背けられない現実

 車の中には、黒いスーツ姿の運転手がいた。シガサキは助手席に乗り、サツキは一人後部座席。

 動き出した車が道路を走っていく。なんだかいつもより、外の景色が気になる。もし逃げ出す時のことを考えて道順を覚えようとしているのか、それとも外にいる誰かに助けを求めようとしているのか。どちらもサツキの思い込みからくる発想だが、落ち着かないのは確かだ。

「あなたの記事は読んだことがありますよ」

 助手席にいるシガサキが言った。それはどうもありがとう。

「やや主観的だが、物事を的確に捉えている。鋭すぎるところが玉にきずだが」

「シガサキさんはどんな仕事をされているんですか?」

 サツキはアクションに対してアクションで応えた。相手に主導権を握られるのは好きではない。

「それは難しい質問だ」

 とくに機嫌を損ねた素振りも見せず、シガサキは答えた。

「いろいろな事業を手がけているものでね」

 つまり、答えるつもりはないということか。

 シガサキより少し若い運転手は、会話に加わる気はないようだ。黙ってただ運転するのが自分の仕事だと考えているロボットかもしれない。

 今向かっているのはロボットの製造工場だろうか、などとよくわからない想像をしているうちに、車が停まった。

 車から降りると、そこは繁華街の街中。自分は馬を探しに来たはずだ。なぜこんな場所に。

「こちらです」

 シガサキが路地のほうへ進んでいく。運転手は車でお留守番のようだ。

 大通りから奥に入り、いくぶん静まった道。

 シガサキはある建物の前で足を止めた。外観から察すると、どうやら和食料理屋のようだ。

「シガサキさん。私はあなたに食事に誘われたつもりはありませんよ」

「もちろん、わかっていますよ。さあ中へどうぞ」

 シガサキは店の中へ入っていく。そのまま突っ立っているわけにもいかないので、サツキも彼について中へ入った。

 シガサキが店の人間と何かを話している。小声なので、よく聞こえない。話を終えたシガサキは、席に向かった。

 サツキは嫌な予感がした。できることなら今すぐ回れ右をしてこの場から立ち去りたかった。しかし何かに突き動かされるようにして、進んでいってしまう。

 席に着いたサツキは、ドリンクはどうするかと訊かれた。断った。何もいらない。

 この辺りから、サツキの意識と記憶が曖昧になっていった。シガサキと何を話したのか、よく覚えていない。

 料理が出てきた。生肉のようなものがのった、寿司だ。

 旨味のある、甘い肉だった。

 焼いた肉も出てきた。ジューシーで、歯応えもある。

 他にもいくつかの料理を味わった。

 止まらなかった。止めるべきだった。

「どうでしたか?」

 食事の後、シガサキが訊いた。

 サツキは答えられなかった。今すぐこの場から逃げ出したいのに、体が動かない。

「あなたが取材をしてきた馬の味は、どうでしたか?」



 いつの間にか、サツキは自宅に帰っていた。どうやって帰ってきたのかも、よく覚えていない。

 ベッドに突っ伏し、何十分か経った後、急に涙がとめどなく流れてきた。

 いろんな感情がないまぜになった。悲しさと、悔しさと、不甲斐なさと。

 現在、競走馬たちの多くの運命がここへ至ることを知っていた。怪我をして走れなくなった馬。競走馬として生まれながら、走る能力を見い出せなかった馬。順調なキャリアを積みながらも、引退後の道を閉ざされた馬。

 いらなくなったから、捨てられる。お金がかかるから、売られる。

 シガサキに対する恨みさえ湧かなかった。やり方がどうあれ、彼はただ事実を伝えたのだ。

 独り、サツキは泣いた。どうしようもなく泣き続けた。

 こんなことになるために、あの馬は生まれてきたのか? 他に道は無かったのか?

 自分は何もしてあげられなかった。

 救うことができなかった。

 いつか。

 いつか、形にして示す。

 この現状を伝えるために、奔走しよう。

 だけど、今日は無理だ。

 悲しくて。

 心が痛くて。

 もう動けない。

 涙が、止まらない。

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