26 近づく七夕

 期末テストが終わり、返却された答案用紙に目を通す。

 よし、よし。どれも赤点は回避できてる。それどころか、多分平均点で比べると、この間の中間より伸びてるんじゃね? これも全部、あの勉強のタワモノ……あっ、違うタマモノ? とにかく、それだ。

 よっしゃ、と小さくガッツポーズをして、答案用紙をクリアファイルにしまい込む。それも通学バッグにしまって、準備万端。これから、ちいサポ会の集まりだ。

 隣で待っていた冬樹から声を掛けられる。

「今回の秋人君、良い感じじゃないですか!」

 俺も応じる。

「そーなんだよ! この調子なら、百点も夢じゃないかも!」

 我ながら、光ちゃんがこの場にいたら突っ込まれそうな発言だなと思ったが、冬樹は優しく「きっといけますよ~」と受け止める。

 ただ確か、冬樹の方が点数は上だった気がする。

「保体なんか、僕より全然できてますよ」

「あぁ、今回の範囲、体育の知識も結構入ってたしね」

 半分くらいがそうだった。毎回こうだったら良いのに。それならそんなに根詰めて勉強しなくて済むのにさ。ぶっちゃけ少しでも楽したいじゃん。

「さてと、お待たせ! もう行こ!」

「はーい!」

 今日はテスト明けなので、みんなと改めて見直す予定だ。

 一歩外へ出ると、そこはもう灼熱地獄と言っても過言じゃない。まだ夏はこれからだってのに、地球どうなっちまうんだ。

「明日から七月ですか~。早いもんですよねぇ」

「ね。高校生活どうなるんだろうとかわくわくしてたと思ったら、もう一学期終わっちゃうじゃん」

「本当ですよ。バイトだって始めて三ヶ月経とうとしてるんですよ僕。時の流れ早すぎません?」

「それな~。あ、俺先に自転車取り行くわ。先裏門行ってて!」

「は~い。行ってらっしゃ~い」


 うちの学校の自転車置き場は、昇降口から少し離れた、正門近くにある。ちなみに、俺たちは学校から公民館へ向かう際、裏門を使う。そっちから行った方が近いからだ。

 小走りで正門へと向かう。大きく開いた門から、大通りの様子が窺える。夕時なのもあってか人通りは多い。

 自分の自転車は、一番正門から遠いところに据え置かれている。俺は登校が遅いから、手前の方は既に埋まってしまっているのだ。

 まず、鍵を解錠して──。

「あの、すみません」

 と、微かに声が聞こえた。随分、下方から聞こえたこともあって、不思議に思って振り返る。

 ──あ。

 思わず、目を見張った。

 声の主は、初夏や美玲と同い年程の少女だった。不健康にも見えるくらい、華奢で色白な外見。学校帰りだろうか、ランドセルを背負っている。てか、ここ一応敷地内なはずなんだけど。そこまでして、俺に伝えたいことが?

「ど、どうかした?」

 彼女は、どこか覚悟のようなものを感じる眼差しで俺を見つめた後、たどたどしく言い放った。

「七夕の、予定はありますか?」

「え?」

 七夕の……予定、か。

「いや……特には」

 俺の返答を聞いた少女は、「そう、ですか」と悲しそうに俯いた。

「聞きたいことは、それだけで大丈夫そう?」

「えっと、あと一つだけ」

「ん、なぁに?」

「──私の顔に、見覚えはありませんか?」

 その質問と、彼女の俺を射抜く真剣な視線に、戸惑いながらも平静を装う。

「……ごめん、それも」

「……わかりました。やっぱり、かな。すみません、変なこと聞いて。では──お元気で」

 そう静かに言い残して、少女はこの場を後にした。


 声を掛けることもできず、ただただ彼女の後ろ姿を眺めていると、先に裏門へ向かったはずの冬樹が近づいてきた。

「あれ、冬樹? 裏門行ったんじゃ」

「いやぁ、やっぱり秋人君と一緒に行きたくて。それより、すごい真剣そうに喋ってましたけど、あの子、秋人君の知り合いですか?」

 恐らく、あの対話で待たせてしまっていたのだろう。

「あー、いや……何だろうね? わかんないや」

「ふーん」

「それより、ごめん二度も待たせちゃって。早く行こーぜ!」

「はい……」

 どこか納得していない様子の冬樹を無理矢理押しのけ、裏門へ、公民館へ歩を進める。

 しかし、俺は先程から嘘を吐いている。

 本当は、見た瞬間にわかっていたのに。あの子が俺を訪ねてきた理由も、あの顔立ちも。

 でも、知らんぷりした。

 ずるいってことはわかってる。逃げてるだけなのもわかってる。嘘なんて苦手だ。何ならバレてるかもしれない。

 それでも俺には──に会う権利なんかない。


     ✳


 家に帰ってすぐ、自分の部屋へと直行する。

 結局、何も身に入らなかった。あまりにぼーっとしすぎて、みんなに心配を掛けさせてしまった。

 通学バッグをベッドに放り投げ、自らの身も投げる。

 あーあ。何か気抜けちゃったなぁ。自分ん家だしそれは当たり前なんだけど。疲れたなぁ。俺めっちゃ頑張ったしなぁ。やっぱり、俺に頭使うのは向いてない。

「七夕……」

 自然と、その単語が口から零れる。

 丁度一週間後か。早いな本当。

 五年、今年で五年か。

 あいつが──千歳ちとせがいなくなってから。

 でも俺には、千歳の為に手を合わせる資格なんてない。俺があの時いち早く気付けていれば、千歳は今も元気でいられていたかもしれないのに。

 何もかも、手遅れだった。

 それは、俺自身の怠慢に他ならない。

 そうだ。全部俺のせいだ。

 なのに、その張本人が、千歳と顔を合わせるなんて許されないよ。

 そうだろ?

 なぁ千歳。五年も経ってんのに、俺何にも変われてない。

 笑えよ。


 っと、いけないいけない。

 らしくないなぁ、こんなぐるぐる考え込んじゃうなんて。頭切り替えろ秋人、うじうじすんな。いつまでも過去のこと引きずったって何にも変わんねぇぞ。

 そう自分に言い聞かせ、記憶から必死に後ろめたい過去を塗り潰すのもこれで何度目だろう。

 みんなに知られたら、光ちゃんか要さん辺りに「まるで機密文書だな」とか言われそう。自分でもそう思うし。

「……はっ」

 みんなのことを考えると、自然と笑みが零れる。みんなといると楽しいし、みんなが控えめに言って大好きだからだ。

 しかし一方で、俺がこんなに幸せで良いのかとも思っている。千歳は、あんな早くに……。

 だめ。考えたらだめ。止まらない。

 周りは俺のこと、底抜けに明るくてポジティブな奴だと思ってるだろうけど、実際はそうでもない。普通に落ち込むときは落ち込むし、悩みだってある。「悩みなさそ~」とか言われたときは、とりあえず笑って適当に流すけど、本当はわりと傷付いてる。

 ちいサポ会のみんななら、きっとそんなことは言わない。

「秋人~、もうすぐご飯できるよ~!」

「あ、はぁ~い!」

 リビングから、元気いっぱいな母ちゃんの声が聞こえ、反射的に返事をした。

 もうこんな時間か。ベッドの上で随分ぼんやりとしてたんだな。


 ベッドから起き上がり、大人しくリビングへ向かう。焼き魚の良い匂いがした。

「今日何ー?」

「アジだよ。旬だしね。せっかくだから作ってみようと思って」

「へぇ、美味そ~!」

 そっか、魚が美味しい季節か。いや、俺んなかでは春も秋も冬も美味いけど。

 すると、先にリビングにいた秋葉から「ねぇ、お兄」と声を掛けられた。

「どした?」

「何か、様子変じゃない? 帰ってすぐ部屋に行っちゃったし、それからずっと籠もってて、服だって着替えてない。嫌なことでもあったの?」

「あー……疲れちゃっただけだよ」

「本当?」

「ほんとほんと。あれ? もしかして心配してくれてんの?」

「心配、ていうか、いつもと違うから、普通に気になっただけ」

「ふ~ん」

「な、何にやにやしてるの」

「別に~」

「もう、知らない」

 いつも通りの会話を交わす。互いに真逆の性格をしているけれど、これといった喧嘩をした記憶はほとんどない。仲は良い方なのかな。

 それは置いといて……ちゃんと誤魔化せただろうか。

 家族だし、長いこと隠し通せるとは思っていない。バレるのも時間の問題だろう。ただ、今のこの気持ちを第三者に上手く説明できる気がしなかった。


 やがて、夕食の準備が完了した。美味しそうな料理たちがテーブルに並ぶ。

『いただきます!』

 食前の挨拶を済まし、まず焼き魚から口内にかきこんでいく。

「んー! んまい!」

 あまりの美味しさに、口の中に焼き魚を残したまま叫んでしまった。いつもやってしまうことだ。

「ちょっとお兄、口に物入れたまま喋んないでってば」

 秋葉から注意されるのもこれで何度目だろう。恥ずかしい話だが、秋葉の方が俺よりもずっと礼儀正しい。

「いや~だって美味いんだもん」

「確かにそれはそうだけど」

「母ちゃんマジ天才!」

「焼いただけですけど~」

 笑い合う俺たち。秋葉も、口数の少ない父ちゃんも、口角が上がっている。我が家のいつもの光景だ。

 でも何故だろう。何だか今日は──秋葉たちが遠い。

 いや、秋葉たちだけじゃない。思えば、ちいサポ会のみんなもこんな感じだった。

 どうして……。

「秋人」

「えっ」

 突如隣から話し掛けられ、身体がビクッとなる。父ちゃんだ。

「毎日頑張っているな。疲れてないか」

「え……いや、そんな疲れてるってわけじゃ」

「……そうか。無理だけはするなよ。身体を壊してしまったら元も子もないからな」

「う、うん。ありがと、父ちゃん」

 俺の様子を見抜いているのだろうか。父ちゃんは、無口で感情もあまり表に出さないが、俺たち家族に対する愛情は確かだ。故に、人一倍注意深く俺たちを見ている。

 秋葉も気付いたんだ。父ちゃんも、何なら母ちゃんも気付いてるに決まってる。

 つくづく臆病な奴だな、俺。


     ✳


 きっかけは、小学三年生のときだった。

 クラスにあまり顔を出さない、その為周りと馴染めていない子がいた。その彼──千歳は、いつも休み時間になっても一人でぽつんと読書をしていた。

 それが無性に気になったので、ある時、これってお節介かな? と思いつつ、千歳に話し掛けた。最初の一言は「何読んでんの?」だったっけ。今になって考えてみたら、本当唐突すぎるよな。一度も会話したことない奴から、無駄に明るく話し掛けられるとか、普通だったら身構えるだろう。

 当然千歳も例外ではなく、とても戸惑っていたが、無視することなく俺の質問に答えてくれた。

 それを何回か重ねるうちに、わかったことがあった。植物や生き物が好きで、学校でよく読んでいるのは図鑑だということ。俺と同じく、妹がいるということ。そして──生まれつき身体が弱く、いつ大病を患ってもおかしくないということ。

 それから、千歳が休んだ日について「授業はこんなことをやったよ」とか「昼休みにこんな面白いことがあった」とか、時には直接家に出向いて、時には電話を使っていっぱい話した。特に、理科の授業には興味津々だった。あと、千歳は体育がどうしてもできなかったから、体育に関しても聞きたがってたな。

 気がついたら、俺たちは親友同士になっていた。


 やがて千歳は入退院を繰り返すようになり、自然と学校で会う回数も減っていった。そんなときでも、会える場合は病院で会って、遊んだり近況報告をしたりした。俺たちの絆は固かったと思う。

 それだけに、千歳本人から「重い心臓病になった」と打ち明けられたときは、頭が真っ白になった。忘れもしない、小学四年の冬休みだ。

 いずれそういうことになる可能性がある。わかっていたはずなのに、実際その事態に直面してみると、もうどうしようもなく混乱してしまった。と同時に、今まで他人事だった〝死〟が突然身近に感じられた。この感覚を、千歳はずっと抱えていたのだと、そのとき今更ながら理解した。

 言葉を失い、何も言うことができない俺に対して、千歳が放った言葉を今も覚えている。

「そんな暗い顔しないで。僕なら大丈夫だから」

 千歳は、俺の笑顔が好きだった。だから当時も笑ってほしかったのだろうか。けれど、あんな告白されて笑える方がおかしいだろう。

 いや、千歳だってそんなことわかっていた。というかきっと、嫌という程その表情を見てきた。気まずそうに、自身を哀れむような視線だけを投げかける表情。恐らく、あのときの俺も全く同じ顔をしていた。

 もしかして、少しだけ期待してたのかな。病気だと打ち明けても、俺なら笑い飛ばしてくれるって。いつもの調子で、元気はつらつに。

 考えてもわからない。永遠に、わかるはずない。もう本人にだって聞けないのだから。


 千歳の体調は、日を追う毎に悪化していった。

 日に日に弱っていく親友の姿を間近で見てきて、何もできない自分に腹が立った。無力な自分が、ただただ悔しかった。でも千歳は、そんな俺に「傍にいてくれるだけで嬉しい」と言ってくれて、それだけで少し救われた気になったな。

 しかし、それも全部、〝あの日〟に壊れてしまった。

 いや、壊れたって言い方はおかしいか。だって──壊したのは、俺なんだから。

「お兄! いつまで入ってるの」

 そこまで思考したところで、秋葉の声が聞こえ、ようやく我に返る。

 もう長いこと湯船に浸かってしまった。頭がぼーっとしている。秋葉たちにも迷惑をかけてしまった。

「ごめん……すぐ出る!」

 ふらつきながら、湯船からさっさと出て、洗面所につく。

 頭を空っぽにしたくて早めに風呂に入ったのに、結局考え込んじゃったな。

 明日も学校だ。いい加減気持ち切り替えなきゃ。

 布団入ってからも、どうせあれこれ考えちゃって、寝付けやしないだろうけど。

 タオルで雑に身体と髪を拭いて、寝巻きに着替え、ドライヤーで髪を乾かす。

 何てことのない、いつも通りの行動を、俺はした。

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