第5話 東条 渚ー2ー



 どうしようかなと少し悩んで、結局、律は咲桜を買い物に誘った。

 白のシャツに黒のジャケット、黒のパンツ。相変わらず、初見では渚が男か女が分からないだろう。隣を歩く咲桜は、白のトップスにふんわりと裾の広がる黒のロングスカート。仲良し女子のお揃いコーデにも見えるし、カップルのそれにも見えなくもない。

 電車に乗って、商店街を目指す。学生の買い物は専ら、そこだった。


「制服じゃないのに電車に乗ってるのって、なんか不思議」

「そうか。写真部は夏休みに活動してないんだったか?」

「うん。でも、後輩の子と一緒に写真撮りに宮島に行ったよ!」

「ああ。そうだった。土産、ありがとう。美味しかった」


 懐かしいな、宮島。そうだね。

 と、二人は共通の思い出に想いを馳せた。同じ思い出について、同じに懐かしめる。そんなことが、当たり前ではないのだと知っている。

 駅に着くと、人の流れるままに進む。みな、目的地のある方向は大体同じようだ。

 目的は夏祭りに付ける髪飾りだったが、夏祭りに行かないと言った咲桜と一緒に堂々と呉服屋に入るのも躊躇われて、律は目的を明確にしないまま、オシャレな雑貨店や服屋を目につくままに立ち寄った。

 これ可愛い、あれが似合いそうだ、などと二人できゃっきゃと買い物を楽しむ姿は、確かに女同士に見えなくもない。


「小腹がすかないか?」

「あ、同じこと思ってた!」


 顔を見合わせて、ふふ、と笑い、私達と言ったら此処だよな、と言う喫茶店の入り口に手を掛ける。

 カラン、とベルが鳴り「あら、いらっしゃい」と柔和な笑顔のおばちゃんが微笑む。


「咲桜ちゃんじゃない! 久し振り~」

「お久し振りです」

「渚ちゃんは、この間ぶりね」

「ふふ。また来ちゃいました」


 外から見える、窓側の席に座る。「勇志と来たの?」首を傾げた咲桜に渚は返答を迷って、視線を宙に彷徨わせた。「あー……」と音を間延びさせた後、「一之瀬と」ポツリとその名前を落とす。


「……あ、そうなんだ。…………えっと、元気、してた……?」


 努めて何でもないような顔をして、咲桜は置かれたお冷やの入ったコップに視線を移す。渚も倣うようにコップを見た後、また咲桜の方へ視線を移して「ああ、まあ」と頷いた。「やつれた、とかはなかったな。いつもの生意気な後輩だった」

 再び渚の方へ恐る恐る視線を移した咲桜が、その言葉に笑った。


「生意気なんだ?」

「ああ。あいつ、咲桜の前では幾重にも猫を被っているぞ」

「へぇ?」


 昔の私は知っているたのかな、と溢した台詞に、渚はかける言葉が見付からなかった。

 それぞれ、ホットサンドとホットコーヒー、食後にケーキまで注文した。渚と咲桜はタイプの違う美人だが、その好みはよく似通っていた。


「……咲桜。あの、余計だったらすまない。一之瀬と咲桜は、咲桜が中学二年の時に出会ったらしい」

「あ、そうなんだ」

「……一之瀬、部活は辞めるつもりらしい」

「そうなんだ。……勿体無いね。上手かったのに、弓道」


 咲桜は記憶の中の朔也に想いを馳せた。

 応援に行った試合。勇志が大前おおまえー一番に弓を引くー。その次のポジションに当たる二的にてきが朔也だ。渚は一番最後。おちとして、しんがりを務める。

 弓道の試合を見るのは初めてではない。三つ歳が上の幼馴染、朝陽はるきもまた、弓道部であった。

 武道。ーーー取り分け、弓道はカッコいいなと咲桜が思っている理由の大部分にはきっと、自分がカッコいいと思っている四人の弓を引く姿が脳裏に焼き付いているからだろう。咲桜にも、その自覚があった。

 中でも、朔也の弓を引く姿は格好いい。

 口分け……弓に引かれた矢が真っ直ぐきちんと、唇の割れ目に揃うし、離れ、残心と続く動作も美しい。しん、とその時だけは、普段は黄色い声が混ざる歓声も、静まる。当たり前のように、他校にも、勇志、朔也、渚のファンクラブみたいなものが出来ていた。


「……でもそうかぁ。やっぱり、思い出せていない記憶の中に、彼はいるんだね」

「……ああ」

「………なんで、彼の事だけ……思い出してあげられ無いんだろう……」


 自虐的に笑うその顔に覚えがあって、渚は慌てて言葉を探す。「いいんだ」そんな、言葉が口をついたが、本心だった。


「いいんだ。いつか思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない。もしかすると、何か、思い出したくない理由があるのかもしれない……。咲桜は悪くない。だから、そんな顔をする必要なんか無い」


 何か大事な話をしていると察してか、ホットコーヒーとホットサンドを持ってきた勇志の母親は二人の会話の邪魔をせず、会話が途切れた時にそっと配膳を済ませ、「ごゆっくりね」と一言添えて立ち去った。


「ありがとう」


 曖昧に笑う。咲桜の癖のようなもの。

 咲桜は、自分の存在だって不確かなものだと知っていた。果たして、記憶の無い自分は、相手が求めている『遠山咲桜』で間違っていないのだろうか?ーーーいつだって、そんなことを思う。咲桜は、を同一人物だと考えない。

 渚も、彼女が納得して笑ったわけではないとは分かっていた。が、目の前で手を合わせてホットサンドに向き合う咲桜に、それ以上何も言えず、一旦、小腹を満たすことにした。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る