第2話 オフ会

 僕が高校の教師を辞めた理由は、数多くあれど、最大のきっかけとなったのは、やはり生徒の親からのクレームだろうと思う。今、冷静に振り返れば、そこまで気にしなくても良かったのかもしれないが、生徒の父親から毎日の様に怒号を含む電話がかかってきた事により、心も体も少しずつむしばまれていったのだ。

 一ヶ月の休職後、気がつくと何度も休職を繰り返してしまい、結局復職出来ないまま退職をしてしまった。


 それ以来、僕は人付き合いが苦手だと思っているし、できるだけ避けたいと思っていた。だからこそ、今は他人と必要最低限の接触しかしていない。

 ただ、そんな僕でも、このブログの中では、陽気で明るい写真好きな男性を演じられるのだ。勿論、オフ会でもそういう姿を頑張って演じなければならないと考えていた。そう、僕の居場所であるこの世界を壊さない為にも……。



 数日後、”結花さん”からメールが来ていた。


「この展開は驚きですが、心の何処かでこうなったらいいなと思っていたのだと感じています。私は、今月最終週の金、土、日で奈良に行きますので、どうぞよろしくお願いします」


 それからの僕は、オフ会行程表を作成し、事前にロケハンを実施。そこでは、行程の時間を計りつつ、できるだけ皆が疲れにくい道を選んだりと真剣に取り組んだ。


 そして、あっという間にオフ会当日になった。天気は曇りだが、雨は降らないようだ。

 僕は、待ち合わせ時間の午前十時より三十分も早く来て、みんなを待っていた。


 近鉄奈良駅での集合といえば、なんといっても行基像の噴水前が定番だ。

 だから、僕もオフ会の集合はこの行基像前と案内をした。


 時計が午前九時五十分を指していた。

 すると突然その時、僕は立っていられない程の大きな揺れを感じた。


「地震だ!大きい!」


 東向商店会のアーケードもバリバリと音を立て揺れている。僕は思わずしゃがみ込む。しかし、その揺れは僕の身体だけでなく頭の中も大きく揺らしていた。


「なんだ、この感覚は……」


 僕は思わず吐きそうになり、両手を口に当てる。だが、その大きな揺れはしばらくすると静かに一気に引いていった。


 時計を見ると午前九時五十三分。

 しゃがんでいた僕は立ち上がり、辺りを見渡す。周りの人はいつものように歩いており、建物にも異常は全く見受けられない。


「ふう。とにかく良かった」


 僕は、スマホで地震情報を検索したが、まだ速報も入っていない。最低でも震度四はあったのではないだろうか?後でまたチェックしてみよう。



 待ち合わせの時間だった午前十時が過ぎた。まだみんなは来ない。

 僕は、その後、何度も時計やスマホを見たりしていたが、結局十時三十分を過ぎても誰一人来る事は無かった。


 僕は、心からこのオフ会を望んでいたわけではないのに大きなダメージを受けていた。

 皆に踊らされたんだろうか?騙された? いや、そんな人達ではない。もしかしたら、さっきの地震で交通機関が止まっているのでは無いだろうか? 僕は、近鉄奈良駅へ続く階段を下っていった。そして、駅の改札にいた駅員さんに尋ねてみる。


「あの、さっきの地震で電車の運転、止まってないですか?」

「えっ? 地震?正常に動いてますよ」


 結局、午前十一時まで待ったが、誰一人来ることはなかった。

 とても寂しく辛い気持ちが身体全体を襲っていた。このまま家に帰っても落ち込むだけだと思った僕は、ロケハンまでして決めたオフ会のルートを一人でたどってみることにしたのだった。


「さぁ。行くか」


 なんだか視線がぼんやりしている。頭の中に薄い膜がおおっているようだ。

 力なく歩き出した僕は、東向商店街を通り抜け三条通を左折する。そこからは、しばらく真っ直ぐ歩き、春日大社を目指すのが、最初のルートだった。


 猿沢の池を右手に見ながらさらに緩やかな坂を登って行く。左手には興福寺の五重塔が今日も勇壮に空に向かっている。

 僕は、横断歩道を渡り、春日大社一の鳥居をくぐる。


「先生!!!」


 僕は、急に呼びかけられ、その声の方へ振り向く。


「あっ、橘じゃないか」


 その声の持ち主は、以前僕が勤めていた学校で担任をしていた時の教え子だった。確か、今は三年生のはずだ。

 追い込みの夏と言われるくらいこの時期は勉強をしなければならないはずだが、彼女はここでいったい何をしているのだろう?

どうやら一人のようだ。


「お前、ここでなにしてるんだ?夏って大事だろう?勉強はいいのか?」

「大丈夫、大丈夫。私は短時間で集中して勉強するタイプだし。まだ、焦らなくていいと思うんだけど。先生こそここで何してるん?」


 はぐらかすことも出来たのだが、僕は何故だか正直に現在の状況を説明する。


「あ、そうなん?だったら、私、そのオフ会ルート行ってみたい!!いいでしょう?」


 担任と生徒だったらさすがにまずいだろうが、もう何の縛りもない。

 ただの散策だし、まあいいだろうと、僕は昔の教え子とオフ会ルートを散策をすることにしたのだった。

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