夢から醒めて

 私と新楽瑠璃が恋人関係になった、その日の晩。どんな夢を見るのか興味津々でベッドに入った私は、結局、半年ぶりに夢を見ないまま朝を迎えた。

「どういうことだと思う?」

 新楽の──手に入れたばかりの連絡先に電話をかけ、私は尋ねる。すると彼女は、うぅん、と少し唸ってから答えた。

「先輩の夢に私の願望が流れ込んでいたのは、私が願望を表に出せず抱え込んでいたせいだと思うんです。ですから私の正体が先輩にバレた時点でそれが解消され、先輩の夢に影響を及ぼさなくなった……という推測はいかがでしょう」

「ふぅむ、そういうことなのかね。ちょっと期待していたから残念だ」

「私としては、先輩に私の願望がダダ漏れにならず安心していますけどね。……全く本当に、見られなくて良かった。恥ずかしい思いはもう十分しましたから」

 心底安堵しているような声色で、彼女はそう呟く。確かに期待していたのは本当だが、流石に彼女の意思と関係なく願望が開けっぴろげになるのは可哀想だ。ともあれ解決して良かった、そう考えておくべきだろう。

「ところで先輩」

「なんだい、新楽」

「今日は土曜日ですけど、予定が空いていたりしませんか? 特にこれといって何かやりたいことがあるわけじゃないですけど、私、生まれて初めてデートというものをしてみたい気分なんです」

「……君、結構あざとい言い方するよね」

「はて、なんのことでしょう」

 もちろん、私に外せない用事なんてものはない。なにせ友達が居ないもので。原稿を書くつもりではあったが、急ぎの用事でもないし、可愛い後輩からの誘いを断ってまでやりたい作業でもない。デート、良いじゃないか。そういえば、生まれて初めてなのは私も同じだったな。

「良いよ、どこに行く? 私に任せると、美術館とか行くことになるけど」

「美術館。良いですねぇ、嫌いじゃないですよ」

「そう? じゃあ、まずは美術館に行くとして、その後については会ってから決めようか。時間はどうしよう。午前中から行くつもりなら──」

 新楽と話し合って集合時間と待ち合わせ場所を決めると、「じゃあまたあとで」と告げ、私は通話を終えた。暇な一日になる予定だったが、急にデートの約束が入ってしまうなんて、まるで青春真っ盛りの高校生みたいだ。高校生だった。

 集合時間までそれほど余裕がない約束をしてしまったので、私はすぐに外出の準備を始めた。と言っても、化粧に気を遣ったことのない私の外出準備なんて、ある程度外見を整えて持ち物を用意すれば終わりだ。一通りの準備はすぐに終わった。

「さて……少し早いけど行くか。家で時間を潰しているのも面倒だしな」

 私はリビングでテレビを見ていた母親に出かける旨を告げ、家を出た。待ち合わせ場所までは徒歩で十五分ほど。学校に行くよりも所要時間は短い。

 待ち合わせ場所へ向かう道を歩きながら、私は改めて昨日の出来事を振り返った。今にして思うと、我ながら気が狂ったような対応をしたものだ。しかし新楽の性格を考えると、こうすることが一番幸せな結果だっただろう。もしも私があそこで彼女の好意を受け入れていなければ、彼女はまた一人になっていたはず。それは私にとって──たとえそのときには私も彼女のことを忘れていたとしても──望ましくない結末だった。随分と恥ずかしいことを口走ったような気がしないでもないが、それくらいの勇気を出した甲斐はあったと言える。

 それよりも気になるのは、新楽がナイアルラと呼んでいた存在のことだ。昨日、家に帰ってから試しに検索してみたが、やはりと言うべきか、出てきたのは彼女が名前を借りたと言っていたナイアルラトホテップの情報ばかりだった。正確には名前がないとも言っていたし、恐らく、調べて分かるような存在ではないのだろう。

 やはり、スケールが大きすぎて現実味がない。本当に居るのか分からないし、確かめる方法もない。気にするだけ無駄、ということだろう。創作のネタにはなりそうなので、とりあえずメモには残しておくことにした。一応、作品に使うときは新楽から許可をもらっておこう。広く知られたら困る、とかあるかもしれないし。

 そんなことを考えながら歩いていると、待ち合わせ場所の公園はもう、すぐそばにまで近づいていた。

「ん?」

 公園の入り口近くに、見覚えのあるにやにや笑いを浮かべて立っている新楽の姿が見える。彼女は私に気づくと、小さく控えめに手を振って見せた。ちょっと可愛い。

「なんだ、結構早く出てきたつもりだったんだけどな」

「ふふ、待ちきれなかったので待っていましたよ、先輩」

「……うん? うん、そっか」

 私が小走りで駆け寄ると、新楽はそんなふうに言って笑った。こんなに屈託のない笑顔を作れたのかと、私は失礼ながら驚いた。なんだろうか、毎日顔を合わせていたはずなのに、前よりも表情が穏やかに見える。本当にそうなのか、それとも、彼女を恋人として見ている私の目がそう捉えているのか。答えは分からないが、ともかく、そんなふうに笑う彼女は思っていたよりも愛らしかった。

「それじゃあ、先輩。早速ですが行きましょうか。私、こう見えて美術鑑賞は好きな方なんですよ。エドヴァルド・ムンクやルネ・マグリット、横尾忠則の作品なんかが特に」

「ムンクとマグリットと横尾忠則……なんか、好みに偏りが見えるな。まあ良いや。残念ながら、今日やってる展示はそのどれとも違うけどね。美術館なんて退屈だ、とは言われなさそうで安心したよ」

「ふふ、どこでだって退屈なんて言いませんよ。少なくとも、先輩と一緒ならね」

 こうして見ると、彼女はどこをどう見たって人間だった。彼女が話した通りなら、今この瞬間も触手は見えないだけで、彼女の体から生えているらしいが……見えず、触れないなら、無いのと同じだ。なにより彼女という人物は、人間らしさに溢れている。それだけで、私は彼女を人間だと断言出来た。むしろ、単に人間に生まれたから人間として生きている私より、いつも人間であろうと努めている彼女の方がよっぽどしている。敬意を抱くことはあれど、軽蔑することなど何もない。

「手でも繋いでみる?」

「……良いんですか」

「もちろん」

「じゃあ、失礼します」

 差し出された手を握り、私は彼女と並んで美術館へと向かう。それは初めての経験だったが、他人と手を繋ぎながら町中を歩くというのは、思っていたより気分の良い行為だった。

 十二月も終わりが近く、来週の半ばにはクリスマスがある。付き合いたてではあるが、新楽にプレゼントでも用意した方が良いだろうか。道中、一軒家を装飾しているイルミネーションを見かけた私は、そんなことを考えながら、新楽の体温を感じるのだった。

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悪夢と触手と嘘と愛 桜居春香 @HarukaKJSH

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