第9話

区役所を出ると、美貴子は琢磨にもらった名刺の番号に電話した。

「お昼休みの時間に、急にお電話して申しわけありません、琢磨さん」

「いえ。ちょうど暇で休んでいたところですから構いませんよ」

済みませんともう一度呟くように謝ってから、美貴子は本題を切り出した。

「バスツアー当日の写真を全て見せていただくことはできませんか?」

「全て、ですか?」

琢磨は戸惑うような、迷うような声を出していた。

「ええ。私、そこに殺人事件のヒントがあると思うんです」

「そうですか……。では、今夜マスターの店でお会いしましょう。そこで写真をお渡しします」

「ありがとうございます」

美貴子は頭を下げて、これが電話だったことを思い出して、少し恥ずかしくなった。




夜7時ごろ、透の店には肉まんの香りが充満していた。

香りの発生源は、カウンターにどんと積まれた大量の肉まんの山であった。


ドアを開け、カウンターの肉まんを見た美貴子は戸惑った。

「どうしたの透、肉まん屋でも始めるの?」

「いやいや。そんなわけないじゃん。大体これは俺がつくったんじゃないし」

そう言いながら、美貴子に1個手渡してくれたので、入り口近くのソファに腰掛けて、ほかほかと温かい肉まんにかぶりついた。

「美味しい。これ、あそこの店のね?」

板橋には肉まんで有名な店があるのだ。

「そう、あそこのやつ」

そんなことを二人で話していたら、琢磨がやってきて、美貴子と同じように戸惑った。

「マスター、こんばん……は……」

「おっ、琢磨も食ってけよ」

透は琢磨に肉まんを一つ差し出した。思わずといったふうに受け取って、琢磨は美貴子に、「これは……?」と尋ねてきたので、美貴子は思わず笑った。

「さあ、私もよくわかりません。でも、美味しいですよ。琢磨さんも召し上がって」

そう促されて、琢磨もかぶりつく。

「美味いですね。とくに皮の食感がいい。これってあの店のですよね」

「おっ、さすが板橋区民、知ってるねえ」

透は嬉しそうだ。

「それで、これはどういうことなの?」

「いやー、実は今日は団体の予約入ってんだけど、区民じゃない客でさ。一度あそこの肉まんを食べてみたいっていうから、俺が用意してやったというわけ」

「団体の予約ですか……」

琢磨がそう言うと、透はにやっと笑った。

「そうなんだよ、だから悪いんだけど、おまえらは今夜はよそに行ってくれない? せっかくだしデートとかしてきなよ」

にやにやと笑う透に、美貴子と琢磨は店を追い出されてしまった。




片手に肉まんを持ったまま、二人は板橋区平和公園へと移動した。

児童向けの遊具があるエリアのベンチに腰掛けて、琢磨は「とりあえずこいつを片づけてしまわないと、身動きが取れませんね」と言って、肉まんにかぶりついた。

美貴子も隣に腰掛けてかぶりつく。


夜の公園で、お互い無言で肉まんをむしゃむしゃ食べていたら、なんだか無性におかしくなって、美貴子は思わず笑ってしまった。笑いというのは伝染する性質を持つようで、つられて琢磨も笑い出した。

「こんなふうに笑うのって久しぶりです」

と美貴子は言った。

「半月ほど前におつき合いしていた方と別れて、それから笑うことが減って……、ううん、そうじゃないわ、お付き合いしていた頃からあまり笑わなくなった気がします。だから、久しぶりなんです、こんなふうに何でもないことで笑うのは」

美貴子は、乾いた心が潤うような心地だった。

「琢磨さんといると楽しいです」

「私は、そんなことを言われたことは、あまり……、むしろ退屈だと言われることばかりなので驚きました」

琢磨は戸惑ったような、困ったような顔をしたが、

「でも、美貴子さんが楽しいなら良かったです」と言って笑った。



肉まんを食べ終えた二人は、近くのカフェ兼レストランへと移動した。

ワインとオードブルを幾つか注文すると、琢磨はさっそく写真の束をテーブルに置いた。

「あの日に撮影したのは、これで全部です」

美貴子は早速写真を手にとった。まずは栗拾いの写真から見て行くことにする。栗農園で撮られた写真は、その多くに美貴子が写っており、なんだか気恥ずかしくなった。それも、自分が思っていた以上に楽しそうに笑っている写真ばかりで、余計に恥ずかしい。美貴子はそれらはなるべく見ないようにして、お目当てのものがないか探した。

何枚か見ていくうちに、ぴたりと手が止まった。

「この人……」

そこには、青っぽいシャツとジーンズを履いた若い女性が写っていた。目が細くて儚げな、昼食時には黒いワンピースを着ていた女性だ。その隣には、ジャージ上下姿の人物の背中が写っていた。だぼっとしたシルエットのため、写真では性別までは分からないが、女性のショートヘアぐらいの髪の長さだ。山野田ではなさそうだった。


美貴子は、今度は稲刈りの写真を手にとった。こちらはまだ美貴子の写真は少なく、引いた構図で筑波山や稲刈りをする人々を撮ったものが多かった。山野田が偶然映り込んだ写真を脇に置いて、ほかの写真を探す。

1枚、黒いワンピース姿の女性が写ったものがあった。

それとは別に、ジャージ姿の男性と、青っぽいシャツとジーンズ姿のふくよかな女性が並んでいる写真も見つけた。ジャージ姿の男は、山野田ではない。


「琢磨さん、私、犯人がわかったかもしれません。犯人は3人、実行犯は男性で、女性二人が共犯です」

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