行方知れずの馬

 ある朝、ミドリがシルバーライトの馬房に向かうと、馬房の柵からシルバーライトが首を出していた。それ自体はとくに珍しいことではないが、馬房から首を伸ばしたシルバーライトがじっと隣の馬房のほうを見ているのだ。その隣の馬房からも、鹿毛の馬が顔を出し、シルバーライトのほうをじっと眺めている。まるでお隣さんと挨拶でも交わしているような感じだ。

 隣の馬房にいる鹿毛の馬はクラシオンという名で、シルバーライトと同じ二歳の牡馬。二頭を見ているかぎり、いがみ合っているような感じではなく、穏やかで、お互いに好感を抱いているような様子だ。

 シルバーライトは人に対しても馬に対しても好き嫌いがあって、ミドリやカズマに対しては多少好意的に接してくれるが、調教師のミズタニや初対面の人間に対しては反感を抱くところがある。そして牝馬は基本的に好きだが、調教時に一緒になったやや横柄な態度の馬に対しては噛みつこうとしたり蹴りを見舞ったりすることがある。人間に置き換えて考えると、とんでもない迷惑なヤンキーだ。

 シルバーライトの存在は馬たちの間でも有名なようで、シルバーライトが調教から帰ってきて厩舎に入ると、どことなく厩舎内の馬たちがざわつくような雰囲気がある。きっとそれはミドリの気のせいではないだろう。

 そんなオレ様気質の馬のため、クラシオンのような親しい存在の馬はとても珍しい。調教の併せ馬でも二頭は一緒に走ることが多い。これからともに切磋琢磨し厳しいレースに立ち向かっていく、大切な友人だ。

 そのクラシオンだが、彼はまだ一度もレースに勝てていない。素質はあり、それはシルバーライトとの調教でも垣間見ることができるが、それがなかなか結果に繋がっていないというのが実情だ。

 ミドリは二頭の馬が見つめ合い心が通じ合っているような光景を目にし、今日はこの二頭を絵に描こうと決めた。とても微笑ましい構図だ。

 ミドリがそんなことを考えていると、シルバーライトが彼女に顔を向けて、カツッ、カッ、と蹄で音を立て始めた。早くメシ寄越せ、という合図だ。ご飯の時間はまだ先だというのに。

 やれやれ。今日もまたこの馬に振り回される一日が始まりそうだ。ミドリはそのことを憎らしくも思いながら、顔には笑顔を浮かべるのだった。



「いなくなった!?」

 サツキは声を荒げながら訊き返した。

 場所は先日も訪れた、乗馬クラブ。クラブハウスの外で、サツキはスタッフを問い詰める。

「ええ、はい。なんというか」

 男性スタッフは後ろめたさのあるような表情で答える。サツキと目を合わせようとしない。

 サツキは引退馬の取材のため、このクラブに引き取られていた元競走馬の所在を尋ねている。先日厩舎にいたはずの鹿毛の馬だが、その馬がいなくなったと言われた。そんなわけはない。馬が突然いなくなるわけがない。神隠しに遭ったわけでもあるまい。

「あの馬はどこに行ったんですか?」

「すみません。それは私の口からは答えられません」

 答えられないということはつまり、事情を知っているがそれをサツキには教えられないということだろうか?

「このクラブにはもう所属していないということですね?」

「ええ、まあ。そうなります」

 スタッフはぼそぼそとした声で答えた。今すぐこの場から離れたいといった表情だ。

 サツキはこれ以上このスタッフを問い詰めても無駄だと判断し、他の手段を考えることにした。

 そうしていると、一人の人物が彼女のほうに近づいてきた。

「こんにちは」

 年齢は五十歳ほどだろうか。上等そうなスーツを着た背の高い男。遮光の薄いサングラスが、どことなく堅気ではない印象を与えている。

「記者さんですね。私はシガサキといいます」

 サツキも挨拶し、名刺を交換した。向こうの名刺には名前と連絡先、そしてどんな事業を行っているかわからない社名が記述されていた。

「先日までこのクラブにいた馬の居所を知りたいんですね? よろしければ私がご案内しますよ」

 シガサキの対応は丁寧だったが、どこかそれが不気味に感じられた。理由はわからないが、なぜかこの男に対して不安を抱く。

 どうしてシガサキが馬の居場所を知っているのかはわからない。だが、サツキには馬の行方を確かめる義務があった。シガサキの案内に従い、ついて歩いた。

 着いた場所はクラブの駐車場で、シガサキの前には黒塗りの高級車が停まっていた。

「さあ、どうぞ」

 シガサキは後部座席のドアを開け、サツキに車に乗るよう促した。

 それはまるで、地獄へ通じる扉への誘いのように感じた。しかしここまで来て引き下がるわけにはいかない。サツキはこの後目にしたくないものを目にしてしまう予感を感じながら、その高級車の中へ足を踏み込んだ。

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