28 向き合う時

 俺はいつの間にか、学校の保健室にいた。冬樹と、下駄箱前で合流していたらしい光ちゃんたちに付き添われて、ここに流れ着いた。光ちゃん曰く、俺は光ちゃんたちに素直に従って、自分の足で保健室へ行ったらしいが、全くと言って良い程記憶にない。移動中、俺は光ちゃんたちに何か聞かれても大した反応を返さなかったらしいが、それも記憶にない。

 もう何もかもがパニックで、キャパオーバーだったのだろう。

 保健室の先生が校内の巡回に出て、光ちゃんたちも、先生たちに促されて先に公民館へ行ったので、今保健室にいるのは、俺と雫先生と、担任の春樹先生だけだ。

「本当に記憶にないんだな」

「……はい、全然」

「……そうか。パニック状態だったってわけか」

「差し支えなければ、何故そうなったのか教えていただけませんか? 断片的な理由でも構いません。秋人君の心の内を知りたいのです」

「……うん、わかりました。上手く説明できないかもしんないですけど」

「大丈夫だ。お前だって、パニックになりたくてなったわけじゃないもんな。説明できなくて当然だよ」

「……ありがとう」

 優しい人たちだな。こっちが苦しくなるくらい。

 先生たちも、昨日から俺のことは気にかけている様子だった。先生にも友達にも心配させちゃって、本当ダメな奴だな俺。

 息を整えて、話し始めた。


 全部話し終えた時、二人の目は見開かれ、顔は青ざめていた。必死にかける言葉を探しているが、適切なものが見つからない、といった様子だ。

 こういう反応は、予測できていた。けれど、実際やられると、何とも言えない気持ちになる。

「ごめんなさい、あの、そんな顔させたかったんじゃ」

「いえ。私たちこそ、大した返しもできず、申し訳ありません。しかし、何故秋人君のご友人──千歳さんのお母様はここまで押し掛けてきたのか、そこが些か疑問ですね」

「そりゃあ怖いよな。そんな相手が、前触れもなくいきなり自分のこと訪ねてきたらさ。頭ん中真っ白になるのが当然だ」

「うん。それがわかってくれただけでも嬉しいっすよ。ありがとう」

 気遣いでも何でもない、現在の率直な心中が口から溢れた。別に、慰められたかったわけではなかった。ただ、俺の気持ちを理解してほしかったんだ。

「昨日も、妹さんが来てたんだよな?」

「そうですね。多分、てか絶対、そのことが関係してるんだろうけど……」

 幾ら俺でも、それくらいはわかる。頭ではわかっているが、どうしても心が恐怖に支配されてしまう。

「集まりは、どうされますか? 昼休み、光君たちには『行く』と言ったらしいですが」

 雫先生が、こちらを気遣う眼差しを向けながら、問う。

「行きたい──って言いたいところだけど、今日は少し、一人にさせてほしいです。ごめんなさい」

「謝らなくていい。今回ばかりは事情が事情だ。しかし……どうする? 帰りは裏門から出るとして、秋人が話をしたくないなら、俺や雫先生が話をつけることもできる」

「じゃあ、お願いしようかな」

 俺は言ったあと、後ろめたさから少しだけ目線を外したが、春樹先生はすぐに合わせてきて、こう告げた。

「──あと、これだけは言っておく」

「え?」

「お前は、誰も殺してない」

「っ!」

 雫先生も、同じタイミングで力強く頷いた。

「……はい、ありがとうございます」


 保健室を後にし、下駄箱で自分の靴を履き替えて、裏門からそそくさと出る。

 一瞬、まだ正門前にいる千歳の母親が視界に入り、息が詰まり身体が縮こまったが、何とか平静を保つことができた。良かった。先生たちに話したお陰かな。肩の力もだいぶ抜けてる。

 これからどうしよう。まぁ、家に帰るんだけど、暇になっちゃうな。

「……はぁ」

 自分で『行かない』と選択した癖に、どこかブルーな気持ちになっている。まだ、みんなとじっくり話せていない。初夏と美玲に至っては、今日は顔すら見れていない。その二人だけでも、顔見たいな。

 と、思っていたら。

「あれ? 秋人?」

 聞き慣れた、凛としていてかつ可愛らしい声が、後ろから聞こえた。驚いて振り返ると、まさに直前に思い浮かべた二人が、歩道に立っていた。二人はランドセルを背負っている。下校中で、公民館へ行く途中だろう。

「偶然じゃん。今から公民館だろ?」

「あ……」

 そうか。二人ともまだ知らないんだ。

「えっと、ごめん。今日はお休み貰って。そのまま真っすぐ家に帰るつもり」

「あ……あぁ、そうなんだ。珍しいな。体調でも悪いのかよ?」

「まぁ、そんな感じ」

「なら、引き止めちゃって悪かったな。早く帰りたいだろうに」

「いやいや! 寧ろ二人の顔が見れて嬉しい! 今日会えないのかなーとかちょっと諦めてたから。大好きな二人に会えて、それだけで元気出てきたよ!」

「そっ、そういうことあんま馬鹿正直に言うなよ!」

 少し怒った様子で返す初夏。そういや光ちゃんも、理由はよくわからないが、たまに初夏と同じ感じで怒る時がある。つくづく、似てる二人だよなぁと思う。初夏の横にいる美玲は、表情には出していないが、どこか嬉しそうだ。

「でも、そっか。今日いないんだな。何かちょっと……静かかも」

「え?」

「だって、会話始めんの大体秋人だろ。まぁ、ハル姉の時もあるけど」

「あーまぁ確かに、言われてみれば? なら、小春が倍喋ってくれるかもね~」

「それはそうかもな。じゃ、今日はゆっくり休めよ。またな!」

「うん! また明日!」


 手を振って、公民館とは反対方向──つまり自分の家の方向へ、自転車を押しながら歩き出す。

 すると、何かに掴まれているような感覚を覚えた。思わず振り返ると、美玲が、少し触れただけで折れそうな程細い腕で、俺の制服の裾を掴んでいた。

「え、どうしたの」

「……明日」

「明日?」

 美玲の声は、その身体に比例しているかの如く、壊れそうでか細い。

「……明日は、絶対、来てほしい。……約束」

 その声でそう告げると、これまたとてもか細い、右手の小指を差し出してきた。指切り、ということだろう。

 約束か。正直に言うと、明日も来れるのかどうかわからない。でも、約束しようと告げられ、明日は何が何でも集まりに行こうという気持ちが強まった。

 俺も、小指を差し出して応じる。

「……うん、約束!」

 初夏も駆け寄ってきた。

「俺もやる! 美玲がやるから仕方なく、な。その代わり、明日は絶対来いよ。美玲悲しませたら許せないからな!」

「おう!」

 何でだろう。指切りって、小指同士を組み合わせるだけなのに、胸が温かくなる。そして、約束を絶対に果たしたい気持ちになってくる。不思議だなぁ。

 よく千歳とも、こんなことしてたっけ。


 二人と別れ、我が家へ真っすぐ向かう。歩きながら、今後について考えた。

 やっぱり、千歳と、千歳の母親の件は、俺自身がけりをつけなければならない。今日は先生たちに頼ってしまったが、これは俺の問題だ。これ以上逃げる訳にも、人に頼る訳にもいかない。

 明日、笑顔でみんなと会う為にも。向き合わなきゃ、塗り潰したい過去に。

 その為には、まず──。

「墓参り、かな」

 本当は、来週の七夕の時に行った方が良いんだろうけど、まぁ、良いか。ずっと行ってないんだし。

 だって──。

「……いや、ごちゃごちゃ考えたらダメだ」

 嫌な記憶に呑まれそうになる。でも、それに恐れて、いつまでもうじうじしていたら、一歩も進めない。ずっとずっと、そうして目を背けてきたんだろ。だから、もう終わりだ。

「──しゃあっ!」

 気合い入れに、両手で両頬を叩く。これをすると、自然と気が引き締まる。中学の頃からよくやってきた方法だ。

 さて、千歳のいる寺に行くか。俺の家と同じ方向なはずだから、このまま真っすぐ行けば良い。

 あ。

「花とか買わなきゃ」

 そうだそうだ。手ぶらで行く訳にはいかない。既にお供えはされてあるだろうけど、何も持っていかないよりはずっとマシだ。最寄りのスーパーで買うか。

「……よし」

 今こそ、向き合う時だ。

 確かに、逃げるのは楽だ。自分の好きなことだけにのめり込んで、都合の悪いことは見て見ぬふり。そうすれば、気持ちには余裕が生まれる。しかしそれは一時的なものに過ぎなくて、その都合の悪いことも、自分の視界に入ってこない箱の中に仕舞われただけで、何の解決にもなっていないんだ。

 本当は、とっくにわかっていた。わかった上で、それさえも箱の中に仕舞っていた。

 開けなきゃ。開けて、取り出そう。

 最寄りのスーパーで、花を何束か買った。お供え物のルールみたいなのはよくわからないが、どうせなら華やかな方が良いだろ。

 早いとこ寺に向かおう、とスーパーを後にし、数歩進んだところで、足が止まった。

 ──千歳の家族も来ているだろうか。

 もちろん、一番来そうなタイミングといえば来週だが、今日も来ている可能性もあるっちゃある。

 その場合、俺は。

 堂々としていられるだろうか。

 一瞬、そんな不安が頭に過るが、すぐに振り払った。たらればの話ばかり考えていても仕方がない。現地に到着しなければ始まらない。

 急ごう。


「……着いた」

 開かれている門の付近に自転車を置いて、ロックを掛けておく。その中へ入り、石畳を進む。右側に並んでいるお地蔵さん。辺りに茂っている草木と花々。春には綺麗な花を咲かす桜の木。入ってすぐ、一際目立つところにある、千歳に別れを告げた寺院。全部、久しぶりの風景だ。当たり前かもしれないが、久しぶりすぎる寺は、記憶のある範囲でも、変わっている箇所も変わっていない箇所もあった。

 墓が並んでいるのは寺院の後ろで、千歳が眠っているのは、確か奥の方だったはず。墓の場所さえも曖昧で、改めて、自分が何年も逃げていたことを痛感してしまう。千歳は、そんな俺に怒っているだろうか。寧ろ、怒ってほしいな。いや、千歳じゃなくても良い。誰でも良いから、叱ってほしい。何やってんだって、馬鹿なんじゃねーのって。みんなは優しいから、そういうことはできないだろうし、実際、話した時の光ちゃんたちの優しさは胸に滲みた。でも、逆にバッサリ切り捨ててほしい気持ちは、今でも確かにある。

 夏特有の草木の匂いが辺りを漂う。匂いと記憶は一番密接な関係にある、とどこかで聞いたことがある。どうやら、それは本当らしい。匂いを感じ取った瞬間、あの時と同じ匂いだ、と悟った。そして、それに関連した記憶が、水のように湧き出てきた。

 暑さからのとは違う、変な汗が顔を伝う。みんなに叱ってほしいと願っておきながら、当時の、まだ今も続いている千歳の母親に対する恐怖心だけは理解してほしいとも願っている。全くもう、滅茶苦茶だよ。我儘すぎるよ。自己中すぎるよ。ダメだな。ダメ人間だ。俺は、本当に──違う! そういう後ろ向きな考えはやめろ! 落ち着け。冷静になれ。墓参りのことだけ考えろ。

 水を入れた水桶と柄杓を持って、いよいよ千歳の墓へ向かう。頭ではあやふやでも身体は場所を覚えているのか、なんとなくふらふらと足を運ばせていると、案外すぐに目的地に到着できた。

 そこに千歳の家族の姿はなかった。が、両端の水受けに挿されている真新しい花が、ここへ訪れた時期を物語っている。恐らく、来週にも来るだろう。

「ごめん千歳、待たせたかな」

 自然と声が出た。おかしな発言だな。待たせた、なんてものじゃないだろうに。

 墓に水をかけ、水受けに買ってきた花を挿す。千歳の家族が次に来た時、見知らぬ綺麗な花が増えているのを見たら、どんな感情を抱くんだろう。

 あっ。線香を買ってくるのを忘れた。一番重要なやつじゃん。まぁ、今日は仕方ないか。できることだけやって帰ろう。この、鳴らすやつって、線香なしでも鳴らして良いんだっけ。こういうルールも、しっかり知っておいた方が良いよな。これから、墓参りする機会が増えるかもわからないし。


 暑い。全身に汗がまとわりついているのを感じる。身体中ベタベタだ。こんなことはいけないが、この場で衣服を全部脱いで、そのまま水桶に入っている水を浴びてしまいたい気持ちになってくる。とりあえず、常備している制汗スプレーを浴びる。気休めにしかならないだろうけど、何もしないよりはマシだ。

「ふぅ」

 髪がうねるからと、あれだけ嫌っていた梅雨の時期が恋しい。まぁあの時期もあの時期で蒸し暑い時はあったけど。今は、木々にとまっている蝉の声、一ヶ月前の同じ時間に比べ位置が高くなっている太陽、青々とした空とそこに浮かぶ入道雲、草木の匂い、どこを切り取っても〝真夏〟そのものだ。

 嫌なくらい、記憶が鮮明になっていく。と、同じような環境。同じような気候。

「……帰るか」

 やれることは全て終えた。あとは帰るだけ。帰ったらすぐ、シャワー浴びよう。今この状態で、知り合いと会いたくないなぁ。中学ん時は、部活で汗だくなんていつものことだったし、そのまま人に会うことにも抵抗なんてなかった。こないだ偶然出会った中学時代の同級生に「色気づいたか~?」とかいじられたっけ。自分が気付いてないだけで、意外と変わっちゃってるもんなんだなぁ。

 墓の集まりから脱出し、水桶と柄杓を、もとあった場所に戻す。行きと同じ石畳を辿っていき、無事門から出ることができた。その足で帰宅しつつ、考えていた。これで、前よりは前進できただろ。今までが後ろすぎただけか、とも思う。

 もちろん、今日の墓参りだけでは、根本的な解決とは言えない。やるべきことはまだ沢山ある。

 例えば。

「千歳の家族とも、ちゃんと話さなきゃダメだよな」

 千歳の家族とは、昔は交流があった。お見舞い時間が重なる日もあり、度々言葉を交わしていた。特に千景とは、時には千歳や秋葉とも一緒に、よく遊んでいた。当時幼稚園児程だった千景は、病院での待ち時間が退屈で仕方なかったらしい。だから、進んで遊び相手になってくれている俺のことを好いている、と母親は言っていた。俺も、千景と遊ぶのは楽しかったし、かわいい妹が増えたみたいな気持ちになっていた。母親には、うちの子と仲良くしてくれてありがとう、という感謝の言葉もよく言われた。父親は仕事が忙しいらしく、顔を合わせることは少なかったが、俺に対しても優しく接してくれたのを覚えている。両親ともに優しい人で、千歳と千景があんな風に穏やかに育ったのも納得できた。

 俺は千歳だけではなく、千歳の家族とも至って良好な関係だった。あの日までは。


 だから、千歳の家族、と以前のような関係に戻れなくては、自分の心のモヤモヤが晴れることはないだろう。

 ──いや違うな。一番、俺が話さなければならないのは、間違いなく母親だ。

 言葉を交わすこと自体は可能だろう。事実、今日だって、恐らく俺に会いに学校へ来たのだから。

 しかし、やはり俺は、千歳の母親が怖い。あの日──千歳の死について、責め立てられた日から。

 千歳の葬式の時、まさにあの寺で。「ねぇ秋人君、どうしてあの時、千歳の病室にいなかったの?」「あなたがあの場を離れていなければ、千歳は助かったのかもしれないのよ?」「ううん、責めている訳じゃないの。ただ、どうしてなのかなって」など、温度のない声色で言われた。「千歳が亡くなったのはあなたのせい、あなたが殺した」と、直接言っている訳ではないし、実際そういう意味はないと口では言っていたが、そういった意味を含む言葉だった。親友を失って、悲しみに暮れている当時の俺にとっては、あまりに強烈すぎる。そんな言葉を、あの人は投げてきたのだ。

 ずっと信頼していた人に裏切られた、それどころか脳天を直接殴られた、みたいなショックが、心に重くのしかかった。豹変した千歳の母親を、怖いと感じた。だが同時に、言っていることはもっともだとも感じた。当日、俺は病院を訪れていたのに、千歳が発作を起こして意識がなくなった瞬間は、病室を出ていた。結果、発見が遅れて、千歳は死んだ。俺があの場にいて、千歳の異変に気付いて、ナースコールを押していれば、千歳は今でも、俺と一緒に学校へ通えてたかもしれない。なのに、俺は──。

 千歳の母親に遠回しに責められて以降、毎日毎日自分に怒りをぶつけていた。そうすることでしか、精神を保てなかった。誰かのせいにするのは楽だ。ただ、この出来事に悪人がいたとして、俺以外には考えられない。だから、当時の自分をとことん責め、追い詰め、非難した。

 そうすることでしか精神を保てなかった、なんて嘘だな。本当は俺、とっくに壊れてたんだ。


 あれから五年経って、俺は高校生になった。背も伸びて、筋肉もついてきて、声も低くなって、大人に近づいている。だというのに、中身はずっとあの時で止まっている。

 友達も増えて、世間から見た俺は『学校生活を充実している』のだろう。事実、楽しい場面も多い。でも、いつも、何か足りないのだ。ジグソーパズルの、肝心な一ピースをずっとなくしたままで、代わりにはめるものも見つからない。探す気力もない。

 それもこれも、全部終わりにしなきゃ。

「ただいま」

 家につき、挨拶をするやいなや、母ちゃんがリビングから駆けてきた。

「おかえり秋人! 大丈夫? 先生から聞いたよ、具合、悪くなっちゃったんだって?」

「あー……うん」

 先生は、母ちゃんにどこまで話したんだろう。まぁ良いか。この際だから、全部話そう。真っすぐ、母ちゃんを見つめる。

「実は今日……千歳のお母さんが学校まで来て」

 母ちゃんの顔色が変わった。両親も秋葉も、千歳の葬式に参列していたから、俺と千歳の母親とのことは知っている。母ちゃんと千歳の母親は、言わば『ママ友』で、俺たちと同様に仲が良かったが、恐らく千歳の葬式以来連絡をとっていない。

「あ、まずこれから話さなきゃなんだけど、昨日は千景が来たんだよ。二人とも、千歳のことなんだと思う。……まぁ、お母さんとは話してないからわかんないけど」

「……そっか。千歳君、もうすぐ五回忌だもんね」

「うん。色々混乱しちゃって、ちいサポ会の集まりも休んじゃったんだけど、帰ってる時頭を整理してた。それで思ったんだよ。いつまでも逃げてちゃダメだよなーって。で、墓参りに行った」

「あ……そう」

 母ちゃんの顔が、少しだけ和らいだ気がした。

「もちろん、来週にも行くつもりだよ。でもその前に、やるべきことを見つけた」

「やるべきこと?」

「千歳の家族──お母さんとしっかり話し合いたい、と思ってる」

 また、母ちゃんの顔が緊迫したものになった。

「正直、未だにちょっと怖いし、今日もこの通り逃げちゃったんだけど、でも、ちゃんと話したらわかり合えるんじゃないかなって」

 母ちゃんに話しているうちに、頭が澄んできて、だんだん自分の思いがわかってきた。

 あぁ、そうか。俺は、本当は。


「千歳が生きていた頃の、優しかった千歳のお母さんを、信じたい」


 過去は、絶対に変わらない。嫌な記憶も、良い記憶も。千歳の母親との嫌な記憶は存在する。でも、良かった思い出もたくさんある。それを否定することはできないし、したくもない。

 母ちゃんも、きっと同じ考えだろう。

 母ちゃんの視線が少し下に落ちた。が、すぐに戻ってこう告げた。

「──うん、そうだよね。やっぱそう思っちゃうよね。お母さんは、千歳君のお母さん自身と仲良かったから、余計ね。もう全然連絡とってないけど、連絡先は未だに消せないんだ」

 変でしょ? と笑う。そんなことない、と俺が首を横に振ったあと、本題に入った。

「そこでさ、お願いしたいことがあるんだけど」

「うん、なぁに?」

「連絡先、消してないんでしょ? なら、俺と千歳のお母さん、取り繋いでくれないかな。できれば今日中!」

 明日も学校まで来るかもしれないが、行動は早いに越したことはない。母ちゃんが連絡先を消していないというのは、言い方は良くないが、好都合だ。

 母ちゃんが、柔らかく微笑む。すっかりいつもの、朗らかで明るい様子が戻っていた。

「あぁ、なるほどね。すごく久しぶりだからちょっと緊張するけど、良いよ」

「……! マジありがとう、母ちゃん!」

「それで、いつが良いとかある? 場所とかも」

「うーん、土日が良いかな。場所は、ファミレスとか? まぁ、頼んでるのはこっちな訳だから、あっちの都合や希望に合わせたいかな」

「わかった! 後でやっておく。……ところで秋人」

「? 何?」

「お腹空いてない? 今ならパンあるよ」

「おおー! 食う! 食う!」

 また、またゴールに向かって一歩進むことができた。しかも、墓参りの時よりもずっと大きい一歩。ゴールまで、あと少し。頑張れ。頑張れ!

 その後、連絡をとった母ちゃんから、話し合いの正式な日程が決まったと聞いた。今度の土曜、十五時頃に待ち合わせ。場所は、寺近くのカフェ、とのことだった。

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