第18話:悪役令嬢は覚悟を決める


 苦しげな表情で荒い息をこぼすアシュレイを見ながら、私は自分の無力さに唇を噛んだ。

 そして過去の自分を――アシュレイを救えなかった時のことを思い出す。


「……い、くな……。あおい……」


 そんなとき、苦しげな声でアシュレイがその名を呼んだ。


 かつて、彼は私をそう呼んだ。

 明るい声で、甘い声で、時に切ない声で何度も何度も――。


 そしてそのたび、私の心は何度跳ねたかわからない。

 奇妙な出会い方をして、乙女ゲームによって絆を繋いで、病で弱っていく身体を寄せ合いながら、私達は最後の一時を過ごした。

 人生のほとんどを病院で過ごした私にとって、彼と過ごした最後の日々は本当に幸せだった。


 でも同時に、心苦しさも覚えていた。

 私には、誰かを幸せにする力はない。病弱なせいで、私はいつも周りの人たちを悲しませた。

 両親が「あの子がもっと元気だったら」と影で嘆いたのを知っていた。私の治療費のせいで貧しい生活を強いられ、「いっそ早く亡くなってくれたら」と溢していたことも、そんな事を口にしてしまう自分たちを責めていたのも知っていた。


 幸せにするどころか、私はいるだけで周りを不幸にする。

 むしろ生まれ変わる前から、私は悪役令嬢のような物だった。

 

 だからこそ、彼がまるでヒロインのように扱ってくれたことが嬉しかった。

 側にいたいと、願ってくれて幸せだった。

 そして彼の優しさに報いたい、今度の人生では彼が幸せになる手助けをしたいと思っていたのだ。

 

 なのに、私の存在が彼を刻一刻と追い詰めている気がしてならない。


「ねえアシュレイ、どうしたら私はあなたを幸せにできる……?」


 眠る彼にそんな問いかけをした直後、慌ただしい足音が部屋の前までやってくる。

 ノックの音と共に部屋に入ってきたのは、王都にいるはずの父とマルだった。その足下に疲れ果てた様子のレインがいるところをみると、言いつけ通り彼は大急ぎで応援を読んで来てくれたらしい。


「アシュレイの様子は?」


 尋ねてきた父に、私は首を横に振った。


「身体が、人間に戻る気配がないの」


 私の言葉に、マルがアシュレイに駆け寄り肉体の状態を確認し始めたが、やはり状況は良くないらしい。


「魔力を抑える封印石を近づけても全く反応がありません。外部から無理矢理肉体を変化させるのは無理ですね」

「だが戻さないと、アシュレイが殺される!」


 父の鋭い声に、私は思わず息を呑む。


「殺されるってどういうこと?」

「討伐隊が、女学院に悪魔が逃げ込んだと主張しこちらに向かっているんだ。正体がアシュレイであることはまだバレていないようだが、奴らは悪魔を逃がさぬよう結界まで張っている」


 父の言葉に、レインがフラフラした足取りでアシュレイの隣に猫の姿で飛び乗る。


『結界には悪魔の力を抑える効果があるんです。そのせいで私も猫の姿から元に戻れませんし、魔法を使うことも出来ません』


 その手の結界は、悪魔にとっては毒でもある。

 レインがフラフラしているのも、アシュレイが苦しそうにしているのもそのせいなのだと悟り、この状況を予想出来なかった自分を恨む。


 多分討伐隊に、この場所のことを教えたのはイオスとジャミルだろう。

 攻略キャラだから敵にはならないだろうと高をくくり、見逃してしまったことを今更悔やむ。

 それに多分私はどこかで、この学園にいる限りアシュレイに身の危険が迫る事などないと思っていたのだ。


 ここは悪魔と愛の銃弾セカンドシーズンの舞台であり、攻略キャラであるアシュレイの命が脅かされるようなイベントは起きないと知っていたからこその油断だ。


 ラスボス戦の後には、攻略対象が悪魔に身体を乗っ取られるというイベントはあるが、それは個別ルートに入った後だし、危機に陥る相手は好感度が高い相手だ。

 そしてヒロインであるセシリアの好感度はカインに全振りだからアシュレイに危険はないと思っていたのである。


 だがよくよく考えれば、そもそも魔帝はアシュレイと一つになっているのだ。

 レインの反応やアシュレイの余裕っぷりのせいで見逃していたが、危機はすぐ側にあったし、ささやかな事が彼の命を脅かすことに繋がることもあると気づくべきだった。

 けれど気づいたところで、私にはどうすることも出来ない。


「むしろ、本来ここで破滅するはずなのは私なのに……」

 

 後悔と共に、そんな言葉が滑り落ちる。

 だがそれが、私にもう一つの気づきを与えてくれた。


「そうよ、展開を正しい方向に戻せばきっと……」


 元々、この女学院で窮地に立たされるべきは私だ。

 私が破滅するシーンもまだ訪れていないということは、悪役令嬢としての役割もまだ終わっていない可能性はある。

 

 だとしたら逆に、アシュレイを助けられるかもしれない。


「そうよ、“敵”なら……つくれる……!」


 そう思った瞬間、私はやるべき事が見えた。同時に、彼を救う方法がまだあることにほっとする。


「……ギー…ザ……」


 そのとき、不意にアシュレイが私の名前を呼んだ。

 わずかに開いた目は虚ろで、彼の意識は覚醒しているわけではないらしい。

 だがその腕が何かを捜すようにさまよったのを見て、私は大きな手のひらを握ろうとした。


 でも私は、そうすることが出来なかった。


 だって、この手を取るべきなのは私ではない。

 むしろ手に取ることで、彼を危険にさらしてしまう可能性の方が高い。


「アシュレイ、もうちょっとだけ頑張って。今度は私が、あなたの破滅フラグを折ってあげるから」


 耳元でそっと囁き、私はアシュレイから遠ざかる。

 それを追うように伸ばされた手は、最後まで掴まなかった。


 大きくて優しいアシュレイの手が握るべきなのは、彼を幸せにしてくれる人だ。

 長い人生をともに歩き、今度こそ彼に大きな幸せを与える者こそ彼に値する。


 だから私は、アシュレイから離れようと決めた。


 頑なに彼の手を取らない私を、怪訝そうに父が見ている。

 そんな彼からも顔を背け、「結界のほころびがないか確認する」と嘘をついて部屋を出た。


『お供してもいいですか?』


 そんな時足元から声がして、私は驚く。

 見れば、レインがくっついてきてしまったらしい。


「別に私だけでも平気よ?」

『いえ、ギーザ様はアシュレイ様の大事な方ですから一人には出来ません』


 絶対に離れないと言いたげな様子を見るに、連れて行くしかなさそうだ。

 とはいえ今のレインはただの猫だし、私のやろうとしていることを知ってもきっと止めることは出来ないだろう。

 それにほっとしつつレインを抱き上げたところで、今度はカインとセシリアがやってくる。


「アシュレイが倒れたと聞いたが、状況は?」


 不安そうなカインに私は「大丈夫よ」と微笑んだ。


「今はちょっとまずい状況だけれど、きっと何とかなる」

「本当に? あいつは大丈夫なのか?」


 アシュレイの安否を気遣う様子は微笑ましくて、心配なら顔を見に行って上げてと彼を送り出す。

 それに続こうとしたセシリアが、そこで顔を上げた。


「お姉様は大丈夫……ですか?」

「倒れたのはアシュレイだけよ?」

「でも、泣きそうな顔をしているように見えて……」


 聡い妹から僅かに顔を背け、私は慌てて表情を取り繕う。


「平気よ。それよりセシリアはカイン様についていてあげて。あの方はアシュレイ様が好きすぎるから絶対取り乱すだろうし」


 現に今も「俺のアシュレイが……!」と泣きそうな声が扉からは漏れ聞こえてくる。

 こんな状況でなければ萌えられたのにと思いながら、私は急いでその場をあとにした。


 叶うなら、もう少しここでアシュレイやカインたちとの学生生活を楽しみたかった。


 でもきっと、それは私に許されない願いだったのだ

 もしかしたら、この展開は幸せを掴もうとした私への戒めなのかもしれない。

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