灯美

 あたりも暗くなってきた頃、庸平は玄関前の塀に寄りかかっていた。

 浴衣を着て少し不機嫌そうである。

 朝、千紗が見せてきたチラシは、この街の季節のイベントについてだった。

「これ斎藤が教えてくれてさ。

 今夜色んなとこでイベントやってるみたいだから、気晴らしに行ってきなって」

「ほう、よかったじゃねえか」

「だから一緒に行こ!」

一瞬、状況が飲み込めなかった。

 は?と庸平は口を開けてキョトンとしている。

「他の女子隊員とは行かないのか?上野とか塚本とか…」

「あの子たちは別に行く人がいるみたい。

 だいたい庸平が私の護衛でしょ?」

 あっそうかという風に頷く。

「それに庸平、私のこと心配してくれてたんでしょ?」

 千紗がニヤッと笑う。

「それも斎藤が言ったのか」

 ほくそ笑む斎藤が目に浮かぶ。

「まあいい。千紗の気分転換になるなら何だってやってやろう。

 で、どこ行くかなんかは決めてんのか?」

「うん!着ていくものもね」

「着ていくもの?」

 千紗が部屋の外へ飛び出し、バタバタ戻ってきた。

「ほら!これ借りてきたの」

「へ?…」

 庸平の顔が引きつる。

 千紗の手には男物の浴衣があった。

「俺ぁあんまりそういうのは…」

「私も着ていくから。

 何でもやってくれるんでしょ?」

「わーった、着て行こう」

 返事を聞くと、千紗は上機嫌で出て行った。


 やはり柄にもないことをするもんじゃなかったなと、玄関前で後悔している。

 ガチャッと後ろで扉が開く音がした。

 振り返って見ると、中から赤と白の浴衣に身を包んだ千紗が出てきた。

 いつもと髪型も違う。

 庸平の思考は止まっていた。

 視線に気づいた千紗が頬を染める。

「変?」

「いや、すごく似合っている。

 見違えるようだ」

「いつもが悪いってこと?」

「違う違う。いつももいいんだがよ、いつもとまた違ったよさだ」

「庸平も似合ってるじゃん」

「俺はいいんだ」

 照れ隠しに少し不機嫌になる。

「じゃあ、行こうか」


 小さな神社を通り抜けていく。神社の前の下り坂は両脇に灯篭が並ぶ。

「思い出すな」

「何が?」

「初めて会ったとき。こういう灯篭の先によ、千紗が立ってた」

「あーこんなんだったかな。

 あのときよりは庸平もとっつきやすくなったね。あのときよりは」

「な、俺も努力してんだろ」

「でもまだまだね」

 と皮肉に笑う。

「趣味か何か見つけなきゃ。いつも仕事の話ばかりでしょ?

 それじゃ女の子からも飽きられるよ」

「別にいいよ」

「でも庸平のそのキザな笑顔だったら、釣られてくる女子もいると思うよ」

「いや、女が釣れなくても、仕事ができる能力があればいい」

 そう言いながら満更でもない顔である。

 大通りに出ると、やはり浴衣や着飾った人々で賑わっている。

「さあ、どこに行く?」

「ここに行きたいの」

 と地図を指さす。

「うーん、じゃあこういうルートでどうだ?」

「ああ、人混み嫌いだったね」

「いや、静かな方が落ち着くと思ってよ。

 千紗が嫌だったら他のルートでいいぜ」

「ん~ん。それでいいよ」

 ということで少し奥まった路地を抜けていく。

 道幅は狭く人二人がやっと通れるほどだ。

 両脇は二階建ての木造家屋である。料亭もある。

 時々観光客らしき人々とすれ違うくらいだ。

「千紗はこういう静かな所より賑やかな方が好きか?」

「んー、どっちも好きだけどね」

 路地を抜けると、小川の前に出た。

 川沿いに並ぶ柳の枝に、無数の短冊が括り付けられている。

 短冊に願い事を書く風習があるらしい。

 短冊を書きに来ている人々を眺めながら川に沿って進む。

「私たちも何か書く?」

「いやあ、俺ぁこういうのは…」

「何?神は信じない主義?」

「そういうわけじゃないが…。俺の柄じゃねえ」

「ほら、すぐそうやって自分を縛りつける。

 いいわ。私書くからついてきて!」

 そう言うと千紗は走っていった。やれやれ、と庸平も追いかける。

 台の上に短冊とペンが置いてある。

「やっぱり、任務成功祈願かな」

「ああ、いいじゃねえか」

 千紗が書き上げる。なかなかの達筆に庸平も感嘆する。

「じゃ、これを結んできて」

「え?」

「二人で一つよ。私が書いて庸平が結ぶの」

 呆気に取られていた庸平が、フッと笑い出した。

「わかった。結んでくるよ」

 結びつけながら、庸平は笑っていた。

 自分の世界は血の他に縁のないものとばかり思っていた。

 だがもし、こんな風に普通に笑って普通の幸せの上に生きられるなら…。

 戻ると、千紗が遠くを見つめている。

「どうかしたか?」

「あそこ、男が自撮りしてる…」

 遠くの柳の下で、男が一人自撮りをしていた。

「時代だな」

「ああいうのはちょっとね」

「そうだな」

「そういえば庸平のスマホ、写真とか入ってんの?」

「ん?まあ入ってるには入ってるが…」

「どうせ仕事のばっかでしょ」

「……」

 図星だ。

「まあいいよ。行こ」

庸平としては、一本取られた気分だ。

 柳の間に現れた朱色の小橋を渡っていく。

 星々が照らす柳の枝に囲まれた二人が水面に写る。

 少し開けた道に出ると、また人が増えてきた。

 人とすれ違う際、千紗が後ろに下がって避け、視界から消えるたびに庸平が心配そうに見回す。

「ちゃんといるよ」

 千紗の声は嬉し気である。


 さらに少し街の中心から離れたところで、大河が現れた。

「これか?」

「うん、ここのはず」

「何時からだ?」

 千紗がまたチラシを取り出し二人で覗き込む。

「あと一時間はあるな」

 川の土手へ下りると、その暗がりにカップルなどが数組座っている。

 河原を少し進んだところで、誰もいない窪地を見つけた。

「あの辺で座ってようぜ」

 とそこに腰を落ち着けた。

「歩き疲れてないか?」

「うん、大丈夫。今日は誰かさんがゆっくり歩いてくれたおかげで」

 庸平は口を一字に結び照れを隠す。

「他の人にもそうやって優しくすればいいのに」

「人間ってのは好かれるよりも嫌われる方が楽なんだ。恐怖で抑える方が確実なんだ。

 俺は人を好きになるには臆病すぎるよ」

「気持ちはわかるけどね」

「そう。だから千紗は俺よりも勇敢に戦っている。

 怖いと言いながら関係を作ろうと頑張っている」

「私は嫌われる勇気もないから逃げてるだけだよ」

「いいんだ。無理なときは逃げていい。

 逃げる勇気も必要だ」

「うん…」

「だがまあ、勇敢に戦ってみるのもたまには悪くない」

「え?」

 フッと笑って空を見上げた庸平が目を見開いた。

「何?」

「上、見てみろよ」

 見上げてみると、視界一杯に一朶の眩い星の筋が流れ込んだ。

 二人とも声も出ない。

 ようやく庸平が我に返り、何か話をしなければと焦って千紗の方を見る。

 千紗の瞳に星々が映る。その顔を見てまた庸平は声を失う。

 気づいた千紗が笑って顔をしかめた。

「何?」

「へへッ。口ぽっかり開けて見とれてるからよ」

「すぐそうやってバカにする」

 笑っているが、庸平は庸平で上手くごまかせたかなとひやひやしていた。

「とにかくよ、千紗のペースで、千紗が一番幸せな形でやれるようになればいい。

 思う存分戦って、逃げればいい。

 逃げ場なら俺でも。俺は絶対に千紗を見捨てたり裏切るようなことはないからよ」

「絶対?」

 千紗が微笑みながら首を傾げる。

「ああ、男に二言はねえ。それが俺の美学だ」

 ふーん、と千紗は下を向いて笑っている。

 あれ、響かなかったかなと不安になる庸平。

 ちょうど周囲に人が増えてきた。皆何か持っている。

「あ、時間よ」

 人々が手に持つ灯篭に火が灯り始め、空へ浮かび上がっていく。

 星が降りてきたかのごとく、夜空から地面までいっぱいに黄色の灯が広がった。

 空を見上げた二人の瞳に灯が溶け込む。

 そんな千紗の顔を見たい。

 だがこの刹那の空間を無粋な振舞で打ち砕くような真似はしたくなかった。黙って、隣に千紗を感じることとしよう。


「庸平…」

 沈黙を破ったのは千紗の方だった。

「ん?」

「ありがとう」

「……」

「庸平がいるからこうして続けてられるんだよ」

 少し頬の染まって見える千紗は透き通った微笑を作った。

「今日も連れてきてくれて、励ましてくれて」

「いいよ。俺も好きでやってる」

「庸平のこと好きだよ」

「…」

 これは、どうすればいい?

「せっかくいい人なんだから、すぐ殺気立つのを止めたらねぇ」

 心中秘かに庸平は苦笑した。

「そうだな、仕事は変えられんが…。千紗が笑っていられるならあとは何だってやるよ」

「ありがと。

 私も庸平が笑ってられるように何だってやるよ」

「気持ちだけ、受けとっておこう。

 俺が笑ったところで何もない」

「そうだ!スマホ貸して!」

「なんだ?突然」

「庸平のスマホに仕事以外の写真も入れておこうと思って」

 と近寄ってきた。庸平は戸惑いを隠せない。

 スマホを受け取るとカメラを自分の方に向け、庸平に肩を寄せる。

「ほら入って入って」

 と庸平を画面内に引き入れる。

「ランタンが入らないなぁ。

 ほら庸平がもっと近寄らないと」

 と画面を合わせる。

 庸平には無い文化だ。自然、顔が強張る。

「また無愛想な顔して。はい笑って」

「そんなこと言ってもよ…」

「いいからとにかく笑うの」

 渋々無理やり口角を吊り上げる。

「ハイ、チーズ」

 シャッターが切られ、画面に写真が映し出される。

「プフッ。下手なりに笑えてんじゃん」

 と見せてくる。いいよいいよと振り払いながらチラッと見てみる。

 そこには千紗の屈託のない笑顔があった。

 よかった。見たかった笑顔だ。それも俺の隣で。

 微力ながら多少は、俺も千紗を笑顔にする手助けができてんのかな。

「ほら、いいから返せよ」

「消しちゃダメよ」

「わかったわかった」

 というその顔は嬉しそうだ。

 少しずつ灯が消え始めた。

「あ、最後見ておこうよ」

 と千紗はしっかり座りなおす。庸平もしみじみと見上げる。

 俺の作品はこの灯だ。大事な人に光を届け終わったらさっさと消える。

 消えてやっと、この灯の存在は美しいものとなる。


 帰途につく人々で道がごった返す。二人はその流れの中にいた。

「大丈夫?なかなか進まないけど」

「ああ。今日くらいのんびりゆっくり行くのもいい」

「ほら、庸平もたまにはそういう時間が必要なのよ」

 千紗には庸平のペースを崩す才能があるらしい。

 どうも調子が狂う。だが狂いたい庸平もいた。というより、長年覆われてきた鎧からの束の間の解放に浸っていたいのだろう。

「庸平は、この任務が終わってもチームのリーダーやってくれるんでしょ?」

 千紗が急な話題を出してきた。

「俺は残念ながら長っていう柄じゃないな。

 長は言わば家だからね。

 みんながその下に集まり、帰ってくる」

「じゃあそうなればいいじゃん」

「俺は嫌われる方が楽だ」

 そう言いながら信号を待っているところで、庸平にメールが来た。

 画面を見る庸平の眉間にみるみる皺が寄る。

斎藤からだった。一瞬で仕事の頭に切り替わる。

 ふと、画面から顔を上げて隣に建つビルの方に目を向ける。そのガラスに写る自分を見てギョッとした。

 亡霊だ。

 喜怒哀楽も殺気すらも何もない。無である。

 これが俺の鎧の姿なのか。否、これが俺自身だ。このただの美学の入れ物が。

 この入れ物に千紗が感情という生を入れてくれる。だが仕事を思い出すとすぐにこれだ。

 庸平の最も深い闇の部分、ここまで千紗に見せる勇気はまだない。

 やはり俺は、本当には、わかってもらえないよ。

「どうしたの?」

「いや、ちょっと考え事していた」

「仕事のメール?大丈夫?」

「ああ。大丈夫、今は一旦忘れよう。

 せっかくの息抜きだ」

 通りを抜けると人影が減ってきた。

「ありゃなんの明かりだ?」

「あそこは…竹林のあたりじゃない?」

 曲がってみるとまさにそうである。

 空まで伸びる竹林の真ん中を一本道が貫く。

 その竹を下から緑の光が照らす。


 緑の世界へ足を踏み入れると、視界が途絶えた。そこへ今度は、薄暗い青の世界が広がった。

 前後を歩いていた人々の姿も消えた。竹林も。

 代わりに立っているのは、廃れた鳥居に、石灯篭に…。

 灯はない。だがすべてが、それ自身が光を出しているかのように、あるいはそれ自身が闇に溶け込むかのように、世界を織りなしていた。

 そこに千紗を見ようと思えば見えた。うつろに前を見つめ、着物から出る白い首すじが薄青く光る。

「大丈夫?」

 千紗の声で庸平は我に帰った。

 今のはいったい…。夢か…?


 基地へ帰り着く頃には日が変わろうとしていた。

「今日は、息抜きになったか?」

「うん。楽しかったよ」

「それはよかった」

「明日からまた頑張るから、よろしくね」

「ああ」

「来年もまた行けるかな」

 一瞬呆然とした後、庸平は顔いっぱいに喜色を浮かべた。

「ああ!行こう!」

 うん、と千紗は部屋に帰っていった。

 それを見送ると、庸平は自分の部屋には戻らず斎藤の部屋へ向かう。

 一瞬顔をしかめ、平手で頬を叩き、扉の前に立った。

「俺だ、戻ったぞ」

「おう、入れ」

 斎藤はベッドに座っていた。庸平も向かい合って椅子に座る。

「で、どうだった?」

 むかつくほど好奇の目を向けてくる。

「余計なことしやがって」

「なんだ?弾まなかったのか?」

「いや逆だ」

「じゃあいいじゃねえか。ちゃんと千紗の気は引けたか?」

「それも逆だ」

「つまりお前の方がぞっこんなわけだ」

 庸平は額をおさえながらため息をつく。

「本当にそうらしい。早く任務を終わらせておさらばしよう」

「何がいけない?何をそんなに恐れてる?」

「欲ってのは平常心を壊す。美に従って作り上げてきた俺をブレさせる。

 特に惚れた晴れただのは平常心を鈍らせる。生への執着を持たせる。

 男は死ぬべき時に死ねる覚悟がないといかん。生への執着があればいざってときに捨てれん。だから俺は無で生きてきた。

 幸せを知って上がることを知るから、落ち込むんだ。己の感情は波風立たせず。いちいち動揺して落ち込んでちゃ、美学を守る者としていざという時決心が鈍る」

「お前は死ぬために生きてんだな」

「極論そうだな。俺たちは、俺たちの仕事は常に腰に銃を、刃物を身に着けている。

 これは常に人を殺せるものを腰に刺しているんじゃない。

 常に自分を死地に送れるものを腰に刺しているんだ。個人も国も、武器を持つってのはそういうことだ」

 庸平は一口ペットボトルの水を飲んだ。

「で、あのメールはなんなんだ」

「書いた通りだ。基地の周りに怪しい奴らがうろついている。

 ここが嗅ぎ付けられるのも時間の問題だ」

 庸平がまた仕事の顔になった。

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