星の名の冠

 シルバーライトの新馬戦以来、トレーニング場に毎日のように取材が殺到した。調教終わりを狙い、取材陣たちがこぞって詰めかける。もちろんみんなのお目当ては、一年ぶりに復帰を果たしたカズマの言葉だ。

「久々のレースの手応えはいかがでしたか?」

「復帰を心待ちにしていた多くのファンに向けて、メッセージなどありますか?」

「新馬戦は上々の手応えでした。この馬の目標はやはり、来年のアステリズム路線でしょうか?」

 今は十月。年が明けると、現在二歳の競走馬たちはみな三歳として扱われるようになる。アステリズム路線というのは、三歳時の春と秋に行われる主要のSⅠエスワンレース、デネブ賞、アルタイルステークス、ベガ賞への出場を目指すことだ。三歳時に生涯一度のみ挑戦可能なこの三レースで全て一着を獲った競走馬は「三冠馬」と呼ばれることになり、競馬界の歴史に名を刻む大いなる名誉を得ることができる。もちろん、その道程は簡単なものではない。長い歴史の中でも「三冠」を獲った馬は数えるほどしかいない。

「どのレースに出るかというのは、馬主さんと調教師さんが決めることで、僕なんかが決めることじゃありません」

 カズマはリポーターたちの質問にいつも通り淡々と答えている。その近くで、ミドリはシルバーライトのき運動を行いながらカズマの言葉に耳を傾けていた。

「多くの騎乗依頼が届いているようですが、他の馬に乗る予定はありますか? シルバーライトのことを特別にお気に召した理由はなんでしょうか?」

「そうですね。やっぱり、その可愛らしいクリッとした瞳ではないでしょうか」

 質問を軽くいなしたカズマの声を聞いて、シルバーライトが「ヒヒーン」といなないた。自分のことを話されていることがわかっているのだろうか?

 馬の鳴き声に興味をそそられたリポーターの一人が、シルバーライトに近づいてきた。

「シルバーライトの厩務員さんですね?」

「ほへっ!?」

 急にやってきたリポーターに声をかけられ、ミドリは奇声を上げた。

「やっぱり葦毛の馬は綺麗だなあ」

 リポーターは笑いながらそう言って、シルバーライトのお尻にポンポンと触れた。

 あ、まずい。

 すかさずシルバーライトの強烈な後ろ回し蹴りが唸りを上げた。蹄鉄のついた蹄がリポーターの顔面すれすれを掠める。

 リポーターは唖然としながら尻もちをついた。あわや大惨事になるところだ。

 馬の背後から近づいてお尻に触れるなんて、浅はか千万、自殺行為になることがわからないのだろうか? それもこの強ファイターが相手だというのに。しかしどちらに非があるにしろ、もし事故が起きた場合責任を問われるのは馬のほうになるだろう。車と人の事故の場合と同じように。

 リポーターのセクハラに腹を立てたシルバーライトが怒りをぶちまけるように暴れ出した。手綱を持ったミドリはけん玉の玉のようにぶんぶん振り回される。

「てめえ何やってんだ!」

 駆けつけた調教師のミズタニが、馬ではなくリポーターに向けて罵声を浴びせた。悪気はなかったのだろうが、リポーターの顔がみるみる青白くなる。

 カズマもやってきて、シルバーライトをなだめることに力を貸してくれた。

 もはや現場は取材どころではなくなっていた。



 その日の午後、ミドリは赤い毛糸でボンボンを作った。たんぽぽの綿のようなふんわりとした仕上がり。

 そのボンボンを、気をつけながらシルバーライトの尻尾の根元辺りにくくりつけた。

 白い尻尾に赤いボンボンは、一見可愛らしいアクセサリーのようだが、それは後ろ蹴り注意の印である。赤は止まれ、だ。シルバーライトは急に止まれない。その注意喚起は、馬にとっても人にとっても重要となる。今日の出来事を目撃すれば一目瞭然だ。

「それにしても、三冠かあ」

 ミドリはシルバーライトの背中を優しく撫でながら、ぼそっと呟いた。

 競馬では、レースのクラス分けが行われている。初めはみな新馬から始まるが、勝利数や年齢、収得金額によって徐々に細分化されていく。レベルの高いクラスはオープンと呼ばれ、その中でもSⅢエススリーSⅡエスツー、SⅠとなるごとにレースの格式や獲得賞金が高まっていく。ちなみにSは「スター」の略だ。

 最上級のレースとなるSⅠの中でも、三歳限定のデネブ賞、アルタイルステークス、ベガ賞は特別で、その世代、同じ年に生まれた馬の中での最強馬が決定づけられる。年間数千頭が生産される競走馬の中での頂点を決める戦いだ。

 そんな最高の栄誉をかけて戦うレースに、自分の担当馬が出場するというのだろうか? ミドリはまったく実感が湧かない。もちろん、まだ新馬戦を勝利しただけなので時期尚早かもしれないが。

「あなたって、本当はすごい馬なの?」

 ミドリはシルバーライトに問いかける。ついこの間まで人を乗せることすらできなかった馬に。

 シルバーライトは性格に似合わずクリッとした可愛らしい目をミドリに向けた。その目は、「いいから早くメシ寄越せ」と言っているような気がした。



 夜になり、自室でくつろいでいるミドリが少しウトウトし始めたころ、スマートフォンが着信を告げた。電話がかかってきている。

 画面に表示された名前は、ユズキ・ケンタロウ。親子で牧場を経営している、ミドリの幼馴染だ。

「もしもし、ケンちゃん?」

『ああミドリ? もしかしてもう寝てた? 厩務員の朝は早いからね』

「ケンちゃんだっていつも早いでしょ。それで、どうしたの? 電話なんかして。私の声が恋しくなったとか?」

『いや、べつに……』

「コラ! そこは嘘でも肯定しておきなさいよ!」

『あー、わかったわかった』

 なによ、面倒くさそうに。

『そうそう。この前のレース、おめでとう。シルバーライト、すごく良い走りだったね』

「あっ、見てくれたんだ。ありがとう。言いたかったことって、そのことかな」

『うん。それもあるけど』

「なあに?」

『あのさ。うちにいるクレセントのことなんだけど』

「クレセントがどうかした?」

 クレセントは、ケンタロウの牧場にいる乗馬を行う馬の名前だ。額に三日月のような模様がある。

 ミドリはクレセントに何度も乗ったことがある。とてもおとなしい利口な馬で、子供も安心して乗ることができる。そのクレセントについて話があるらしい。

『ついこの間、クレセントに印が出たんだよ』

「印? それってもしかして」

『ああ』

 ケンタロウは少し間を置き、その言葉を発した。

『流星の印だ』

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