第12話 虹の光(前編)

 懐中電灯を使っているうちに俺はレグルスからある重要なことを告げられた。レグルスによると懐中電灯の光の下だと妖獣や妖霊の姿が見えなくなるらしい。その証拠に、壁や床は懐中電灯を向けると色が変わるのに、妖獣や妖霊は色が変わらなかった。さっきの戦闘が上手くいったのも、俺が相手の位置を教えてあげていたからで、〈フォンス〉の枯れたフロースからすれば全く見えない相手と戦っていたも同然だった。

 これじゃあ、フロースは一人で戦うのは絶対に無理だ。

 それでも、ウィールスの件で気をよくしたフロースはもっと戦わせてほしいと言って聞かないので、俺はひたすら懐中電灯を対象に当て続けることになった。

 暫く練習を続けると、フロースは驚異的な順応力を見せ、懐中電灯を駆使した戦いにあっという間に慣れた。勢いづいたフロースは秘宝を得るための試練もあっさりとこなした。


 リアロバイトに帰ってからこのことを話すと、サノーは両手を上げて喜んだ。


「しかし、懐中電灯の光に写らない物があるとはのう。これまた不思議なことがわかったものじゃ」

「でも、これがあるお陰で大分歩きやすくなったわ。面白いのよ。先生にも物の形とか見せてあげたかった」


 フロースの奴、あんなに懐中電灯で照らされた世界を嫌がってたくせに。

 フロースが気をよくしてどんな風に物が見えているのか話し始めたんで、二人とも大盛り上がりだった。暫くは俺の入る隙もなさそうだと思い、俺は自分の部屋に上がって休ませてもらうことにした。

 部屋に入るなり、鈴の音を放ってディーバが姿を現した。ディーバはけたたましく鳴きながら飛びまわり、急降下しては俺の体を突っついてきた。


「なんなんだよ!」

「この大嘘つき者が! 一回死んでる体だって? 今は神霊様の加護なしでは生きていられないだって? ただのゾンビじゃないか! こんな気持ち悪いのを宿主にしたつもりはなかったわ!」

「いてえよ、やめろよ」

「今すぐ私を解放しなさい。今すぐ、ここでよ! 気持ち悪いったらありゃしない」


 ディーバの突っつきは激しくなる一方だった。

 本気でやめろよ。ハゲが出来たらどうするんだ。

 巨大な泡と真っ赤な葉が現れ、それぞれの中からマルガリータとアグリコラが出現した。マルガリータが俺とディーバの間に割って入り、突っつきを止めてくれた。


「どんな過去があれ、一度契約を結んだ仲でしょう。失礼よ」

「失礼なのはどっちの方よ。私達は騙されていたのよ!」

「ディーバの言う通りだ! 魔族と現れて変だと思ったんだよ。さっさと記憶を取り戻して僕達を解放してくれ。それと、僕の尻尾を布団代わりに使うのもやめろ」


 ディーバだけでなく、アグリコラまで俺を非難してきた。マルガリータはやめるように二羽を止めてくれているが、自分の妖霊に嫌われるのは嫌なものだな。

 むせ返るような熱気とともに、深緑の獅子が現れた。颯爽と大きなたてがみを風になびかせ、三羽を威嚇するように部屋の中をウロウロ歩き始めた。


「喧嘩なら中でやれ。宿ったのは自分達の意志だろう。宿主を煩わせるな」

「やだね。詐欺師の言うことなんか信じられるか」


 口答えするアグリコラにレグルスは飛びかかった。体の小さいリスが怖気づいて姿を消すにはそれだけで充分だった。ディーバもやはりレグルスには逆らえないのか、口答えせずに消えた。マルガリータも俺の体内に戻ることにしたようだ。


「ありがとう」


 レグルスは不愛想に鼻を鳴らすだけだった。相変わらずご機嫌斜めな野郎だ。

 無言のレグルスを横目に俺は服を脱いだ。

 胸の傷、あるな。大蛇の鱗が剥がれ落ちたんで今ならハッキリとわかった。

 わかるにはわかるものの、触ってみないと皮膚が変に分厚くなってることに気づけないくらい目立たない。縫合が上手いってことだ。

 へえ、あんなジジイがな。傷を撫でれば撫でるほど腕の良さがわかり、見た目とのギャップが凄くて信じられなくなった。


「心臓病のこと、レグルスは知ってたんだよな? なんで言ってくれなかったんだ?」

「フロースの呪いで我輩から言い出すことは出来なかったのだ。イグニスが知ってくれたんで、今は話せるようになったらしい。あれは見事としか言えない手術だった。ああ見えてサノーの医者としての腕は、魔神カエルムにも認められるくらいだったからな」

「魔神?」

「魔族の王のことだ。カエルム・A・アモル、名前くらいは覚えておいた方がいい」

「わかったけど、サノーってそんなに凄い医者だったのか。それでも、俺がイリスの世話になったってことは麻酔が切れても息を吹き返さなかったんだよな? っていうことは、やっぱり手術自体は失敗に終わった?」

「いいや。手術は成功した」

「じゃあ、どこで一回死んだんだよ?」


 銀色の塵をばらまき、アルスが現れた。

 レグルスの目が一瞬きつくなる。

 アルスは全く怖気づくことなく、腕組みして見下ろした。


「レグルスって本当に物分かりが悪いな。いい加減認めろよ。あの手術は失敗だった。縫合が終わってサノーが眠りの魔法を解いてもイグニスは目を覚まさなかった。その時点で死んでいたんだ」

「……」

「宿主が一回死んだ屈辱は同情するけど、だからってなかったことにするのは筋違いってもんだろ。もう見栄を張るのはやめろ。な?」

「見栄などではない」

「見栄なんだよ。わかったら、この話は終わり。イグニスはイリスのお陰で目を覚ました、レグルスはまたイグニスの体に戻れた。めでたしめでたし。だろ?」


 レグルスは押し黙ってしまった。

 あんな風に目を反らして、らしくない反応をする。

 他の妖霊はレグルスにビクビクしてるのに、アルスは変わった妖霊だと思う。


「っていうか、なんでアルスが手術のことを知ってるんだ? 俺と会ったのはつい最近なんだろう?」

「あの手術は星の神殿で行われた。俺はずっと神霊に仕えてきたんで、たまたま手術の現場に居合わせたんだよ。まあ、遠目に見てるだけだったんで、サノーの腕がそこまで高かったなんて知らなかったけどな」


 レグルスは深くため息をつき、姿を消した。この場をアルスに明け渡すことにしたらしい。


「それにしても、俺が一回死んでたなんてな」

「二回、だろう? 今回のも入れて」

「わかってるって。なんだか、虹の神殿で出された問題もなんだか他人事に思えなくなってきたよ。神霊様の力で生かしてもらってるなんてさ」

「『寿命を超えて脈打つ命、果たしてそれは重いか軽いか』だっけ? 気にするだけ無駄だと思うぜ。俺からすれば延命されたからイグニスの命が重くなったとは思えない。イグニスはイグニスだ」


 アルスの真っ直ぐな言葉が今の俺にはありがたかった。

 自分が死んでるとか生きてるとか、正直考えたくなかったんだ。


「なんでウィールスは俺から抜けていったんだ?」

「記憶が戻ったからだろう。俺も記憶が花開くのをこの体で感じたぜ」

「フロースの小瓶を飲んだわけじゃないのに」

「俺の憶測を言うと、イグニスの記憶は二つの方法で封印されている。一つは小瓶に抽出、もう一つは記憶と意識の回路の遮断。小瓶に抽出されたものはどうやっても思い出せないけど、回路の方は時間が経てば修復することがある。頭を強く打って記憶が思い出せなくなるって話は聞いたことあるだろう。多分、それと同じ状態。じゃなきゃ小瓶の本数が少なすぎる。イグニスの十七年の人生が小瓶十本分だなんて有り得ない」

「言われてみれば。だからサノーにも余計なことを話すななんて言うのか」

「自分のことを思い出したい気持ちはよくわかるけど、アーラの秘宝が全部揃うまでは控えた方がいいと思うぜ。力を失っていけばそれだけ危険が増える。妖獣を相手する限りは、フロースの力にも頼りすぎない方がいい」

「ああ。気をつける」


 って言われると余計に気になるんだけどな。


 アルスが銀色の塵に戻る。

 ドアが開き、フロースが入ってきた。ノックくらいしろよ。

 俺に断りもせずにフロースはせっせと持っていた物を床に広げ始めた。


「ラピスについて先生に訊いてきたの。使い方を教えてもらったから、見て」


 フロースは並べた二つの箱のうち左側の蓋を取った。

 中には白いネズミが一匹入っていた。魔法にかかっているのか深く眠っている。

 ネズミと言えば、この前の悪夢が思い出される。

 さすがに呪いで姿を変えられた誰かじゃなく、本物だよな?

 続いて胸ポケットから特殊な光沢を放つ巾着袋を取り出した。口を開けて床にひっくり返すと、虹の神殿で手に入れたラピスが出てきた。


「体、なんともない? 活性を高めるために色々触媒を仕込んできた後だから」

「ああ。イリスも言っていたとおり、直接触らなければ大丈夫なんだと思う」

「じゃあ続けるわ」


 魔導書を開き、手鏡の光をネズミに当てる。丸い光の中で禍々しい文字が躍っている。


「まずは、ネズミの息を根を止める」


 魔法が発動すると、小さな体に電流が走った。潰れた断末魔の後、ネズミはパタリと脱力した。

 あ、呆気ないな……。

 小枝のような細い腕の下に、フロースはラピスを押し当てた。


「死んだことにより、〈命源ポエンティア〉の循環が止まる。循環が止まると〈命源ポエンティア〉の放出が始まる。ここにラピスを当てると、そのエネルギーを吸収することが出来る」


 ネズミの体から虹色の光が浮かび上がる。光はフワリと体から抜けた後、ラピスに吸い込まれた。

 水面に石が落ちたような波紋が見え、その後元の黒い結晶に戻った。

 フロースは手探りで毒々しい色の液の入ったコップを用意した。


「今このラピスにはネズミ一匹分の〈命源ポエンティア〉が入っている。今は吸収の状態だから、触媒に浸して放出の状態に変える。別の死体にこのラピスをかざす。死体と〈命源ポエンティア〉が引き合って、ラピスの先端に雫が集まる。それを口に含ませる」


 説明通り、ラピスの尖った先に虹の光が染み出てくる。滴る寸前でフロースはネズミの口を開けさせ、滴を口の中に滴下した。

 ネズミが目を開き、何事もなかったように箱の中を走り始めた。


「抽出と注入ということ。それから、不思議なことも出来るの」


 フロースは鏡の光を当て、ネズミを眠らせると雷撃で息の根を止めた。

 実験とはわかっていても、なかなかに残虐な光景で俺は目眩がした。

 ラピスに虹の光を吸収させた後、フロースはもう一つの箱を開けた。中には死んだセミが入っていた。体中痛んでいて、羽も一枚抜けてしまっているが、特に致命傷と思われるようなものはない。恐らく老衰で死んだんだろう。


「セミは成虫になると大体一週間で死に絶える。私達が九十年で死んでしまうのと同じ。つまり、どんなに頑張っていても生まれた時に決められた寿命より長く生きることは出来ないってこと。でも、こうすると……」


 ラピスの先端に虹の光を集め、セミにそっと飲ませる。

 セミが目を覚まし、ひっくり返った。

 羽が抜けていることを知らなかったのか、何度も飛び立とうとしては失敗を繰り返している。

 けたたましい鳴き声にフロースが悲鳴を上げて耳を塞いだ。俺は箱の上に遮音の膜を張り、ボリュームを下げた。


「で、このセミはいつまで生きるんだ?」

「先生の話によると、ネズミの余命だけ生きられるわ。子ネズミだったから、一年くらい生きるかもしれない。〈命源ポエンティア〉は老化との繋がりはないらしくて、いくら〈命源ポエンティア〉を補充しても若返ることはないらしいの。大量の〈命源ポエンティア〉を手に入れれば永久を生きることは出来るでしょうけど、物語に出てくるような永遠の命みたいな若い体を保つことは出来ない。おばあちゃんの状態から更に老け込んだ体で生きていかなきゃならないんなら、こんな魔法があっても誰も手を出さないでしょうね」


 フロースはラピスを巾着にしまった。


「ラピスを手に入れた時、また妖獣が質問してきたな。こんなことを発見しちゃったらああいう疑問も持ちたくなるよなあって思うよ」

「質問ってなんだっけ?」

「覚えてないのかよ」

「私はそういう哲学的なウジウジした物は嫌いなの」

「そんなんじゃあ一年後に呪い殺されるぞ。わかってるのか」

「平気よ。あの呪いを受けても死ななかった人を一人知ってるもの。って、あれ?」


 セミの箱を閉じようとした時、ふと鳴き声がやんだ。フロースが眉をひそめ、蓋を取る。

 するとさっきまでピンピンしていたセミが元の骸に戻っていた。

 指で突っつくと骸は砂のように崩れてしまった。


「変ねえ……。さっきの組み合わせでは上手くいったのに、無理があったのかしら。まあ、いっか」

「まあいっかじゃない。俺もあんな風になったらどうするつもりだよ?」

「大丈夫でしょ。イリスが蘇らせてくれたんだから」


 そうは言っても万が一ということはあるだろう。仮にも恋人のはずなのに、なんでそう楽観的なのか……。少しは心配してほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る