第29話 真実の記憶(前編)

 高級そうな絨毯を蹴り、大階段を上がる。大きな扉の前でさっきの黄色いウサギがアロアロと鳴き、妖力を発散させていた。

 ガチャリ、扉がひとりでに開く。隙間からスルリと侵入した背中を追いかけて部屋に入ると、王座でぐったりしているカエルムが見えた。

 足元に黄色いウサギがいる。俺達に気づくなり、ステラはアロアロと攻撃的な声で鳴いた。カエルムが頭を抱え、喚き始めた。


 フロースの首元からペンナが現れ、ステラに体当たりした。同じ声で威嚇し合い、二羽は争い始めた。

 今のうちにと俺とフロースはカエルムの元に駆けつけた。青ざめ、震え、偉大な魔神は別人のようにげっそりとしていた。


「お父様!」

「……これを」


 カエルムは手に持っていた白い塊を差し出した。目の見えないフロースの代わりに俺が受け取った。

 その手をカエルムがそっと掴む。ドキリとして俺は身を硬くした。


「君はやはりあの時の……。そうか。私の行為は間違っていたということか」

「あの時って?」

「その様子では本当に覚えていないんだな。なら、謝っても無駄か」


 弱々しいウサギの声が聞こえたかと思うと、ペンナが壁に叩きつけられて床に崩れた。

 あのペンナが負けたなんて!

 ステラは体ブルブルさせて毛並みを整えると、俺達に魔法を放って吹き飛ばした。長い後ろ足で大きくジャンプし、黄色いウサギがカエルムの首元に着地する。

 嘲笑うようにキュンと一声鳴くと、ステラはカエルムの首元に消えた。


 カエルムが一瞬喘ぐような表情を見せ、すぐに大人しくなる。足をひきずるように立ち上がり、カエルムが俺達に歩み寄った。

 クソ、こいつはもう元の殺戮男だ。俺達を見回す猟奇的な目が語っていた。


「ステラ、何故魔神カエルムを操って悪さする? 今すぐ解放しろ!」

「誤解するな。私はあくまでも偉大なるカエルム卿だ。ステラなどではない」

「この際どっちだっていいだろう。なんで殺戮を企んでいるのか訊いてるんだ」

「殺したいからに決まっている。命が砕ける感触、それがどれほどの快感なのか感じたことのない人間にはわかるまい」

「ふざけたことを!」


 俺は火剣を作り出した。魔神カエルムは首にかけた巨大なラピスを掲げた。

 虹の神殿の時のように、〈心臓カルディア〉が怪しく光り始める。俺の体から虹色の光が染み出し、〈心臓カルディア〉へなびいた。

 ぐらりと視界が揺れる。気がつけば俺は膝をついていた。クソ……立てない。


「お父様、お願い。これ以上〈心臓カルディア〉を使わないで。お父様にはそんな残酷なことは出来ない。本当の自分の心を取り戻して!」

「これが私の本当の心の内だよ、フロース。むしろ、今までが隠していたんだ。私の心は罪悪感でいっぱいだった。救いの道すらないのではないかと思うほど、私の心は深く沈んでいた。だから私は、私よりも惨めな人間を沢山作ろうと思ったのだ。お陰で私は心の底から笑えるようになった」

「そんなのはお父様じゃない」

「私の何を知っている? 知るはずもない。何故なら私はお前には何も打ち明けてこなかったのだから」

「お願いだから〈心臓カルディア〉を手放して。イグニスに辛いことをさせないで!」

「イグニス、これが」


 カエルムは俺の顎の下に手を回し、無理矢理顔を上げさせた。

 立ちくらみが激しくなる。意識がフワフワし、吐き気がした。


「現実から逃げるのはやめたまえ、フロース。どうしても顔を背けると言うのなら私がこの場で真実を話そう」

「何も言わないで。お願いだから」

「まず、イグニス・G・イーオンのこと。彼は既に死に、この世に存在していない。何故そう言いきれるか。私がこの手で殺したからだ」

「それ以上続けないで! イグニスが聞いているのよ!」

「実に勇敢な男だった。しかし、この男の水魔法を撃ち破れるほど彼の炎は強くなかった。魔法の水瓶に突き落とされ、溺死。その後、〈心臓カルディア〉に魂を吸い取られ、砂になった」


 それでイリスの力で蘇ったんだろう。知ってるよ。


「では、そこにいる獅子使いは誰か? サノー、お前は覚えているはずだ。むしろ、片時も忘れたことがないだろう。自分がこれから心臓を抜き取られ、死ぬということも知らずに無邪気に笑う幼い少年のことを」

「まさか!」

「そう、そのまさか。あの少年は心臓を失ったことで死に、虹ウサギの口づけによって命を取り戻した。そして七年もの間、星の神殿にある〈色封石ラピス・カラー〉の街ですごし、成長した。サノー、お前ともあろう魔族がすり替わりを見破れないとは心底驚いたよ」

「有り得ん。一度消された命は二度と戻ることはない」

「ラピス・インケルタの性質を思い出せ。これが集めた〈命源ポエンティア〉は骸の体を動かす。死にながら生きている歪な存在を生み出す」


 待てよ。話を勝手に進めるな。

 俺がイグニスじゃない? しかも死んでいる?

 本物のイグニスを助けるためにサノーの手によって殺された? 俺はイリスの魔法で蘇って、でも死んでいる?

 どういうことなんだ! 誰か、誰かわかるように説明してくれ!


「姫様、何か知っておるのではないか? カエルム卿の話は真なのか?」


 フロースは逃げるように俯いている。こんな肝心な時に黙るなよ。


「サノー、憶測ではあるが私が代わりに答えよう。フロースはイグニスの死を知り、酷く打ちひしがれた。それこそ忘れてしまいたい、なかったことにしてしまいたいと思うほどに。そこでそこのよく似た影を利用して、過去を改ざんしようとした。アーラの秘術を使ってイグニスとの思い出を吸い出し、イグニスの死に関する記憶を除き、残りを影に与えた。予め全てを忘れさせられていた影は渡された記憶が自分の物だと信じ、自分こそがイグニスだと思いこむようになった」

「嘘だ」


 自然と口から漏れていた。立ちくらみが激しく、意識もかすみ始めていたが、自分を否定される痛みだけはハッキリと感じ取れていた。

 顎を掴む手に力が入る。顎の下に食い込む指の感触が嘲笑っているように感じられた。


「嘘だと思うのなら訊こう。渡された小瓶の中に〈妖国フェリアーヌ〉の王宮で家族と過ごした記憶はあったか? 烈火の獅子と二人きりで語り合っている記憶は? あるはずがない。どちらもフロースが見聞きしたものではないのだから」

「小瓶の内容がフロースの物だったとしても、俺はイグニスなんだ」

「だったら記憶の封印をこじ開けてよく思い出してみるがいい。弟妹の名前が思い出せるか? 公務で話した〈妖国フェリアーヌ〉の国民達のことは一人でも覚えているか? 逆を訊こう。お前は星の神殿にあった〈色封石ラピス・カラー〉の街を見て懐かしくはなかったか? 一万年前に滅びたはずのワコクのことを詳しく知っていなかったか?」


 カエルムが俺の顎を離す。俺はその場に崩れ落ちた。

 体が冷たく感じる。指先や足の先が凍ってしまったかのように痺れて動かなかった。

 やばい。そろそろ本気で死ぬかもしれない。


「お前は私がアーラの秘術によって生み出したイグニスの影だ。死んだまま動く奇妙な人形。心臓を求めてさまようゾンビだ」


 心臓のない体?

 それなのに俺は意識があって、動いている……?

 無理だ。理解が出来ない。理解したくもない。


 魔神カエルムは懐に手を伸ばし、何かを取り出した。よく見るとそれは翼の形をしたペンダントだった。

 フロースのペンダントの片割れ。音信不通になる前に〈妖国フェリアーヌ〉の王子が肌身離さずしていた愛の証。

 半信半疑だったサノーの気持ちが確信へと変わるのがわかった。フロースも遂に膝を折り、涙をこぼした。


「ごめんなさい……。ごめんなさい!」


 堰を切ったようにフロースが激しく泣き始めた。

 そうか。俺、本当にイグニスじゃないんだな……。


「受け入れられなかった。だって、小さい頃からずっとそばにいて、一緒に成長してきたんだから。いなくなるなんて信じられなかった。魂の契約まで結んだの。イグニスは私の光そのものだった。こんな暗闇に一人ぼっちになるくらいなら、壊れた方がマシだって」


 そういうこと……。

 ああ、駄目だ。頭がぼーっとして何も言葉が出てこない。もう〈命源ポエンティア〉が枯れかけてるんだ。

 けど、一つだけ気になってることがある。

 俺の本当の名前はなんなんだ?


「どうやら、私の憶測は合っていたようだな」


 カエルムはゆっくりと足を進め、愛撫するようにフロースの肩に手を添えた。


「どうしてイグニスを殺したの? 殺す必要なんてなかったでしょう?」

「私はイグニスを憎んでいた。イグニスが心臓病など患わなければ、私は〈妖国フェリアーヌ〉と〈魔国デモンドカイト〉を結ぶことが出来たのだから」

「違うでしょう。そんなのは言いがかり。いい加減に認めてよ。お父様はステラに操られているの。今感じている気持ちはお父様のものではないの」

「同じ言葉を返してみようか。フロース、ついこの間までそこの骸に対して抱いていた感情、本当にそれはフロースのものか? フロースが愛していたのはイグニスであって、そいつではなかったはずであろう?」


 フロースがハッと息を呑み込んだ。涙を拭い、カエルムは愛娘を抱き寄せた。


「愛だと思っていたものが実は狂気だった。人の気持ちというのはそれだけ曖昧なものだ。誰かに指摘されるまで気づくことすら出来ないほどに」

「……」

「そして、気づいてしまった時の痛みは堪えがたいものでもある。後悔、嫌悪、罪悪。思いが刃となって体を蝕んでいく。消してあげよう。私がこうすれば、その痛みも消えてなくなる」


 フロースの目を大きな手が覆い隠した。その手が黄色い光が生まれ、フロースの頭に浸透していく。

 何かを感じてフロースが喉さえ裂けそうな声で叫んだ。

 なんてことをしているんだ? クソ……。

 なんとか立ち上がろうとしても思うようにいかない。体が殆ど動かないんだ。

 ただの骸に戻ろうとしているのか? やめてくれ、フロースが危ないんだ。お願いだから動いてくれ。


 ガクンと首を折り、フロースが倒れる。サノーが駆け寄り、フロースを抱きとめた。完全に意識を失っている。


「姫様に何をしたんじゃ!」

「悲しみと恐怖の感情に蓋をしただけ。もうフロースが泣くことはない」

「感情に手を加えるなど!」

「涙を飲みこむため、溢れる感情に鍵をかけるというのは誰でもやること。私がやっていることはそんなに残虐非道だとは思えないが」


 攻撃的な声を上げ、ペンナがカエルムの手から〈心臓カルディア〉を奪い去った。黒い石が俺の前に転がってくる。

 ペンナは目でそれに触れるよう促してきた。


 命を奪われるか、与えられるか。

 そんな恐怖が頭をよぎったが、どうせこのまま何もしないでも死ぬんだ。

 だったら、一か八かに賭ける!


 俺は感覚のない腕を伸ばして〈心臓カルディア〉を掴んだ。果たして石の光は俺に浸透していった。

 ああ、力が戻って来た。立てる。動ける。

 ここから、反撃だ!

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