第30話 真実の記憶(後編)

 怒りが火剣となって手に現れた。記憶の中で武勇を振るう緑の髪の戦士と自分を重ね、俺は駆け出した。


「カエルム、死ねえ!」


 カエルムは得意とする水魔法で応戦してきた。クジャクの尾羽のように氷の槍が現れ、次々と襲いかかってきた。

 俺は昨日フロースと練習したようにそれらを火剣でなぎ払った。


 絶対にこの火剣で捕らえてやる! 剣が届くまであと三歩、二歩……。


 火力を倍にして剣を突き出した。しかし剣が届いた瞬間マントの姿が消えた。

 よく見ると、コウモリに変身していた。フワリ、風に吹かれた羽のように宙を舞い、着地。鈍色の光がコウモリを包み、マントを翻した男が現れた。

 俺とカエルムは魔神室で対角線上に向かい合っていた。手鏡をギラつかせ、再び氷の槍を作り出す。

 手を前に掲げると命令された兵隊のように氷が向かってきた。火剣を足元に突き立てて巨大な火の壁を作り、氷を一気に蒸発させた。


「やめるんじゃ。殺意に躍らされてはならん!」

「うおおおお!」


 炎を操り、カエルムに深緑の波を浴びせる。あれだけの火を受けても奴は火傷一つ負っていなかった。

 それくらいは既に読んでいる。俺の目的は近くまで駆け寄るための時間稼ぎだ。

 守りの壁を取り払う奴の元へ走り、接近する。炎を回収し、振り上げた手に火剣を作り出すと思いっきり振り下ろした。

 決着がついたはずだった。しかし俺の攻撃は鎧の腕によって防がれていた。


「ええい、やめんか!」

「サノー!」

「カエルム卿は〈魔国デモンドカイト〉を治める王。一人で何万もの命を背負ったお方なんじゃ。何が何でも殺してはならん」

「そうよ。最初から私達の目的は〈心臓カルディア〉を使わせなくすることだったはずよ」


 フロースの声。振り向くと、フロースはすっかり意識を回復させていて、ペンナから〈心臓カルディア〉を受け取っていた。

 感情を操作されたはずなのに、フロースは落ち着いていて異様な様子はない。

 むしろ、驚異的な速さで悲しみを克服して立ち上がった様は神々しいほどに眩しかった。

 フロースが無事だとわかって、俺の中で煮えたぎっていた怒りもスッと引いていった。ペンナが風のソリを作り、乗ってと言うようにキュンと鳴いた。


「〈心臓カルディア〉は私が虹の神殿に戻してくるわ。その間、二人でお父様を押さえておいて」

「わかった。頼んだぞ」


 不意に誰かが俺の手首をつかんだ。いつの間にか全身が黄色い、ペンナそっくりな少女が隣に立っていた。

 燃え盛る火剣を見つめ、続いてカエルムに視線を移す。感情の読めない猟奇的な瞳。気づいた時には遅かった。


「一人で何万もの命を背負った人……。一人で何万人分の価値がある人……」


 反対の手でサノーを突き飛ばし、カエルムの腕を掴む。

 ステラに見つめられ、カエルムは体の動かし方を忘れてしまったかのように大人しくなった。


 一瞬の静寂。


 空気が凍ってしまったんではないかと思うほど張り詰めていて、息をつくことすら出来なかった。

 警告をするようにペンナがアロアロと鳴き、こちらへ猛進してきた。しかし、紫色のウサギが到着する前にステラは行動を起こし、俺の握っていた火剣でカエルムの胸を貫いていた。

 ゴウと炎が爆発し、火剣が消えた。たった一突き、それでもカエルムの息の根を止めるには充分だった。

 ゆっくりと目を閉じ、声を上げることもなくカエルムはその場に崩れ落ちた。


「カエルム卿、魔神様!」


 サノーがどんなに強く揺すってもカエルムが目を覚ますことはなかった。

 心臓を焼かれたんだ。即死だ。

 揺すったせいで呼吸の止まった半開きの口から深緑の血がこぼれた。

 目に涙を浮かべ、サノーは血のにじんだ胸に額を埋めた。どうしてこんなことに。


 湧き上がる怒りをステラにぶつけようとして気づいた。さっきまで隣にいたステラの姿がない。

 カエルムの中に隠れたのか? それとも逃げたか?

 俺の足元がにわかに眩しく光り始める。カエルムの体が虹色の光に包まれていた。

 これって〈命源ポエンティア〉か?

 光が体から抜け、吸い寄せられるように上昇した。そして、フロースの掲げる〈心臓カルディア〉に収まった。

 ドクン。波打つように石が白く光った。


「フロース、何の真似だ!」


 フロースは感触を噛みしめるように〈心臓カルディア〉を胸の前で握りしめた。興奮を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。

 見開かれたルビーの目を見て俺は悟った。

 どうして気づかなかったんだ。完全に不意を突かれてしまった。

 フロースの肩を抱き、ステラは石を覗き込んだ。琥珀の目が絶望に染まり、不安定に揺れていた。


「どうして輝きを放たないの? 何万人分の命の価値があるのに……」

「どういうこと?」

「まだ足りないの? いつまで集めればいいの?」


 フロースの肩にすがりつき、ステラは俯いた。キラリと光る物が素足のそばに滴った。フロースは不安そうに鼻をすする音に耳を向けていた。

 突然、ステラが悲鳴を上げた。狂ったような慟哭。あまりにも強烈な声を上げるんで、俺達も足がすくんでしまった。

 フロースはどうすればいいかわからない様子で、呼吸を荒げている。

 その肩にもたれかかり、ステラは囁いた。


「フロースって言ったっけ? 私のお願い、聞いてくれるよね?」

「お願いってなんのことよ?」

「同じ波動を感じる……。貴女ならわかってくれるはず。どうして私がこんな殺戮をするすのか。きっと協力したくなるはず。だって、貴女の中にも殺人者がいるんだもの」

「やめて……やめて!」


 ステラの姿が空気に溶けて消える。フロースが頭を抱え、呻いた。


「フロース!」

「近づいてはならん。姫様の文字列に不穏な影が浮き出してきておる。体に入り込んでしまったかもしれん……」

「宿ったってことか? 魔族なのに?」

「魔族でも人間じゃ。宿ってもらう必要がないだけで、宿れないわけではない」


 違和感はすぐに過ぎ去ったらしい。〈心臓カルディア〉を握りしめたまま、髪をかき上げた。ルビーの目が迷うことなく俺達に向いた。妖霊を宿したことで視力が回復したのか。

 フロースの様子がおかしい。さっきまでのカエルムと同じだ。普通の目をしていない。

 黄色いウサギが現れ、天狐のようにフロースに絡みつく。一人の女を征服したことを喜ぶように、琥珀の目が怪しく笑った。

 星の力を放ち、フロースは重力から解放されて軽々と浮かび上がった。ステラのフワフワな首元を撫で、絶対的な神のような目で俺達を見下ろした。


「フロース、目を覚ませ! ステラに心を奪われるな! 今感じている気持ちは全部偽物だ」

「私のこの気持ちが偽物だって言うんなら、存在自体が偽物のあんたはどうなの?」

「今は俺の気持ちの話はしていないだろう!」

「私の気持ちは本物よ。本音を言うとね、私はあんたのことが許せなかった。あんたさえいなければ私は魔神城に乗り込むイグニスを止められた。あんたのせいでイグニスは死んだの」


 ペンナがステラを追い出そうと飛びかかる。フロースが黄金の光を投げつけ、ペンナを撃ち落とした。もう、完全に星の力の操者になってる……。

 フロースは胸にかけた翼のペンダントの鎖を引きちぎり、叩きつけるようにこちらへ投げた。ペンダントに宿っていたペンナは困ったと言わんばかりにペンダントを口で拾い上げた。


「そろそろ言わなければならないわね。あんたの本当の名前はゼノ。名前がなかったから私がつけてあげたの。異端って意味よ。あんたは私達とは異質な存在。親もない、かすみから生み出された、誰にも知られてない作り物」


 ゼノ……?

 そんな酷い言葉が名前のはずがない。心の中で必死に否定した。

 でも、どんなに否定しても頷かない自分がいることを俺はハッキリと感じ取っていた。

 ゼノという言葉と俺自身に繋がりを感じる。呪いのように、体と言葉が融着していた。


「あんたは偽物。不完全で、奇怪な存在。イグニスじゃなくてゼノが死ねばよかったの。そうすれば、誰も悲しまずに済んだ。私もアーラの呪いを受けに行こうなんて思わなかった」


 フロースの言葉に誘われるように、記憶が語りかけてきた。

 魔神城でフロースが慟哭していた。彼女の下にはどこか俺と似ている少年が倒れていた。

 その胸を抱きしめようとすると、少年の体は砂となって崩れてしまった。

 握りしめた乾いた土に涙の粒が滴る。パンドラの箱の小瓶を飲んだ時、土を握っている変形のない手は俺の手だと思っていたが、それはフロースの手だったと今になって気づいた。


 要するに俺は、自分の記憶ではなくフロースの記憶を飲んでいたのか。

 フロースが半狂乱になって割っていた小瓶の記憶は、俺のじゃなくてフロースのだったんだ。


 記憶の中で俺は夢中で謝った。なんでもすると誓った。フロースはよろよろと立ち上がり、つまずいて転んだ。反動で手鏡が遠くに跳んでしまうと、フロースは床に這いつくばって手鏡を捜した。

 この時にはもう視力は……。ああ、ようやく理解した。


「イグニス、震えておるのか?」


 例の悪寒がした。半ば崩れるようにうずくまり、深呼吸を繰り返して悪寒を和らげようとした。

 けれども引っ張られるような感覚は無情にも襲いかかってきた。

 弾かれるように、深緑の獅子が体から抜けた。


「レグルス、待って」

「……」


 レグルスは悲しそうに目を細めると、どこかへ走り去った。

 行かないでと伸ばした手から、獅子の尖った爪がボロボロと剥がれ落ち、人間の薄っぺらい爪に変わった。尻からも獅子の尾が抜け落ちる。高い位置にあった耳もこめかみの下まで下り、髪も茶色く退色した。

 これが、俺の本当の姿……。

 フロースを取り巻いていた狂気のウサギが色を薄め、消えた。フロースが羽のように着地し、惨めな俺を楽しそうに眺めていた。


 バタンと大扉が開く。様子がおかしいと駆けつけた召使達が部屋に流れ込んできた。

 焼け焦げた部屋、中心で倒れているカエルムも火傷を負っている。先頭にいた二人がカエルムの元に駆け寄り、体を揺すった。一人の両手がカエルムの背中に陥没する。脆い砂となったことを理解し、二人は狂ったように叫んだ。


「フロース様、一体何があったのです?」

「イグニスが父を……。〈魔国デモンドカイト〉を憎むあまり暗殺を企んでいたのよ。私は必死になって止めたの。でも、烈火の獅子だけが腕をすり抜けていって……」


 ヒクヒクとしゃくり上げ、ルビーの目から涙をこぼして見せた。嘘泣きなんて卑怯な!

 全員の視線が俺に集中する。


 違う。最後に留めを刺したのは俺じゃない。

 信じてくれ!


 逃げようとした時、急に目の前が墨を流したように真っ暗になった。

 そうか、最後の妖霊が抜けてしまったから。思わず立ち止まったところへ背中から雷の網を受ける。ビリビリと全身が悲鳴を上げ、俺はその場に倒れるしかなかった。


「手荒な真似はよすんじゃ。イグニスは既に妖力を失っておる。抵抗など出来ん」


 何も見えない。誰かが肩を掴んでくる。

 暗闇の閉塞感と捕らえられる恐怖とで俺はパニックになっていた。

 四肢をばたつかせ、サノーの名前を必死で呼んだ。煩いと誰かが俺の口に遮音の膜を張った。自分の声が聞こえなくなり、更に恐怖が膨らんだ。


 触られるのが怖い。召使達の罵声も怖い。

 視力を失っただけで何もかもが怖くて仕方ない。


 ガツンと何かが頭を強打した。脳が揺れ、意識が遠のく。暗闇に吸い込まれていく感覚の中、俺は最後にフロースの笑い声を聞いた。

 誰にも気づかれないようにこっそり笑ったんだろうが、俺にはハッキリと聞き取ることが出来た。

 星ウサギに支配された彼女の声は邪悪で、とてもフロースの物とは思えなかった。〈心臓カルディア〉の主に相応しい、狂気に酔いしれた女の声だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る