2 情報とは思考の栄養分である

「私はイシアの領主、ハープ家の長女クラムと申します」


 両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、挨拶をした女性。クラム・ハープと名乗った彼女は町民の行いを謝罪した。そして、トレーラーの修理が終えるまで屋敷に滞在してほしいと部屋の用意までしてくれた。

 イオンの技術力であれば数時間あれば割れた窓の修理を終えれそうだが、私たちは疲れていた。特に私を抱えて鬼ごっこをしていた近の疲労は相当なものだったようで、普段なら他人の家に滞在なんて冗談じゃないと真っ先に言う彼が一晩泊まろうと受け入れた。揺れの大きなトレーラーで寝るのではさすがに体力の回復か追いつかないと判断したのだろう。そしてその判断は正しかった。

 屋敷の内側は清潔感が保たれていた。室内に敷かれた絨毯は毛足が長くふかふかとしている。天井から吊るされたガラス細工の電灯にすら埃は積もっていない。もう1度言おう。屋敷の内側は驚くほど清潔であった。


「骨董品はイシアが栄えていたときの名残、かしら。どれもこれも古いものだし」

「この絵、とってもきれいですよ。そんなに古いものなんですか?」

「手入れをよくされているから色褪せもしていないのでしょうね。でもこの絵が売り出されたのはかなり前よ。40年は経ってるはず」

「大変です。わたしは生まれてません!」

「奇遇ね。私もよ」


 屋敷内は自由にうろついて良いと言われたので私と笑流はお言葉に甘えて無遠慮に散策していた。そんな私たちを見て、見知らぬ人の見知らぬ屋敷で不用心だと眉間に皺を寄せようとしていた近は笑流からぴったりと離れない優白を見て何も言わなかった。そうして男性陣は与えられた部屋で休み、女性陣は屋敷の散策と別行動をとった。

 ちなみに私たちに与えられた部屋もそれなりに豪華であった。部屋にあるベッドは砂埃を被ってざらざらというわけでもなく、羽毛をふんだんに使われたふかふかのもの。客室だとクラムさんは言っていたが、このような町にそこまで豪華な部屋を要する来客者が訪れるものなのだろうかとも考えたが口にするのはやめた。よそ様の来客者事情に首を突っ込んでろくなことにならないなは分かりきっている。


「あっ、そうだ。あのね、萩野」

「ん?」

「これ、ツナグが萩野に渡してほしいって」

「自分で渡せばいいものを……」

「プレゼントを手渡すのは恥ずかしいと言っていました。ツナグは恥ずかしがり屋さんですね!」

「そうね。そしてそれを真に受ける笑流はとっても素直だわ」

「えっ」


 小さな手のひらに転がされた空の小瓶を摘む。振ってみるが音が鳴るわけでも、途端に中身が現れるわけでもなく。電灯に向けて翳してみるが空の小瓶のまま。これをどうしろと言うのだろうか。しばらく睨めっこをするが何も閃かず。

 ツナグから直接手渡された笑流は何か聞いているのだろうかと目を向けるが、彼女も私を真似るように首を傾げていた。つまり、使用用途は聞いていないのだろう。


「ツナグ、他に何か言っていた?」

「えっとえーっと、100から0.1みくろん? って言われました」

「そんな数値を言われて瞬間的に理解できるのはイオンくらいよ」


 さて、何の数値を示しているのやら。小瓶を手のひらに置いてころころ転がす。数秒のうちに飽きてきたので考えることをやめ、ジャージのポケットに突っ込むことにした。ツナグのよく分からない行動はその時が来ないと全く理解できないということが多い。これもその類なのだろう。


「にしても、ここの領主は絵画を集める趣味が多いのかしら。無名な人から有名な人までそれなりにある」

「萩野の知っている人もいますか?」

「うん。絵の素晴らしさを語ることはできないけれど、題名と作者を結びつけるくらいには」

「やっぱり萩野は物知りです!」

「義務教育の中には美術っていう科目があるのよ」

「びじゅつ?」


 知識として記憶に留めることはできるが、心に響くとかそういう感動を味わうことはなかったなと。美術の授業を懐かしむ。綺麗な絵を綺麗と思うことはあっても、それ以上もそれ以下もない。技法とか時代背景を理解したところで、そうなんだの一言で済ませていた。

 だから、少しだけ動揺した。散策がてら見ていただけの、食事の時間までの暇潰し程度のものに。目を留め、足を止め。ついでに思考も停止することになるとは、


「わあ、きれいな人です!」


 笑流の弾んだ声にはっと我に返る。困惑するように瞬きを繰り返し、目を擦る。この絵を認識した途端、心臓が早鐘を打った。全機能を休止したかのように、自分の時間が停止かのように。全神経を注いで釘付けになった。一呼吸してからその原因を探るべく1人の女性が描かれた絵を観察する。

 特別な技法を取り入れたわけではない。何の変哲もない肖像画である。ダークブラウンの柔らかな髪は1本1本丁寧に描き込まれ、アップルグリーンの瞳は瑞々しい。とびきり上手い絵というわけでもないが、本人の特徴をよく捉えて描いたのだろう。ハープ家の長女の面影があるが、別人であろうことが分かる。いや、この場合は描かれた女性にクラム・ハープの面影があるのではなく、クラム・ハープにこの女性の面影があると言った方が正しいのかもしれない。つまり、この肖像画に描かれているのは。


「それは父が描いた母の肖像画です」

「お父様は画家なの?」

「元、と言った方が正しいのでしょうか」

「となると、お母様の方がハープ家の生まれなのね」

「はい。絵画の趣味をもつ母は有名無名問わず、心を掴まれた絵を集めていたようです。そして、ある日絵を描いて旅をする青年と出会い恋に落ちた。母曰く、この肖像画は2人が想い合っているけれど身分の差で踏み出せずにいるというもどかしい時期に描かれたとのことで」


 煤色と砂色の花を持って微笑む女性はやはりクラム・ハープの母親であった。現在、ハープ家には長女である彼女しか子はいないという。ということは女が生まれやすい家なのだろう。

 ふむ。手を顎にあてて考えるポーズをとる。これで思考力が増すわけでもなく、分からないものは結局分からないままなのだけれども。この肖像画がとっても綺麗だとぴょんぴょこ跳ねながら伝えている笑流を視界の端に捉えながら、もう少しだけ考える。確かに綺麗な絵なのだ。けれど、それだけの理由で私が見惚れたとは思えない。綺麗なものを綺麗だと捉える認識力はあるけれども、感動する感受性は弱いのだ。では、どうして。しばらく悩むが、やはり分からずじまい。1度目を瞑り、思考をリセットする。それからもう1つの疑問をクラム・ハープに投げかける。


「ちなみに、お母様は」

「……母は、10年前の流行り病で」

「そう。きっと惜しい人だったのでしょうね」


 表情に翳りが見られたのでその言葉の先を想像することは容易かった。彼女の睫毛が小さく震える。10年も前のことだとしても、思うことは山ほどあるのだろう。それを察した笑流も表情を曇らせて、言葉に悩んでいた。そんな2人を見ながら、情報を整理する。

 この町に来たとき、私が想像していたイシアと現在のイシアには大きな差があって動揺した。事前に聞いていた情報と違うと困り果てていた。それも、今の話を聞いて納得をする。私が知っているというのは書物で得た知識を記憶しているということ。イシアという小さな町の記録を頻回に更新するわけもなく、前領主が治めていたイシアが最後の記録なのだ。そして、空いた領主の座に元画家が座ったのだとしたら。この結果は仕方がないものだ。


「あっ、あの」

「何?」

「私、おふたりに夕食の用意ができたことを伝えにきたのです」

「そうなの、どうもありがとう。それで、どちらに行けばよろしいのかしら?」

「えっ、あの、えっと、食卓はこっちに」

「そう、こっちね」


 私と笑流が黙り込んだのを見て暗い話をしてしまったと慌てたクラム・ハープは両手を叩いて話題を変える。笑流はともかく私は哀れみを少しも抱いていなかったが、都合の良いように解釈してもらおう。それよりも夕食だ。おにぎりを食べたとはいえ、私の腹の虫はまだ満たされてはいない。

 足早に部屋を出て、狭いとは言わないが広々としているわけでもない長い廊下を進もうとした。しかし、非常に残念なことに道をまだ覚えていないのでクラム・ハープを急かすように声をかける。食欲を優先した私の行動に笑流は可愛らしく笑ってくれたが、優白には冷ややかな目を向けられた。狼に呆れられるなんて貴重な経験をしていると思う。


「屋敷を散策して思ったのだけれど、侍女とかいないんだね」

「さすがにそこまで裕福ではないので……」

「ふうん。そのわりには清潔よね、屋敷の中全体的に。誰が掃除をしているの?」

「私ですよ。毎日ひと部屋ひと部屋丁寧に、仕上げに魔法を少し使っておりますが」

「……魔法?」


 長い廊下を3人と1匹で並んで歩き、改めて感じる。この屋敷、清潔感が保たれていると。あまり使われていなさそうな客室もだが、廊下を見渡しても砂っぽい空気がない。天井に吊るされた電灯に埃が積もっていないことから誰かが掃除をしているのだろう。だが、屋敷にお邪魔して数時間が経過しようとしているが侍女を1人も見かけていない。

 食卓までの道すがら質問をする。それに対してクラム・ハープは指先をくるりと回しながら説明をしてくれた。女児が好むアニメに登場する魔法使いのような仕草だと思っていると、案の定笑流が気に入ったみたいで真似っこをしていた。笑流の指先が宙を描けば、きらきらと粒子が舞ったように見えた。見間違いだろうかと瞬きを繰り返せばそこには何もない。見間違いじゃなかったとしても笑流が魔法を使えても驚くことはないので追究はしない。

 けれど、クラム・ハープが魔法を使えるということには違和感を覚える。イシアに住む彼女が、テクノロリアで生まれた彼女が魔力を有しているわけがないのに、と。


「もともと、ハープ家はアルケミアの生まれなので」

「え。でもイシアは」

「はい。テクノロリアに、一応鳥籠の従属国ですね」

「あう、うう。萩野、分からない言葉がいっぱいでぐるぐるです!」


 私の表情を汲み取ったクラム・ハープは疑問を解消する的確な回答をくれた。解消と同時に新たな疑問が浮上するので解決まではもう少しかかりそう。

 あの鳥籠がアルケミア出身の者が納める町を従属国にするなんてあるはずないのだから。

 胸元に垂れ下がるペンダントをいじりながら考えるが、私以上に分からないに溢れて目をぐるぐるさせている笑流のために疑問解消に努めるのをやめる。食卓まであとどれくらい歩くのかは分からないが、そこまで長いわけでもないと予想し簡単に説明しよう。お勉強の時間だ。


「この世界は魔法で発展したアルケミアと科学で発展したテクノロリアに分かれているのは知ってるよね」

「はい。魔法が使えるツナグがアルケミアで、技術屋であるイオンはテクノロリアで生まれたってやつですのね」

「そうそう。あの2人で考えると分かりやすいよね。で、アルケミアとテクノロリアは国名じゃなくて世界を大カテゴリー分けしたときの総称」

「だいかてごりー」

「あーっと。例えば、優白は動物だよね」

「はいっ、狼です!」

「そう。その狼というのが中カテゴリー。他にも鳥とか猫とかをまとめて言う動物が大カテゴリー」

「えっとえっと、つまり。テクノロリアが大カテゴリー、鳥籠という国が中カテゴリーで……イシアが小さいカテゴリーになるってことですね!」


 ツナグであれば宙を黒板代わりに、光で文字を描いて視覚的に分かりやすく説明する。しかし、残念ながら私は魔法を扱えない。というか魔力ゼロ。なのでできるだけ身近なもので例えて説明する。ふむふむと真剣な顔つきで聞いていた笑流は少しの説明で単語にしてあげていない小カテゴリーまで辿りつく。

 やはり、笑流は賢い。よくできましたと頭を撫でれば、泡立つラムネのように瞳を輝かせ、頬をほんのり桜色に染めて満足そうに笑う。それだけでは喜びを表現し足りなかったようで、優白に抱きついて私に褒められた旨を報告していた。私がやれば間違いなく急所を噛まれるけれども、笑流相手にはとことん優しい優白。すぐ傍にいたから褒められたことなんて報告されずとも分かっているなんて顔をせず、蜂蜜入りのホットミルクのようにほろ甘く優しい鳴き声をあげて鼻先を笑流の頬に擦り寄せていた。


「仲がよろしいのですね」

「そうだね。あの子たち、四六時中べったりだから」

「そちらもですけれど、おふたりのことですよ」

「私と笑流? そうね、親しい方かもしれないけれど……貴女とあの子どもたちほどではないわ」

「そうですか? でも……えっ」

「あ、目的地についたみたい」






 動揺で声をうわずらせ、アップルグリーンの瞳を右へ左へと忙しなく動かす。なんて分かりやすいのだろう。やれやれと呆れるように溜め息を吐いて、クラム・ハープがいっこうに開けようとしない扉に手をかける。細かな装飾が掘られてざらりとしたドアノブを押せば、腹の虫が一斉に鳴き出すような香りが鼻腔をくすぐる。室内を見渡せば既に着席している近とツナグ。イオンの姿は見えないけれど、彼が食事の席につかずよそで技術を奮っているのはいつものことなので気にする必要はない。広いテーブルの上に敷かれた真っ白なテーブルクロス。そこに並べられているのは湯気が昇るシチューだった。しかも驚くことにビーフシチュー。柄じゃないけれど目を輝かせてはしゃぎたい。

 私の衝動を抑え込んだのは理性ではなく、近の鋭い視線でもなく、チョコレートブラウンの瞳から不躾に放たれる視線。近から目線を逸らすために私に向けているわけではなく、遅れてやってきた客人に視線を向けたわけでもなく。観察するような視線。珍しいあお色を有する笑流ではなく私を観察しようとするのは奇特な領主である。


「この度はお招きいただきありがとうございます」

「……ああ。そう畏まらなくても。楽にしてくださいな」

「そうですか。それは助かります。あまり柄じゃないもので」


 丸めた背筋を伸ばす。左足を斜め後ろ、内側へ。右膝を軽く曲げる。いわゆるカーテシー。目上に向けての挨拶としては十分だろう。意味は分かっていないが、私の仕草を見て笑流も真似る。上手上手と小さく拍手を送れば、ふふんと誇らしげに胸を張る。本当に何しても可愛らしい。心なしか隣にいる優白も自慢げに見える。

 領主に促される席に腰を下ろす。笑流用の席は子ども用の椅子が用意されていた。可愛らしいデザインのもの、おそらくクラム・ハープが幼い頃に使っていたものだろう。使わなくなったとしても使えなくなったわけではない物は捨てられないタイプとみた。捨てられないのは娘より父親の方か。笑流が座る姿を見て、彼は懐かしむように目を細めて表情を和らげる。


「これで全員とみてよろしいですかな?」

「はい。あと一人は食事の席に着くことの方が珍しいので気にしないでください。一人分余ったところで、きっと彼女の胃袋が収めてくれますよ」

「ちょっと」

「ははっ、なんとも頼もしい。ぜひともおかわりもしてください。娘の自信作なのでね」

「それでは遠慮なく」

「お前な」


 まるで私が大食いかのようなことを言うものだからツナグに文句を言う。しかし、おかわりができると言われたらしないかというとそれはノー。こんなにも美味しそうなビーフシチューを余らすなんてもったいないから喜んでしよう。……もっとも、クラム・ハープからしたら余りが出た方が都合が良いのかもしれないが。

 領主クライ・ハープの食前の挨拶に続き、私たちも食材となった命と作り手のクラム・ハープに感謝を込めて挨拶をする。


「ん、美味しい」

「本当ですか?」

「こんなことに嘘を吐くことはしないよ」

「萩野さんってやっぱり」

「近やツナグのせいで誤解されそうだからこの場で訂正させてもらうけど、別に大食いじゃないから。ちょっと食への欲、食に対する楽しみが人より強いだけだから」

「それは大食いとは違うのですか?」

「全然違う」


 悩まし気な表情で違いを理解しようとするクラム・ハープ。これは理解を得られる機会だと、私としたことがつい熱を入れた説明をしてしまった。その姿がよほど愉快に見えたのだろう。近とツナグが肩を小刻みに震わせていた。二人のせいでしょうと近の足を踏んでおく。残念ながら私とツナグの間には近がいるため何もできないが。

 食事中の雑談に加え、隣の席に座る者の足を踏み合うと行儀の悪いことをしていても私たちは食器の音を立てずに食べる。だからだろう。唯一、皿にスプーンを当てては軽い音を立ている笑流はその度に小さく声をあげる。そして、申し訳なさそうに、恥ずかしそうに俯く。誰も咎めやしないのに少しばかり気にしすぎではと思うが、お年頃の女の子としては羞恥心が煽られるのかもしれない。


「この町、随分と貧しいみたいだか良い肉使ってるな」

「はは。これは厳しいお言葉を」

「この肉を買う金を使ってやれば旅人を襲うガキも減るんじゃないか?」

「そ、それは」


 食卓に静けさが満ちると笑流の食器の音が目立つので何か話題がないかと探してみた。そうこうしている間に近が口を開く。近から話を振るなんて珍しいと聞いていれば、話題が最悪だった。

 野菜独特の甘みがたっぷり染みこんだシチュー。それを絡めとった厚めのビーフは噛めば噛むほど肉汁が口腔内に広がる。作り手の腕が良いにしても、確かにこのお肉は質が良い。貴重なお肉をしっかりと味わいながら近の話題に肩を震わせたクラム・ハープを観察する。

 近の発言に目線が左下へ。そこから続いたとクライ・ハープとの会話に真下へと移動する。困惑から罪悪感。本当に分かりやすい。クライ・ハープもお世辞には嘘が上手とは言えないようで空笑いをしつつ、目線を右下へ泳がせていた。

 もしここに、痛める良心を持ち合わせる誰かがいれば近を咎めて話を切り上げおうとするのだろう。当然、私はそんな良心を持ち合わせていないし、ツナグは優雅に微笑みながら話を聞き流している。頼みの綱は笑流なのだろうけれど、彼女は今音を立てないようにと食事に集中している。


「イシアは畜産をするには向いていない土地。だとすると、良質なお肉を入手するには輸入するしか術はない。……まあ、よそから来る商人から買い付けるという手もあるだろうけれど、今のイシアにそういう方はいらっしゃるの?」

「え? ええ。ありがたいことに古くから付き合いのある方は定期的に来てくださるんですよ。この屋敷を中心に東地区はまだ見栄えも良いので」

「さて、近。家畜を育てる、食肉に加工する、商人が良質なお肉を選別する、イシアまで運ぶ。これらの過程を踏まえて売られたお肉の価格を想像してみて」

「それなりにするだろ」

「そのお金を子どもに使うとしたら、近は何をする?」

「……炊き出しとか」

「それで飢えを凌げるかもね。でも一時的だよ。中途半端に与えることほど残酷で、偽善的だよ。だったら自分の健康に投資している方が私は好感を持てるかも」


 当然、捉え方は人それぞれ。一食分だけでも泣いて喜ぶ人もいれば、それだけで心優しいお方だと感謝する人もいるだろう。私の考え方はあくまでもいろいろなものに恵まれているからこそできるもの。食べ物を得るために手段を選べずにいるあの子どもたちからしたら贅沢な話だ。

 顔を青白くし、唇を震わせるクラム・ハープを横目で見ながら安堵の表情を浮かべるクライ・ハープに話を振る。せっかく、近が空気を読まず不躾に話題をあげてくれたのだ。この際、引き出せるところまで情報を引き出してみよう。


「東地区の方が見栄えが良いとのことだけれど、裕福な町民もそちらに偏っているのかしら? 事前に得ていた情報だと、貧富の差がそれなりにあると聞いていて」

「ええ。西地区の方が流行り病の被害が大きくて」

「西地区というと……アルケミアに近いですね」


 何かがツナグの琴線に触れた。それまでずっと我関せずで黙り込んでいたツナグは突然饒舌になる。ツナグは興味のない話には微笑みを浮かべながら全てを聞き流す。都合の悪い話も同様に。代わりに、興味のある話への食いつきは物凄い。このように。

 これは面倒臭いことになりそう。目を輝かせて身を乗り出すツナグから目を逸らし、水を飲む。近がなんとかしろと肘で小突いてくるが、そっと首を横に振る。ああなったツナグを止められるとしたらイオンくらいだ。そのイオンといえば不在。私たちができることといえば根掘り葉掘りと聞かれる親子に同情するくらい。


「あの病は恐ろしさは感染力にあったと記憶しておりますが、なぜ西地区だけに留まったのでしょうか? 実に興味深い話ですね」

「え、ええ。だからまず、人の行き来を封鎖して」

「あれはそんな単純な話ではないんですよ」

「……妻の研究成果とでも言えばよろしいでしょうか。魔力の欠片もない私では理解も説明もできないものですが」

「ほう、奥様の。ご息女の様子からどちらかが魔力持ちだとは思っていましたが……随分と優秀な魔法使いだったのでしょうね」

「その結果、自身も流行り病に感染して亡くなってしまいましたがね」


 クライ・ハープの瞳が揺れる。握られた拳は震えており、彼の中で妻の死はまだ整理がついていないのかもしれない。これは少し情報を整理する必要がある。とはいえ、それは今やるべきことではないのだろう。どんどん冷たくなっていく近の目に我慢の限界が来たので、咳払いを一つする。

 会話、とも言えないか。ツナグが無遠慮に質問を投げつけ、クライ・ハープが口籠りながらも答えるというやりとりが止まる。近がこの空気なんとかしろと訴え続けるものだから横槍を入れてみたのだけれど、さてどうしよう。


「東地区には本とか売ってるの?」

「ありますが……」


 イオンのことだから明日には修理を終わらせている。そうしたらすぐにでもイシアを出ることになる。帰り際、東地区に寄って本屋の品揃えを確認したい。ついでに暇潰し用に一冊買えたらいいと思っているけれど、この調子だと本は娯楽品とみなして高価格となっていそう。

 皿の中を綺麗に食べ終え、満足気にお腹を擦る笑流の口周りを拭きながら明日の予定を組み立てる。今日の買い出しのように右も左も分からず迷い込み、あんな目に遭わないようにとクラム・ハープに店の名前や道順を確認する。そこでふと思い出す。ここ数日間、私の口と胃袋が求めている一番欲しい物。


「ちなみに、ソフトクリームは売っていたりする?」

「あるとお思いですか」

「あったらいいなという期待を込めただけなの。悪かった、謝るのでそんなに怖い顔しないで」

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