第31話 懺悔(前編)

 俺は魔神城の地下牢に投獄されたらしかった。頑丈そうな鉄格子に鍵がかけられる音が今でも耳にこびりついていた。

 それから何時間か経っていたんだろう。俺は冷たい石壁に背中を預けてボーっとしていた。

 物が見えなければ何も出来ないし、何かをする気力も湧かなかった。思考が暇を持て余しているらしく、俺の気持ちを無視して封印された記憶を勝手に掘り返していた。


 思い出せたのは断片的な記憶。

 俺は……いいや、そろそろ僕はと呼ぼうか、卑屈で負の感情を背負った少年だった。背格好こそイグニスと似ている部分があったものの、妖霊として銀色の天使を宿していて、もっとひ弱な体格をしていた。

 星の神殿にあった〈色封石ラピス・カラー〉の街に住んでいたというのも思い出せた。ツバサの家を主な寝床にして、不思議な天使と二人で暮らしていた。

 二人きりの世界だと名前が要らなかった。だから僕は自分に名前がないことに疑問を抱かなかったし、天使の方もわざわざ名乗ろうとしなかった。

 そんな僕が名前を得たのは、食料を集めようと森を歩いていた時。

 偶然、魔神城のあるゾークベルダから抜け出してきたフロースとイグニスと鉢合わせし、気味が悪いと思ったフロースからゼノと呼ばれたんだ。

 僕は神殿に飛んで帰り、呼ばれた言葉が自分に浸透していく感覚を覚えて肩を震わせた。


 ゼノ、それが僕を表現する最も簡単で的確な言葉。


 僕は自分の体に心臓がないことを知っていた。本来は生きることが出来ない体だということを頭では理解していて、けれどもその奇妙さに堪えられず、忘れる努力をしていた。

 そうして押し込めた事実を再認識し、端から見ても気持ち悪く思われてしまう現実を目の当たりにし、僕は気が狂いそうなほど苦しんだ。

 そしてある時、恐ろしさを克服するために僕は妖族の村に乗り込んだ。手にどこかで拾ったナイフを握って、イグニスを捜しながら「心臓を返せ!」と騒ぎを起こした。

 ひ弱な天使しか宿していなかった僕は、限りなく強靭な妖王族に近い体質だったのにも関わらず、呆気なく村人に取り押さえられた。しかも人型の妖霊を宿した僕は殆ど体の変形がなく、魔族の一味と勘違いされて村から追い出された。

 表向きは奇妙な魔族が反乱を起こそうとして未遂に終わったという軽い事件として取り上げられ、人の記憶からもあっという間に消え去ったんだと思う。


 それでも、僕の存在を知っているイグニスには事の重要性がわかったらしい。暫くして、僕に会うために星の神殿まで来てくれた。


 烈火の獅子を従えた王子は凛々しくて、僕は怒りも忘れて跪いてしまうほどだった。

 イグニスは心から申し訳ないと謝ってくれた。何か力になってあげたいと、数々の温かい言葉をかけてくれた。

 イグニスは本当に出来た男だった。こっそり王宮を抜け出しては、国境のラインザまで僕に会いに来てくれて、僕が知らなかった外の世界の話を沢山してくれた。

 こんな僕でも気味悪がらず、普通に接してくれる。その優しさに、僕はすぐに心を開いた。烈火の獅子を宿したたくましい後ろ姿にどうしようもないほど憧れた。

 僕達は仲良くなった。天使は新しい友達が出来たことを喜んで、いつも烈火の獅子と一緒に離れた場所で見守ってくれていた。一生、気心知れた親友として仲良く出来ると思っていた。


 なのに。


 僕はイグニスを裏切ってしまった。フロースのことを好きになってしまったんだ。

 イグニスは僕がフロースのことを怖がっていることを気にして、彼女がどんなに素晴らしい少女か話してくれた。それが却って災いした。

 今考えればイグニスが好きな人を僕も好きになるのは当然だった。

 僕はイグニスとどこか似ていた。同じ遊びではしゃぎ、同じものを美味しいと思い、同じことで喜びを感じた。

 それが恋愛となれば仇となった。

 イグニスは僕の気持ちを知ると、ラインザの森に来なくなった。


 それから暫くして、あれはイグニスが十五歳の時だったか。

 僕はイグニスに会いたくてラインザの森にしばしば放浪するようになった。それでも友と思えた唯一の少年は現れることはなく、この頃から僕は卑屈な性格をこじらせていった。

 誰にも必要とされていないのだと、生きている価値もないのだと、自分で自分を絞めつけて。

 もう、食料集めの途中で二人を見かけても逃げるようにその場を離れた。二人のことを忘れようとした。それでも、フロースへの好意はどうやっても消せなかった。


 だからあの日、僕はイグニスを魔神城へ行かせてしまったんだ。

 切れ切れに思い出せるのは、フロースとイグニスがラインザの森で口論になっていたこと。

 フロースは魔神城に乗り込むと宣言したイグニスを必死に止めていた。二人は散々言葉をぶつけ合い、先にフロースが行動を起こした。イグニスを呪いで縛り上げようとしたんだ。

 しかし、イグニスは禍々しい縄を一跳びで避け、黒い煙を放ってフロースを気絶させた。ごめんと一言謝り、イグニスは出発しようとした。

 僕はフロースを悲しめるイグニスが許せなくて、隠れていた木の陰から思わず飛び出してしまった。僕がいるなんて全く思っていなかったんだろう、〈妖国フェリアーヌ〉の王子は目を丸くした。


「どうしてこんな強引なことを!」

「最初に手を出したのはフロースだ。ああするしかなかった」

「フロースはイグニスのことを心配していたのに。少しは気持ちをわかってやれよ!」

「善人気取りかよ。話にならねえ」


 僕を突き飛ばし、イグニスが行こうとする。僕は結界を張って、行く手を塞いだ。


「何の真似だ?」

「行くなら、僕を倒してからだ」

「マジで言ってる? というか、俺を倒せると本気で思ってるのか?」

「やってみなきゃわからない」

「自分の実力くらい自分で把握しろよ。急いでるから手加減はしない。悪く思うなよ」


 結果はわかっていた。戦いに特化した烈火の獅子と爪も丸い天使とでは攻撃力に差がありすぎて、全く歯が立たなかった。

 けれども、指をくわえて行かせるなんてその時の僕にはどうしても出来なかった。

 火傷でボロボロになった僕に対して、イグニスはこう言った。


「お前の気持ちはよくわかった。ならこうしよう。明刻が来るまでフロースを天使の鳥籠に閉じこめろ。もし俺が戻らなければ、お前の誠意に免じてフロースをやる」

「え?」

「しっかり見張れよ。俺だってフロースの身に何か起こるのは嫌なんだ。もし、フロースを守れなかったら、レグルスにお前を殺させてやる」


 イグニスは早口にそう言うと、さっさと行ってしまった。

 姿が見えなくなり、僕は自分の傷の治療を始めた。痛みがすっかりなくなると手持ち無沙汰になってしまったが、やがてフロースが目を覚ましたので、僕は咄嗟にフロースの周りに見えない壁を張った。

 フロースはよくここまで言葉が思いつくなと思うほど、散々出せと罵倒してきた。

 それでも、僕は一晩中貼りついて壁を強化し続けた。フロースを自分のものにしたい、ただその一心だった。

 フロースは壁を破ろうと奮闘していた。今思えばよくあの強力な呪いの力に耐えられたと思う。

 神経が焼き切れそうなほど僕は強く念じ、壁に力を送った。あんな無茶、後にも先にも出来ないと思う。


 十時間は経っただろうか、フロースが悪寒がすると言ってしゃがみ込んだ。

 最初は僕を騙すための嘘だと思ったが、どうにも様子がおかしい。

 突然、フロースは自分の腕を抱えて金切り声を上げた。その時は何が起きているのかわからなかったが、妖霊が抜ける感覚を知った今ならフロースが何を感じていたのか理解出来た。

 イグニスが死んで、魂の契約を結んだフロースから魔力が失われようとしていたんだ。

 そんなことが起きているとは知らずに、心配になった僕は壁を取り払ってフロースを手当てしようとした。

 その僕を張り倒し、フロースはコウモリに変身するとどこかへ飛んでいった。僕は慌ててラインザの森を出て、天使に案内してもらいながらフロースを追いかけた。


 魔神城の王室、まさに今日カエルムが命を絶ったあの部屋で目にしたのは、慟哭するフロース。そして、砂になった少年の亡骸だった。

 ここから先は思い出すのをやめよう……。いい加減泣きたくない。

 僕はその日、フロースに誓いを立てた。

 何があってもフロースに従う。たとえ僕という精神が殺されようとも、文句は言わないと。

 三日間、フロースは僕と口を利いてくれなかった。何を話しかけても耳を塞いで無視された。そこへ、行き場を失ったレグルスが現れて、魔神カエルムを止めてほしいと頼まれた。

 それで僕とフロースは妖霊を集めるための旅に出た。


 これが真実。


 どうして僕はあの時イグニスを行かせてしまったのか。敵うはずのない相手に対して武力行使なんて、飛んで火にいる夏の虫とはこのことじゃないか。

 戦わずに、イグニスを鳥籠に閉じこめて行かせなくすれば済む話だったのに。

 いや、本当は答えなんてわかってる。嫌になるほど単純なことだ。

 僕はイグニスに嫉妬していた。憧れの裏返し。全てが欲しかった。〈妖国フェリアーヌ〉の王子である身分も、勇敢な妖霊も、美しい恋人も。

 だからきっと、魔神にだろうがなんであろうが、殺されてくれと思ってしまったんだ。


 ああ、なんて、なんて僕は最低な人間なんだ。

 なんで僕が生きているんだよ?

 奪って、壊して、苦しめて。

 誰か殺してくれよ。どうせ僕は死んでいるんだろう?

 だったらもう、いなくたっていいじゃないか。

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