迎えた刻

 ケンタロウは厩舎にクレセントを迎えにいった。クレセントはケンタロウが到着する前に馬房の入り口から顔を出して待っていた。

 馬房の柵を開け、クレセントの顔にホルターを取りつけ、手綱を繋ぐ。

「さあ、行こう」

 ケンタロウは手綱を引いて歩き出そうとしたが、クレセントがグッと堪えたため、引き戻された。

 ケンタロウが目を向けると、クレセントは伏し目になって目を逸らせた。おそらくもうこの場所へ戻ってくることはないということを理解している。

 ケンタロウはクレセントに近づき、首の横をポンポンと軽く叩いた。クレセントは少し首を上げる。行かなければならないことはわかっているけど、行きたくない。そんな様子だ。

 ケンタロウが再度手綱を引くと、クレセントは一瞬踏ん張ったものの、諦めたように歩き出した。

「良い子だ」

 ケンタロウはクレセントの額にある三日月型の模様を撫でてあげた。

 クレセントを曳いて厩舎から出る。外ではケンタロウの両親シゲルとマサコ、そしてミドリが待っていた。シゲルとマサコは穏やかな優しい表情を浮かべているが、ミドリは今にも泣き出しそうな顔をしていた。やめてくれ。そんな顔を見たら、こっちまで泣きたくなる。まったく、未だに泣き虫が直ってないんだな。

 空に星の煌めく夜の牧場を歩く。カッ、カッ、と後ろからクレセントの蹄の音が響く。

 放牧場の前まで来た。ケンタロウは放牧場の入り口を開け、ホルターから手綱を外し、最後にホルターも外した。これでもう、クレセントは自然のままの姿だ。

「さあ、行け」

 ケンタロウは放牧場の中へ入るようクレセントを促した。けれど、クレセントはケンタロウのほうを向いたまま動かない。

 最後まで、手のかかる弟だ。



 ミドリはシゲルとマサコと一緒に、ケンタロウとクレセントの様子を見守っていた。

 その時、厩舎のほうから大きな音が聴こえた。

 ドンと何かがぶつかるような音、そして馬の甲高い鳴き声。その後も音が鳴り止まない。

 シゲルも音が気になり、ミドリと一緒に厩舎を見にいくことになった。

 なんだろう、こんな時に。

 厩舎に到着し、馬房の前の通路を歩いていくと、原因が判明した。

 馬房の中でシルバーライトが暴れている。鳴き声を上げて、時折二本の後ろ脚で馬房の壁を蹴り上げていた。

「ちょっと、どうしたの!?」

 ミドリは馬房の入り口を開けながら戸惑いの声を上げた。シルバーライトは調教時に暴れることはあるが、馬房でおとなしく過ごす時間に暴れるようなことはない。

 ミドリが馬房の中に入っても、シルバーライトは落ち着かなかった。

「なんだか外に出たがってるように見えるよ」

 馬房の外に立っているシゲルが言った。

 外に出たい? こんな夜に? どうして?

 ミドリは興奮気味のシルバーライトをなだめながら、ホルターを装着した。手綱を引いて、馬房から出る。

 馬房から出たシルバーライトは、ずんずんと自分から通路を進み出した。手綱を持ったミドリは引っ張られて、転ばないようにするのがやっとだ。

 厩舎から外に出ると、シルバーライトは耳をピンと立てながらきょろきょろと辺りを見回した。何か気になることがあるようだ。普通ではないシルバーライトの様子に、ミドリの不安が募る。



 ケンタロウはクレセントの正面、すぐ近くから馬の顔を見つめた。

「お別れの時間だ」

 空では既に流れ星が見え始めた。スーッと紺のキャンバスに線を引き、消えていく。

「ありがとう。お前と一緒に過ごせて、楽しかったよ」

 ケンタロウは流れ出そうになる涙をこらえながら、言葉を継いだ。ケンタロウを見つめるクレセントの瞳が、キラキラと煌めいている。

 ケンタロウはゆっくりとした動作で、クレセントの首に両腕を回した。クレセントの儚げに嘶いた声が、耳に響く。

 そして、決心が揺らぐ前に、ケンタロウはクレセントから体を離した。

「さあ、行け。行って、生きろ」

 ケンタロウはクレセントに最後の言葉をかけた。

 クレセントは名残惜しそうにケンタロウを見つめながら、それでも振り向いて放牧場へ入っていった。

 とぼとぼと頼りなげに歩いていくクレセントだが、じきに吹っ切ったように駆け出した。

 そのクレセントの背中から、白銀の光が輝き出す。

 美しい光をまとい、クレセントは翼を生やした。

 闇夜に輝く、白銀の星。

 ケンタロウは目を見開いてその光景を見た。

 クレセントが一度翼を羽ばたくと、草木をなびく風が発生した。

 クレセントがケンタロウのほうを振り向く。神々しさの中に、子供のように無邪気な表情があった。

 パシュッ!

 どこかから何かが飛んできた。

 それは、クレセントの体に撃ち込まれた。

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