗だった。

 庸平が全員を講堂に集める。

「よし、みんなご苦労だった。

 まだ残っているところもあるが、今日はゆっくり休んでくれ」

 目尻も下がっていつもの庸平からすると気味が悪いほど穏やかだった。

 解散となるとそれぞれ夕食に行く者、談笑する者と分れていった。

 それらを見届けて庸平も部屋を後にした。


 その日の夜中、斎藤は物音で目を覚ました。

 本堂の方へ行ってみると、玄関の暗闇の中で影が動いている。

 警戒しながら目を凝らすと、びしょ濡れの庸平がいた。

 今帰って来たところらしい。

「なんだ、桐野か」

「急に降り出しやがってよ」

 と靴を脱ぐ。

「何やってる?だいたい何時だと思ってんだ」

「見廻りだ。ほれ、この周辺の地図だ」

 と紙を出してくる。

「お前が作ったのか?」

「防衛のためにも知っておく必要があるだろ?

 その印のとこに明日から見張りを置け。あと今から監視カメラを取り付ける」

 とタオルで頭を拭く姿を見ながら斎藤は素直に感心した。

「明日からの役割分担も作ってある」

「他の奴らも使えよ。会議でもやりゃいい」

「今日はみんな疲れている。みんなは俺の、チームの指示に従うのが仕事だ。

 その分俺一人でできることは俺がやるのが筋だろ。

 会議なんて長々とするもんじゃない。俺が作れば終わる話だ」

「疲れるだろ」

「疲れた、大変だと言ってやらないのは怠慢だ。

 身体の動く限りはやろうと思えばなんだってできるんだ。

 動けなくなるまでじゃないぜ?そりゃ気持ちの問題だ。

 動かなくなるまで、やるんだ」

「また精神論か、」

「違う。こりゃ立派な物理学だよ。物理的にはまだ俺の身体は動くんだ。時間だってある。

 お物理様が可能だと言ってるんだ」

 やれやれ、と斎藤はお手上げである。

「そりゃいいがよ、なんでもうちょっと器用にやらないんだ。

 中にはお前のことを何考えてるかわからない、腹黒いとまで言っている奴もいる」

 庸平は珍しく、少し寂しそうな顔をした。

「いいんだ。わからない奴にはわからないさ。

 それに間違いでもないだろ。任務のためならどんな手段でもとる。

 その分、自分も犠牲に捧げているんだ」

 庸平は濡れたまま椅子に座り一息つく。正面に斎藤も座った。

「まあでも、千紗は今日褒めてたぜ」

「何を?」

 やはり千紗のことだと食いつきが違う。

「お前がだいぶ柔らかくなったって言ってた」

「そうなんだよ」

 斎藤には意外にも、庸平は落胆したようだった。

「柔らかくなったと言や聞こえはいいが、要するに腑抜けてるってことだ。

 もう頭から離れねえ。仕事にならねえ。

 だから女は敵なんだ」

「そういう割には最近お前、生き生きしてんぜ。

 前の生き生きとは違って」

「そこなんだ。

 人を殴るのが、殺るのが、何より快感だった。

 自分の美学に疑問を抱いたこともなかった。今だってそうだ。

 だがよ、千紗といると元の自分を思い出すんだ。そしてそれを恋しがっている自分がいる」

「それでいいじゃねえか」

「普通の人間なら、何のしがらみもなければな。

 だが今さらそう簡単に美学は捨てれねえ」

「じゃあ美学の方をとりゃいい」

「でも、千紗のために何かしたいんだ。

 美学のためと同じくらい…。

 とにかくこれが結論を出すときだ。最後にどうなるかはわからんが、これまで以上に自分の美学への意志を強めるか、あるいは捨てることになるかもしれん。美学と恋心どちらが勝つかね」

 と目元にしわを寄せキザに笑った。

「まあ頑張れよ。俺はもう寝るぜ」

 帰っていく斎藤を見送ると、庸平は仕事に戻った。

 重い荷物を一人でバタバタ動かす。

 腰を下ろしてフゥと息をついた。確かに、俺は一人で何をしているんだ。

 数年後もこうやって、一人なんだろうな。

 いや、千紗がいる。

 いやいや、下手な希望は芯を軟弱にする。

 庸平はまた、動き出した。


 翌朝目を覚ました斎藤が本堂に行くと、バタバタしている隊員に指示を出す庸平がいた。

「お前寝たのか?」

「ああ、一時間は寝た」

 こいつはどうやっても長生きはしないな。

 だが人より起きてる分を総合すると活動時間は変わらないのかもしれない。

「あ、斎藤、今後の計画について話しておきたい。今夜いいか?」

「ああ、いいよ」

 その夜皆が寝静まった頃、講堂の椅子に座って待っていると庸平が帰って来た。

「待たせたな」

「いいよ。始めよう」

「まず今日の成果から話そう」

「どこに行ってた?」

「朝は千紗と橘さんのとこに行って宝物庫の資料を解読していた。

 そこで得た手掛かりを元に昼は二人であちこち回ってきた。

 夜は俺一人で永井組に行ってきた」

「宝物庫の資料ってあの、伊藤が覚えてきた?」

「ああ、そうだ」


 千紗は橘老人の前に座り説明を始める。

「宝物庫の資料には、原始三代の王の伝承について記されていました」

「神代文字だ。読めたのかね?」

 と聞く橘に、

「ええ、彼女なら」

 と庸平が嬉しそうに答える。


「原始三代の王って?」

 斎藤は知らなかった。

「小国分立していたこの国をまとめた王だ」

「お前知ってるのか?」

「今朝千紗が言っていた」


 しかし千紗は首をひねっていた。

「あれには、この国の統一過程が記されていたみたい…。

 でも戦闘の記録なんかは全くない。

 それにおかしいわ」

「なにが?」

「同じ人が、同時に色んなところに現れてる。

 そもそも人なのかしら?空中を歩いたりして」

「伝承だ。そんなこともあるだろ」

 と庸平は取り合わない。食いついたのは橘翁だった。

「それは誰だ?」

「名前はハッキリとは書かれてませんでした。ただ、神から大王への遣いだって」

「彼が大王家のブレーンだったのは間違いないだろう」

「ええ、統一後も。数代にわたって大王を補佐したと書いてあります」

「で、“例の物”に関しては何か書いてあったのか?」

 庸平はそこにしか関心がない。

「うん…。この神の遣いが大王に最終兵器を託したって」


 夜、庸平の話を聞いていた永井は苦笑する。

「つまりその伝承上のものを探して取り合っているのか?」

「そういうことらしい。だが世界中が躍起になって取り合っているんだ。

 探す価値はあるでしょう」

「最終兵器と言ったがどんな兵器かは書いてあったのか?」


 千紗はそこまで覚えていた。

「この世界を終わらせることもできるキルスイッチよ」

「この世界ね…」

「そう、この世界」

 庸平はまだ疑っている。

「しかしそれを探そうにも手掛かりも伝承上なわけだろ?」

「ただの伝承じゃないとしたら?」

 橘翁は真剣な表情だった。


 永井はまだ釈然としない。

「それで今日は何しに来た?

 そんなものを探すのに我々など役に立たんだろ」

「いや、必要なんです。

 今日の昼、壬沓社に行ってきたんだが…」

「あの宗教結社の?」

「そう、それ」

「そんな怪しい団体に何の用がある?」

 永井としては当然の疑問だ。


 橘邸で出されたお茶を飲みほし千紗は一息ついた。

「続きは?」

 庸平が尋ねる。

「ここからがわからないの。神の遣いの言葉といって…」

 庸平は唾を飲む。

「我が一族、世界の潮流より切り離されしこの地にて世界の理を守らん」

 時計が針を刻む音だけが部屋に響いた。

 黙りこんだ千紗たちにしびれを切らして庸平が声を発した。

「どういうことなんだ?」

「さあね。さっきの、神からの遣い。彼の足跡をたどる必要があるわ」

「そんなもんどうやって?…」

 呆然とする二人に、橘翁が口を開く。

「壬沓社という宗教結社を知っているか?」

「ええ、名前くらいは…」

 庸平の顔を見てみるとポカンとしている。

「壬沓社が崇めているのが獏と言ってな」

「バクって、あのバク?」

「そう。

 成武大王の先代から五代にわたって大王家を導いたと言われている」

「それって…」

「ああ。何か関係があるかもしれない」


 庸平が永井に笑いかける。

「ここで永井さん、あんたの出番だ」

「壬沓社とは繋がりも何もないぞ」

「これから作るんです」


 庸平と千紗は昼の街を歩きながら計画を練っていた。

「壬沓社っていうと、過激派の事件で昔話題になってなかったか?」

「そうよ。壬沓社の狙いは獏の力の復活」

 二人は古びたビルの前に着いた。

「ここに入ったら私たちは新規入信者よ。

 ちゃんと大人しく、愛想よくね」

「そりゃわかってるが、大丈夫なのか?

 過激な結社なんだろ」

「ええ。殺人事件も何度も起きてる。

 だから庸平、守ってね」

「ああ。もちろんだ」


 斎藤はニヤニヤしている。

「よかったな」

「ああ」

 庸平は向かいの椅子で足を組んでいる。

「彼女を守るってことは、彼女のために命をかけることを認められたんだ。俺は感謝しなけりゃならねえ。あなたのために死ぬ相手に俺を選んでくれてありがとう、あなたの役に立たせてくれてありがとうと。

 彼女が泣いていたら自分が役に立てないことが悲しくなる。

 それが今は、役に立てる。彼女の方からお願いしてくれた。許可をくれたんだ。

 俺はいくらでも力を発揮できる」


 庸平が千紗を促す。

「じゃあ、行こうか」

 受付には女がおり、入信の願いを述べると奥へ案内された。

 やけに静かである。

 会議室のようなところに通され、しばらくして男が入って来た。

「あっ」

「おっ」

 シンポジウムにいた、山内である。

「なんだ君たちか」

 壬沓社の幹部らしい。


 永井は全く覚えていないようだった。

「そんな奴が入り込んでいたのか?」

「政界の人間と繋がりがあって紛れ込めたようです」

「で、そいつがシンポジウムで何をやっていた?」


 同じことを庸平が山内に尋ねた。

「私たちの理念は、獏の偉大さを広め、その力を復活させることだ。

 そのための力が必要だ。敵対勢力や政府と対抗できるような、あるいは政府を抱き込めるような」

「そこでコネを作っていたわけですね」

「まあ、そうだな」

 山内は苦い顔をする。

「山内さん知っていますか?」

 庸平は神妙な面持ちで詰め寄った。

「とある勢力が、獏の秘宝を狙って、この国から奪い去ろうとしているようなんです」

「なんだって?」

 山内がギロリと眼を上げる。

「それには政府や軍部が加担しているようで」

「それは何としても止めねば。

 だがさっきも言ったように我々には力がない。

 そうだ!君たち永井組の力を借りられれば!」


 永井が顔をしかめる。

「それでここに来たのか?」

「はい。敵に、対抗勢力として壬沓社を置くんです。

 そこで潰し合ってくれているうちに俺たちは漁夫の利を得る」

「じゃあ俺たちにその敵と潰し合いをしろと?」

「そのふりをして壬沓社を動かしてくれるだけでいい。

 斎藤らも入れる。永井さんたちはリスクを感じたら逃げてくれてもいい」

「逃げるって言い方は人聞きが悪いな。

 いずれにせよ潰さなきゃならん敵なんだろ?」

「はい、そうです」

「だったら最初からそう言え。一度乗り掛かった舟だ。とことんやろう」


 斎藤が喜色を浮かべる。

「じゃあ、予定通りに?」

「ああ。すべて順調だ」

「伊藤の方はどうだ?」

「まだ万全、てわけにはいかんが、やる気は取り戻してきている。

 千紗を笑顔にするにはよ、しっかり守りきってこの任務を成功させる必要がある」

「そうだな」

「それが俺の美学だ」

 そうだっけか?と斎藤がポカンとしている。


 橘家の庸平と千紗は帰り支度をしていた。

 見送る橘翁は不安そうだ。

「敵の強大さは前回よくわかったはずだ。

 この国の歴戦の軍隊も今度は敵だぞ。

 はっきり言ってまだ新米の君たちで大丈夫かね」

 千紗が振り返って微笑んだ。

「ええ、その歴戦の軍隊に代わって私たちがこの国を守る部隊にならなきゃいけないですから。

 ね、庸平」

「ん?もちろんだ」


 斎藤が不敵に笑う。

 庸平も嬉しそうに話す。

「今まではよ、女は俺の美学の邪魔でしかなかった。

 つまり女を、恋愛なんざをとった日には俺は美学を放棄しなきゃならない。それは俺自身を放棄するってことだ。

 だが今は、国のために戦うことが、俺の美学が人のためになるんだ。

 これほど幸せなことはなかろう」

 庸平は初めて「幸せ」という感情を知った気がした。自分の幸せ、というものはまだよくわからない。だが自分の力で守りたいものを守り、人を幸せにすることができたなら、それは幸せだろう。

その「守る」権利と使命を、その力の確信を、遂に得たのだ。あとは「幸せにする」権利が欲しかった。それにはまず、守り抜かねばならない。

「やってやろう」

 ニヤリ、と斎藤を見て呟いた。

 死に場を与えてくれる者のために殉ずるんじゃない。

 生き場を与えてくれる者のために、俺は殉ずる。

 これも立派な美学だ。

 美学を持って、俺がおれのまま好きになった。

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