第8話

美貴子は翌日、会社の昼休みを利用して区役所を訪れていた。


「バスツアーがあった日の監視カメラの映像を見せてほしい、ですか?」

面倒ごとはごめんだと顔に書いてある区役所職員が、嫌そうに言った。

「そういうものは一般の方にお見せすることはできないんですよ」

そう来ると思っていた美貴子は、ネットで仕込んだ付け焼き刃的情報を試してみることにした。

「では、開示請求をしたいので、手続きをさせてください」

「……はい?」

「こちらの監視カメラには、私がバスに乗り込むところが写っています。つまり私は自己に関する情報を見たいのです。自分自身の個人情報の開示請求は認められるはずです」

職員は大げさに顔をしかめて、

「……上司に相談してまいりますので、少々お待ちください」

と言った。



美貴子は区役所の廊下のベンチに腰掛け、結論が出るのを待った。

白い天井を見上げて、美貴子は物思いにふける。なぜ自分はここまでしているのだろう。監視カメラの映像を見たいだなんて言い出して。殺人事件など警察に任せてしまえばいいのに。

しかし、美貴子の好奇心は、本人が思っていたよりずっと強かったようだ。自分が参加したバスツアーで殺人が起きたのだ。詳しく知りたいと思うのも仕方がないと美貴子は自分を納得させた。



やがて職員が戻ってきて、「映像をお見せしますので、別室へどうぞ」と苦虫をかみつぶしたような顔で美貴子を案内した。

「ただし閲覧だけですからね。データの持ち出しはできませんし、記録もできません。念のため、手荷物は預からせていただきます。スマホで録画されても困りますから」



会議室のような机と椅子が並ぶ部屋で、美貴子は一人、パソコンを使って監視カメラの映像を見始めた。

この映像は、バスツアー当日の区役所前を録画したものである。庁舎に面する道路と歩道がはっきり写っていた。


ツアーの集合時間は朝7時。6時30分にはもう気の早い参加者が一番乗りした。6時40分にバスが到着し、50分には職員たちや参加者たちが集まってきて、7時になるのを待っていた。やがて区長が現われて、職員が参加者たちへバスに乗るよう促した。


バスに乗り込む人を美貴子は数えた。

「1、2、3……17、18! バスに乗った参加者は18人だわ。16人じゃなかった!」

美貴子は胸元で両手を組み合わせて叫んでいた。板橋では18人だったのに、茨城の栗農園では16人となっていたのだ。

「予定外の2人は誰なのかしら。山野田さんと、そのパートナーと考えるのが自然だけれど」

映像を早戻しして、朝6時50分からまた再生させた。

「この人が山野田さんね」

短く刈り込んだ頭とジャージ姿、間違いない。

「一緒に歩いているこの女性が同行者ね。事件後にいなくなったのもこの人かしら。そういえば栗農園の駐車場ではワンピースを着た人は見かけなかった……。ということは、この女性が犯人?」

だが、ここで美貴子は新聞やテレビの報道を思い出す。

「山野田さんはヒモで首を絞められて殺されていた。睡眠薬なども使われた痕跡がないから、犯人は男だろうと言われていた……。男でないと絞殺は不可能……。どういうことかしら、この女性はものすごく腕力があるの?」

パソコンに顔を近づけて、まじまじと見つめる。ほっそりとした体に黒っぽいワンピースを着た姿は、とても男を絞殺できそうには思えなかった。顔は、やや目が細くて、どこか儚げな雰囲気だ。年齢は20代後半ぐらいだろうか。バスに乗り込もうとしたとき、バッグを落として拾ったが、どうも動きがぎこちなかった。怪我でもしているのか、うまく手を動かせないようだ。

「こんな腕で成人男性を絞殺できるかしら。それに、この女性、昼食のときは私と同じテーブルだったはず……」

稲刈り体験をするというのに、ずいぶんとヒラヒラした格好の人がいるなと思ったので記憶に残っていた。ほかの参加者はジャージやジーンズといった、農作業用の動きやすい服装だった。

このワンピースの若い女性と一緒にいた男性が40代ぐらいで、年の差カップルなのだろうかと思った記憶もあった。あの男性が山野田だろうか。中年男性はみな似たような感じだったからよく思い出せない……。



美貴子は情報を整理した。出発時は18人だった。昼食時は16人、稲刈りのときは17人? そして、栗拾いのあとは16人と遺体となった山野田というのが、今わかっていることだった。


昼食時、ワンピースの女性は食堂にいた。では、いなかった2人は誰だ? ひとりは山野田だろうか? では、もうひとりは?

美貴子は再び画像を最初から見始めたが、バス出発時の動画ではそこまではわからなかった。

ただ、気になる人物を見つけた。

「こんな人……いたかしら?」

太めの女性が目についた。がっちり型とでもいうのか、骨太な印象を与える女性だった。青っぽい無地のシャツとジーンズという格好で、ひどく地味に見えた。




監視カメラの映像を見終わった美貴子は、今度はバスツアーを主催した課へと赴き、課長を呼んでもらった。バスツアー参加者だと名乗ると、現われた課長は申し訳なさそうに頭を下げた。

「楽しいはずのバスツアーがあんなことになってしまって申しわけないです」

「いえ、課長さんが悪いわけではありませんから……。それよりお尋ねしたいのですけれど、亡くなった方はツアーに不参加だったはずなんですよね」

「ええ、数日前にご本人から電話がありました。行く気がなくなったとのことでした」

課長は包み隠さず美貴子に説明した。

「まあ。自分で応募しておきながら行く気がなくなっただなんて、随分と勝手な方ですね」

課長は苦笑した。

「でも、なぜか参加されて、亡くなってしまった。こんなことなら欠席してくれたほうがずっと良かったのにと思わずにはいられません、山野田さんにとっても」

そうですね、と美貴子は頷いた。

「ところで、この茨城行きのバスツアーって、応募者は多かったんですか?」

「それが……まだ地名度も低いのもあり、応募は少なかったです。知り合いなどに声を掛けて、どうにか10組が決まったほどでして。もともと15組はゆうに乗れるバスを手配していたので、空席が多く出てしまいました」

「ということは、応募すれば誰でも参加できたんですね」

「ええ、そういうことになりますね」

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