27 力になりたい
いつだか、光ちゃんが言っていた。今日どんなことがあったとしても、明日は必ずやってくる。それは人によって、希望にも絶望にもなる。その言葉を、今ようやく身を持って理解できた気がする。
昨日の俺にとっての〝明日〟は、絶望とまではいかなくても、間違いなく希望ではなかっただろう。こんなにも気分が乗らない登校は久しぶりだ。あれからまだ、胸の奥がモヤモヤしている。
誰かに吐き出しさえすればいくらか楽になれるなんてことは、俺の頭でもわかる。しかし残念ながら、一晩経った今でも、その決心はつかなかった。ちいサポ会のみんななら、とも考えたが、そもそもみんなは千歳のこと自体知らない。光ちゃんにさえ、話していない。
みんなを信用していないとか、話したら引かれそうとか、そういうことじゃない。ただ、本当に勇気が足りない。
ブルーな気持ちのまま、自転車のペダルを回す。自転車で移動しているときは、否応なしに意識を集中させられる。少しでもぼーっとしたら、事故を起こしかねないからだ。
「秋人君!」
後ろから聞き慣れた声が聞こえて、はっとする。
自転車から降りて振り返ると、そこには冬樹がいた。小春も一緒だった。
俺は、頑張っていつも通りに振る舞う。いつもの笑顔で、二人と話す。
「おー、偶然じゃん! つか、何で二人でいたの?」
「こっちも偶然! 私、通学のとき駅前通るんだけど、そこで冬樹君と鉢合わせたんだよ。それでここまで一緒に来たの!」
「僕が改札通るタイミングと小春ちゃんが駅前横切るタイミングが、たまたま重なったんですよね~」
「なる~。じゃあ今までもすれ違ってたんかなぁ」
「確かに、それはありそうですね。あ、そういえば、数学の課題やってきました?」
「それ、私のクラスにも出された! あれ、超難しかったよね?」
「うん、もー、全っっっ然わかんなかったけど、頑張ってやった。あとでちょっと教えてくんね?」
「私も絶対教わる側だし、冬樹君お願い!」
「いや、僕だって、人に教えられる立場じゃないですって。実際半分以上わかんなかったですし。要さんたちに頼みましょうよ」
「よーし! 今日の集まりん時に……あ、でも今日出すのか。返ってこねーか」
「あーそっか。課題、前もって写真撮って送っとこうかな」
「とりあえずそうしましょうか。赤ペンで色々書き込んでもらいましょ~」
やっぱり、気持ちが沈んでいるときでも、いや気持ちが沈んでいるときだからこそ、友達と話すのは楽しい。俺の心のオアシスだ。
──話したいな。話して、楽になりたい。
なのに。
一歩が踏み出せない。
「秋人君、大丈夫ですか?」
「へ?」
不意に、冬樹から聞かれた。大丈夫って、何を聞かれたのか一瞬わからなくて返答に困ったが、すぐに、あぁ、昨日のことか、と理解する。
「ほら、昨日の集まりのとき、何だか上の空だったじゃないですか」
「うんうん、元気なかったように見えた。今はそんな感じしないけど」
「あー……」
それは二人のお陰だよ、と言いかけて、口を結ぶ。
「ありがと。でも大丈夫、ちょっと眠かっただけだから! いや、眠かったというか、疲れてたっていうか」
「そっか。でも、もし何か悩み事があったらいつでも言ってね。聞くだけしかできないかもだけど」
「そうですよ。お節介かもしれませんけれど、少しでも秋人君の力になりたいんです」
「……うん、ありがと」
力になりたい。その言葉だけでいくらか救われた気になってる自分が、単純すぎて恥ずかしくなる。
俺は本当に、自分にはもったいないくらいの良い友人を持ったものだ。
✳
ようやく午前の授業が終わり、昼休み。
何だか、普段の倍疲れた気がする。授業も、全然何を言っているのかわからなかった。いや、それはただの俺の勉強不足か。
弁当も食っちゃったことだし、スマホでも見てようかな。こんな状態でも、食欲だけは人並み以上なのが俺だ。
──七夕までも、こんな風にいつも通り過ごしていくのかな。みんなと喋って、飯食って、たまに部活の助っ人行って、スマホ触って、気が向いたら勉強して。今までと何も変わらないはずなのに、何で心に引っ掛かりがあるんだろう。
何か、スマホ触るのもだるいなぁ……。
そう、机に頭を突っ伏していると。
「疲れてんのか?」
「っ!?」
突然、隣から声が聞こえ、頭を上げる。声の聞こえた方向へ目線を向けると、何と、廊下側の窓枠の向こうに光ちゃんがいた。冬樹も一緒だった。
「え、な、何で」
「いや、急にこいつが教室来て、お前が元気ないから様子見てくれって頼まれたんだよ」
「冬樹が?」
「はい。やっぱりちょっと心配だったので。迷惑だったらごめんなさい!」
「迷惑なんて、そんなわけねーじゃん。光ちゃんの顔見れて嬉しいよ。サンキュー!」
そんなに俺のことを気にかけてくれているのか。嬉しいと思う反面、やっぱり悪いな、とも感じる。
だって、何も返せてないんだから。
「で、お前やっぱ何か悩んでんだろ」
「え?」
この問い掛け、来るとは思ってたけど、いざ実際にやられると、身体が固まってしまう。光ちゃんは、短く溜息を吐いた後、少し声を和らげて続ける。
「お前の顔色見りゃわかるよ。何年の付き合いだと思ってんだ」
あ──。
その、さらっと言い放たれた、耳に溶け込むように優しい言葉に、思わず息を呑んだ。
光ちゃんは昔っから、飴と鞭で言うと鞭の方が多くて、照れ屋で不器用で、ポジティブな感情はあまり表に出さない。それだけに、いきなりこんなこと言われると、目が熱くなる。
少しだけ、本当に少しだけなら、話せる、かも。
「……やっぱ、敵わないなぁ」
すうっと、短く息を吸う。そして、話し出した。
「昨日、昔の友達──の、妹っぽい子にたまたま会って、少し話したんだよ。話し方も顔も、めちゃくちゃ似てたなぁ。……あっ、その、昔の友達っていうのは、小三の頃に知り合った奴で、今は、もう、会えないんだけど」
会えない。自分で言って、改めて痛感する。
「でも──会えなくしたのは俺だから。それを、思い出しちゃって。ちょっと、落ち込んでた」
二人は、ここまで何も言っていない。ただただ、俺の言葉に耳を傾けている。それが二人なりの優しさであることは、痛い程わかった。
と。
「そうだったんですね」
冬樹がぽつり、静かに呟いた。
どんな言葉が続くんだろう、と身構えたけれど、俺が心配しているようなことは起こらなかった。
「今日の集まりは、行けそうか?」
冬樹と同じトーンで、光ちゃんが尋ねてくる。
「それは大丈夫。寧ろ、気も紛れるだろうし、そうしたい」
「ん、そうか」
「今日は……数学の課題以外は特に何もないですけど、まぁいつも通り、一緒に時間潰しましょ」
「……うん」
二人は最後まで、何を聞いてこなかった。
騙してるみたいで罪悪感を覚えるが、それよりも感謝の気持ちが勝った。そんなに深くまで話す勇気は、俺にはまだなかった。「聞かないで」オーラが、二人にもわかるくらい溢れ出ていたのかもしれない。
でも、一応深掘りしないでくれたけど、二人だって気になるに決まってる。いずれ全部、詳しく話さないといけない。
抱えている荷物を少しでも減らせたと思ったのに、できることなら全部なくしたかったのに、また新しい重荷が積まれてしまった。心が沈んでいくのを感じる。こんなことになるんなら、いっそ思い切って話してしまえば良かった。
秘密は話すタイミングを逃す程、呪いにでもかけられたように話せなくなる。このまま行くと俺は、墓場まで持っていく覚悟をせざるをえなくなるだろう。
二人が教室を去った(冬樹は図書室に行ったらしい)あと、色んな考えを巡らせていると。
「おーい」
ハスキーで落ち着いた声が、またしても横から俺の耳に入り込んできた。声の主は、これまたよく知っている人物だった。
「要さん!?」
「よっ。昨日のお前の様子が気になったもんだから、ちょっと見に来た」
「え、てか、さっきも光ちゃんと冬樹が来てたんだけど、そのことは?」
「あ、マジで? いや、何も聞いてない。そういや、一旦教室戻ったとき、光の奴いなかったな」
「じゃあ、要さんが教室出てるときに、光ちゃんが冬樹に呼ばれて行ったってことか」
「だろうな。俺と同じように購買でも行ってたのかと思ったが、そういうことだったのか。入れ違いになったみたいだな」
「だね」
まさか要さんまで来てくれるなんて。というかみんな、俺の様子が気になってって言ってるけど、俺そんなわかりやすいか? まぁ確かに、ババ抜きもめっちゃ弱いけど。
「ところで秋人」
「な、何?」
思わず、身体がビクッとなる。やっぱり聞かれるんだろうな、と思った。
が、実際続いた言葉は、予想の斜め上を行くものだった。
「お前、ソシャゲに興味ないか?」
「……へ?」
ソシャゲって……あれだよな。スマホとかでできる、キャラをガチャで引けて戦わせるって感じの。細かい仕組みはわかんないしゲームによって違うだろうけど、そんなに複雑なやつではないはずだ。でも、何でいきなりそんな。
「全然興味ないってわけじゃない、けど……。どうして?」
「いやぁ、自分の趣味って共有したいもんとしたくないもんがあんじゃん。あまりにコアすぎるとしたくなくなるんだけど、俺が今やってるやつはわりと一般向けなんだよ。だから、秋人にもおすすめしたいなって」
「へー! じゃあ入れてみよっかな。タイトルは?」
要さんからタイトルを教えてもらい、アプリをインストールする。
「俺ソシャゲ全然わかんないからさ、色々教えてよ」
「うん。あ、でも、冬樹の方がやり込んでるし、あいつに聞いた方が良いかもしれん」
「冬樹もやってんだ! ますます楽しみになってきた」
「あと、これは俺の意見だけど、Wi-Fiない場所ではなるべくやらない方が良い。データ食うからな」
「あー、動画や音楽とかもある感じだもんね」
要さんは、自分の趣味について俺たちに話すことはするが、勧めることはほとんどない。俺としては、本人がそうしたいのならそれでも構わなかったけれど、勧められたら勧められたで、何だか仲間として認められたみたいで嬉しい。自分の好きなものを共有したいと思えるのは、相当心から信頼している仲だからだ。
「その、何だ。色々疲れたときとかにやると、良い息抜きになると思うぞ。まぁ別に、これじゃなくても良いんだけど。とにかく、そういうことだ」
──あ。
そうか。ようやくわかった。要さんが、昼休みにわざわざ階を下りてまでソシャゲを勧めてきた理由。
「漫画とかも考えたんだけどさ、お前が普段やらなそうなものの方が良いかなと思って。その方が触れるとき、わくわくしてくれるかなって。ほらお前、普段触れてきてないからって、人が勧めてきたもんを興味ないとか言って突っぱねるタイプじゃないだろ?」
「……はは。それは、そうかも」
要さんは一見クールで冷たく感じるが、その実、情に厚くてとても俺たちを思ってくれている。今回も、まさにそれが言葉の端々から伝わってくる。
「要さん」
「ん?」
「ありがとう」
「……ん、どういたしまして」
そう返した要さんの表情も、和らいでいた。
そんな要さんも帰り、とうとう暇になってしまったな。そう思った矢先、チャイムが鳴り響いた。昼休みが終わったらしい。次の授業の準備しなきゃ。
『ブーッ、ブーッ』
「……ん?」
支度途中、不意にスマホが震えた。何らかの通知が届いたのだろうか。一応、見てみるか。
スマホを開いて見てみると、小春からメッセージが届いたのだとわかった。急いでアプリに飛んで、確認する。
グループだったので、俺をメンションしながら、
『やっほー😆 元気? 昼休み唯ちゃんと一緒に秋人君の教室行こうとしてたんだけど、ちょっと面倒なこと起こっちゃって💦 ほんとごめんね💦』
と書かれていた。
読んでいるうちに、唯奈先輩からのメッセージも来た。
『余計なお世話かもしれないけど、元気がなかったら励ましたいなって思って。でも色々あって行けなかった。本当にごめん💦』
「そんな、いいのに」
急用があったのなら仕方ない。というか寧ろ、それを蹴ってまで俺を訪ねる理由なんかないはず。なのに、二人は俺に謝っているのだ。
訪ねようとしてくれた。その気持ちだけで嬉しい。
唯奈先輩のメッセージは、こう続いていた。
『それでも、これだけは言っておきたいかな。どうか、溜め込まないでほしい。私たちを、遠慮なく頼ってほしい』
その下にも、小春の『初夏と美玲ちゃんも、心配してるからね』という一言と、スタンプが続いている。
思わず声が漏れた。
「何て善人だよ……」
授業が始まってしまうので、大急ぎで返信する。
『メッセありがと😆 気持ちだけでもめっちゃ嬉しいから気にしなくてもだいじょぶ👍 あと、こっちこそ心配させちゃってごめんね』
送信したところで授業開始のチャイムが鳴り、スマホを閉じる。
授業中も、みんなのことで頭がいっぱいだった。
本当に、俺は良い友人たちを持ったもんだ。俺の身には有り余る、素敵な人たち。
そんな彼らに対して、俺は一体何を返せるのだろうか。返すことができるのだろうか。
返せるものがあるのだとしたら──答えは一つだ。みんな揃って、俺の力になりたがっている。それに応えるのが、最低限の誠意ってもんだろ。
腹を括れ。覚悟を決めろ。勇気を出せ。
大丈夫だ。
──よし。もう決めた。
今日の集まりのとき、みんなにちゃんと話そう。
今のところ、光ちゃんと冬樹にしか話していない。その二人にさえ、全てを話しているとは言い難い。話すなら、このタイミングしかないだろう。
あ、でも、数学の課題……は、仕方ないか。そんなことばかり気にしていたら、どんどん話せなくなる。それにみんななら、俺の話で時間が潰れても、怒りやしないよな。
うん。あとは、その時を待つだけだ。
午後の授業(正直ほぼ聞いていない)が終わり、掃除も終わり、帰りのHRも終わって、冬樹に声を掛ける。
「冬樹ー! 一緒に行こうぜ!」
「あっ……はい!」
俺の顔を見て、安心した様子で返事をした。やっぱ俺、結構顔に出てんのかな?
まぁいっか。安心してくれたなら。
「あのさ、冬樹」
「ん?」
「色々、ありがとね。力になりたいって言ってくれたの、すごい嬉しかった」
「……ふふ、お礼を言われるようなことじゃありませんよ。友達として、当然のことを言ったまでです」
「それでも、大袈裟かもしれないけど、俺はすごく救われた。冬樹と、冬樹たちと出会えて良かったよ」
「ははっ、嬉しい言葉言ってくれるじゃないですか。そう思ってくれて、何よりです」
二言三言会話を交わしつつ、教室を出て、下駄箱に到着した。下駄箱付近は、外からの熱気が入り込んできていて、すごく蒸し暑い。
なのに、足取りはとても軽かった。上履きを脱いで、スニーカーに履き替え、炎天下へ出る。
「さてと、俺はいつも通り自転車取りに行くけど、どうする? ついてく?」
「じゃあ、ついてきます! あ、もうすぐ要さんたちも来そうですし、どうせなら巻き込んじゃいましょうか。嫌がりそうな人もいますけど」
「良いじゃんそれ! 嫌がったらそん時はそん時で──」
ふっと、視線を前に向ける。
俺らと同じく喋っている人。グラウンドにいる人。様々な生徒がいるが、俺の視線は、ある一人の人物から離れなかった。
昇降口から正門まではそこそこ距離がある。ここから正門付近にいる人の顔立ちは、はっきりとは見えない。
でも、それでもわかった。あの背格好、髪型。あの頃と全く変わらない。
背筋が凍り付いていくのを感じる。
どうして?
「千歳の……お母さん?」
「秋人君? どうしたんですか? 何か、様子がちょっと、おかしいような」
冬樹が何か声を掛けてくれているが、何も耳に入ってこない。
何で? 何で? 何で?
まさか、自分の娘──
……怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。
目的がわからない人間は、こんなにも怖い。
周りの視線も、声も、隣にいる冬樹のそれらさえも、全てが気持ち悪くて鬱陶しい。何も見たくない。聞きたくない。俺を見るな。何も喋るな。
……違う。それより、何であの人がここに?
あの人とは、もう二度と会うことはないと思っていたのに、二度と会いたくなかったのに。
だって、あの人は、俺に──。
「……秋人君? 本当にどうしたんですか、秋人君!? 秋人君!!」
気が付いたら俺は、その場にしゃがみ込んでいた。
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