陽だまりと、風と、馬
レースで心房細動の症状を起こしたシルバーライトは、大事をとって短期放牧に出されることになった。そこでの状態を確認しながら、今後の方針を考える。
ミドリとシルバーライトは数ヶ月ぶりにまたスターダストファームにやってきた。
馬運車から出ると、ケンタロウたちユズキ一家が出迎えてくれた。
「やあやあ、ようこそ」
シゲルが人懐っこい笑みを浮かべながら声をかけてくる。
「大丈夫だったか? 心配したぞ」
シゲルはそう言いながらシルバーライトの背中にちょんちょんと触った。シルバーライトは少しだけ嫌そうな顔をしたが、拒絶はしなかった。
ケンタロウもシルバーライトのことが気になるようで、ミドリそっちのけで馬のほうに近づいていく。この人たちは本当に馬が好きだ。シルバーライトはまるで親戚の子供のような扱いを受けている。
「あの時は大変だったでしょ? ミドリちゃんは昔から心配症だし」
マサコだけはミドリのことを気遣ってくれた。こういう気配りのできるところも憧れる。
「そうですね。すごく大変でした」
ミドリはこの牧場に来ると、とても安心する。家族のいる実家に帰ってきたような気分だ。シルバーライトもここへ来ると楽できることがわかっているようで、どこかのびのびとした様子だった。
シルバーライトが牧場に出された翌日、カズマがスターダストファームにやってきた。
馬房の中でミドリがシルバーライトにハミや鞍などの馬具を装着していく様子を、カズマは傍で見守っていた。リラックスしていたシルバーライトも、馬具をつけられたことで何かを悟ったようだ。少し緊迫した雰囲気が漂い始める。
シルバーライトを曳いて厩舎から出ると、ケンタロウとクレセントが待っていた。
「これで最後になるかもしれないから、そのつもりで乗れよ」
ケンタロウがミドリにクレセントの手綱を預けた。クレセントがミドリの体に顔を近づけてきたので、ミドリは三日月型の模様のある額を撫でてあげた。
一方で、カズマがシルバーライトと向き合っている。カズマは、これから自分が背中に乗るという意思を伝えようとしている。カズマが乗るということはつまり、今から走るということだ。
シルバーライトに先日のレースの日の記憶がどれだけ残っているか。こちらの思い過ごしならいいが、もしかすると走ることに対して恐怖心を抱いているかもしれない。だからこそカズマは慎重になっている。
シルバーライトはカズマに意識を向けている。馬はこれまで一緒にやってきたパートナーに対してどう思っているのか。二人の間でしかわからない意思疎通が行われている。
カズマがシルバーライトに乗った。その二人の絵が、ミドリにはしっくりきた。馬単体ではなく、そこに人が乗ることで初めて絵として完成するような気がした。
シルバーライトは立ち上がったりして拒絶を示すようなことはなかった。首を上下に振ってやる気になってきている。
「クレセント、よろしくね」
そう声をかけて、ミドリもクリーム色の月毛の馬体に乗った。クレセントはシルバーライトに比べるとだいぶ小柄だが、それでもやはり普段よりかなり視点が高くなる。
クレセントはミドリが子供の時に初めて乗った馬。ミドリの中で、その時の感動が蘇ってきた。それと同時に、この背中に跨るのは最後になるという切なさが募る。
カズマがミドリに目配せして、先導して歩き出した。ミドリもそのあとを進んでいく。
舗装された砂の道を通った。すっきりと晴れた青空が目に眩しい。道の左右は芝生で、その先には緑々しい森が広がっている。遠くにはこんもりとした山が見えた。
前方を行くシルバーライトは、ぷらぷらと尻尾を振りながら歩いている。馬がどうやって尻尾を動かしているのか、その感覚は尻尾のない人間にはわからない。
カズマが前を向きながら右手を上げた。おそらく、走るという合図だろう。
シルバーライトが
馬体から受ける振動と、風を感じた。こうやって人間を乗せて走ってくれる動物など、他にいるだろうか? 馬と人というのは唯一無二の特別な関係だ。
気分が高まってきたミドリは、クレセントをシルバーライトの横につけて並走してみた。こうやってシルバーライトと並んで走るなんて、初めての経験だ。いつも一緒に過ごしている馬だけど、走る彼の傍にいることはない。
横を見ると、カズマは楽しそうだったが、シルバーライトはクレセントに並ばれたことが気に食わないのか、さらにペースを上げ始めた。現役競走馬の本領発揮だ。乗用馬のクレセントでは太刀打ちできない。
「ちょっと、待ってよー!」
ミドリとクレセントを置いてきぼりにするシルバーライトに向かってミドリは叫んだが、距離は離されるばかり。
だけど、またこうやってシルバーライトの走る姿を見ることができて、ミドリは嬉しかった。じっとしている穏やかな時の馬も好きだけど、やっぱり馬は走っている時が一番楽しそうだ。
砂の道はやがて芝生となり、なだらかな上り坂になった。クレセントは小気味良い走りで坂を上っていく。
坂の頂上、丘のようになった場所に着いた。遠くまで緑溢れる自然豊かな眺めだ。カズマとシルバーライトはそこで待っていた。
シルバーライトの走りの感触は良さそうで、カズマは満足げな表情を浮かべていた。また近くレースに復帰できるかもしれない。シルバーライトは早速その辺の道草をむしゃむしゃ食べている。
ミドリは二人の様子を見て、安心した。
……あとは。
ミドリはクレセントの背中にできている、二つのコブに触れた。
馬の背中から降り、ここまで自分を運んでくれたクレセントを労う。クレセントはミドリに甘えるように顔を寄せてきた。
ミドリはクレセントの感触をその身に刻み込むように、馬の体に触れていった。その彼女の様子を、シルバーライトに乗っているカズマが眺めている。
暖かな陽光に包まれて、緑香る風になびかれて。
二度と戻ってはこない時間の恋しさと、訪れる未来への期待を胸に。
今この時を、大切に過ごした。
目の前に広がる情景が、思い出の一ページにすっと刻まれる。
大切な友と過ごした、大切な時間。
そして、
流星群の夜が来た。
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