第13話 虹の光(中編)

 片づけをしている手をフロースがふと止める。胸ポケットから小瓶を出して、俺の前に転がしてきた。


「今回の報酬よ。更に妖霊が抜けたら困るから、今回はあんたが部分的に思い出したのと同じ、病気に関する物を持ってきたわ」

「ありがとう」

「それと、先生がイグニスのことを呼んでたから、記憶の波が収まったら、下に来て」


 フロースが静かに出ていく。足音が遠のくのを確認し、俺は小瓶の蓋を捻じり取った。

 心臓病の記憶か。発作中とか、苦しくないといいんだけど。

 グイと飲み干し、目を閉じる。頭の中で緩やかに記憶が花開いていった。


 胸を押さえ、もがいている俺。

 隣で途方に暮れたフロースが泣いている。

 騒ぎを聞きつけたサノーが祈魔法で応急処置を施し、苦しみを和らげた。

 小さな俺を抱き上げ、廊下を歩く。曲がりかけの背中をフロースがついていく。

 簡素な病室のベッドに俺を寝かせ、サノーは俺の腕に注射を打った。


「先生、イグニスは死んじゃうの?」


 フロースが訊く。サノーはそんなことはないと首を振った。

 しかし、十歳という年齢は大人の嘘が見抜けないほど幼くはなかった。

 フロースはシクシク涙を流し、サノーに抱きついた。


「先生、私、嫌だからね。イグニスがいない世界なんて、私、嫌だからね」


 鎮静剤が効き始め、俺は殆ど意識を無くしていた。サノーが俺の頭を撫で、何かを呟く。鳶色の目には涙が浮かんでいた。涙がこぼれそうになると、サノーが額の汗をぬぐう振りをして涙を押さえるのを俺は確かに見た。


 場面が飛び、今度はサノーが誰かと話している声が聞こえた。

 会話の内容から察するに、相手はフロースの父親の魔神カエルムだ。

 低く威厳のある声は、なんとしても俺を救えと半ば怒鳴るように言っていた。

 俺の命さえ助かればいいのだと、必要な物は何でも用意するとカエルムは言った。

 サノーがうな垂れ、ふと俺の方を見る。部屋にいた側近が扉の隙間から中の様子を盗み見ていた俺を叱り、どこかへ引っ張っていった。

 近くで離してと喚くフロースの声が聞こえた。


 更に場面が飛び、再び病室に戻って来た。

 酸素マスクと点滴をつけられた状態で、俺はベッドに寝かされていた。

 フロースが駆け寄り、俺の名前を呼んだ。サノーが勝手に忍び込んできたフロースを叱りつけ、部屋から摘み出そうとする。

 冷え切った腕を伸ばし、俺は何かを囁いた。声にならない声にフロースが振り返る。聞こえなかったというので言い直したが、声がかすれて伝わらない。

 それだけでフロースは胸がいっぱいになったらしく、サノーの制止を振り切って俺の手を掴んだ。

 大好き、よかった、肩を震わせる。

 その華奢な背中に俺は手をそっと添えることしか出来なかった。


 記憶はそこで終わった。


 下から騒がしいサノーの声が俺を呼んだ。

 そういえば終わったら行くように言われてたんだっけ。ハア、面倒くさいな……。


 サノーは考古学の研究のために、〈太陽ソル〉があった頃に人間が使用していた物なら、どんなガラクタだって喜んで引き取っているらしい。

 この部屋に変な形の物が所狭しと並べられているのは収集癖の結果だ。

 それで一つ一つ修理し、足りない部品は自分で作って復刻している。

 考えてみれば案外、名医の腕がこの細かな作業に役立ってるのかもしれないな。


「ほれ、早く降りてくるんじゃ。大きな尻尾をわしのコレクションにぶつけるでないぞ」

「わかってるよ。黙って待ってろ」


 サノーは楽しそうに頬を緩ませながら、せっせと自慢のブツをテーブルの上に並べていた。

 うへえ、やっぱり臭いぞ、この部屋。

 足のためとはいえ、俺は早速サノーの機嫌を取るために犯した自分の軽薄さに後悔していた。

 サノーの話は兎に角長いんだ。

 ああ……。大人しく堪えよう。


「ここにあるのは確か、電化製品とかっていう奴だったよな?」

「覚えていてくれたんじゃのう? 感心感心。マグナ・クレピタス、〈太陽ソル〉の大爆発によってテラに妖気生命体がもたらされたのは知っているな? その前の、テラに〈太陽ソル〉が存在していた時代にはわしらの使う魔法は存在していなかったんじゃ。わしもにわかには信じられんじゃろう? じゃが、どうやら雷魔法は使いこなすことが出来ていた。電化製品は雷を注入することで動く不思議な物なんじゃ」

「生き物なのか?」

「わしにもわからん。そもそも、命という定義が曖昧すぎるからのう。ここにあるのはさびさびになった遺物を真似て新たに作った復元じゃ。さすがわし、そっくりそのまま再現出来たわい」


 これ、一から全部一人で作ったっていうのか? ただの天才じゃないか。


「これ、車だよな? 動くのか?」

「エンジンはどうにか回ると確認したがのう、ここは狭すぎて走らせたことはない。それより、お前さんに見せたいものがある。こっちに来るんじゃ」


 サノーは透明な板を持ってテーブルに戻ってきた。

 俺の手を取り、手首に何かを巻きつける。風の神殿で手に入れたあのブレスレットだ。


「わしのような博学が近くにいて、お前さんは本当にラッキーじゃのう。このブレスレットの正体は生物コンピュータじゃ。この透明ディスプレイと接続することで、中に入っている情報を見ることが出来るぞ」

「生物コンピュータって?」

「なんじゃ。あんなに説明したのにそこは覚えとらんのか。電化製品を動かすコアじゃよ。わしらでいう脳みそと同じ役割を果たす。こんな物が壊れずに残っているなんてまさに奇跡じゃ。わしが見た文献では、コンピュータの周辺装置や古いタイプの電化製品は残っても、生物コンピュータはマグナ・クレピタスの時に全て失われてしまったと書いてあったからのう」

「ってことは、これは一万年前の物?」

「さっきからそう言っておるじゃろう」


 へえ。そんな凄い物だったのか。

 サノーは手帳ほどの大きさの魔導書を開き、弱い雷を撃った。

 衝撃でブレスレットが跳ね上がり、淡く光った。同時に、板切れが煌々と真っ白な光を放ち、光の中で色とりどりのボールが跳ねたかと思うとカラフルな文字が浮かび上がった。エイコク語だ。

 それから板切れは真っ黒になり、鮮明な花畑を映し出した。

 息を呑むような写真だ。こんな美しい場所があるなんて。


「何か見えるのかのう?」

「見えるって?」

「わしが想像するに、それが放つのは〈太陽ソル〉と同じ光じゃ。つまり、わしには見ることが出来ん。フロースのように、手首の温点でそいつの放つ微弱な電磁波を感じ取ることは可能じゃが、文字列としてしか認識出来ん」

「コンピュータっていうのは景色を保存出来るものなのか?」

「それだけじゃないはずじゃ。明日の天気の予言も遠くの人との交信もコンピュータが行っていたらしい。興味があるのなら弄ってみるといい。そうそう壊れはせんじゃろう」

「どうやって使うんだ?」

「画面に触れると動きがあることはわかっておる。手始めに、画面に並んでいるマークに触れてみるといいじゃろう」


 花畑の写真の上に変なマークが並んでいた。俺はなんとなく、花を意味するフロースの名前にちなんで花のマークを押した。

 画面の色が変わり、更に沢山のマークが画面を埋め尽くした。その中の一つに触れる。

 すると、マークが画面いっぱいまで拡大され、黒髪の少女が画面の中で何かを放し始めた。

 年頃の少女らしくしっかりと化粧をしているのに、着ている服は着古した部屋着だ。

 バックには眩しいほど白い無機質な部屋が映っている。

 これはもしかすると、病室か?

 よく見れば、目の下の隈が化粧で隠し切れないほど酷い。

 そのせいか、笑顔で手を振っていても胸が締めつけられるような悲壮感を覚えた。


「その発音はワコク語じゃな。わしなら翻訳出来るぞ。ちょっと待っておれ」

「ワコク語……これが……」

「お前さんは本当についておる。ワコク語のようなマイナーな言語をデコード出来る者はこのテラ中を捜してもそうそうおらんぞ?」


 サノーは魔導書を開き、円錐型の皿のような物を作り出した。それをかぶせると、独特の潰れた発音が聞き慣れたコンコルディア語に変換された。


「はーい、ウフフ。今日は妙厳八年八月七日、天気は晴れでーす。今日は、ユウヤがカーネーションを持ってきてくれたよ。母の日だからって言うけど、その前に、プロポーズの薔薇は? って話よね。ウフフ。でも、嬉しい。ユウヤ、また暫くはベイコクに行くんで帰ってこないってさ。本当、優秀な人はどこまでも行っちゃうんだから……。ウフフ。頑張れー、ユウヤー。ツバサはずっと、ずーっとユウヤを応援してるからね! 私もいつかベイコクに行ってみたいな。なんちゃって! ……うーん……ウフフ。うーんとね……。うん。やっぱり、今日はこのくらいかな。おしまい!」


 少女が一瞬にして消え、元のマークが沢山並んだ状態に戻った。

 サノーは地味に上手い鼻歌を歌いながらヘリコプターの中を点検している。


 なんだよ、放置かよ。


 それにしても、さっきの映像、何かが引っかかるんだよな。もう一度、今の映像を出してみる。

 うーん……わからない。ああ、気持ち悪い。絶対に何かあるのに。


 キュン。

 鳴き声につられて上を見ると珍しい客が来ていた。ペンナだ。

 目が合うとウサギ跳びで大胆にダイブし、背中の翼を広げて降りてきた。

 ペンナは工具の入った箱を物色すると、大きなスプレー缶を持って俺の肩に着地した。そして何を思ったか、スプレー缶の頭に両手を乗せると、中身を板切れに吹きつけた。


 これ、緑色の塗料じゃないか! うわ、洗って落ちるのか?


 ペンナが小声で鳴き、画面と俺の目を交互に見てくる。

 画面をよく見ろってことか?


「わかったよ。見ればいいんだろ、見れば」


 指で塗料の塊を拭い、もう一度再生する。

 あーあ、あの黒髪も黄色がかった肌も緑になって、薄気味悪いゾンビみたいに変わってしまった。これじゃあまるで、虹の神殿で会ったイリスじゃないか。


 イリス? そうか、それだ!


 似ているんだ。ツバサとイリスが瓜二つなんだ。

 雰囲気は違うけど、顔のパーツ一つ一つが同じ。これは遠い子孫とかそういうレベルじゃないぞ。


 サノーがヘリコプターの中から出てくる。ペンナはスプレー缶を投げ捨てると上の階に飛んでいってしまった。

 おい、行くなよ。絶対に何か知ってるんだろう。


「そんなに何回も見おって、さては惚れたな? フロースが焼き餅を焼くぞ」

「違うんだって。この子、イリスにそっくりで」

「あ! お前さん、そんな貴重な異物になんてことをするんじゃ! ふむ、落ちるかのう……。有機溶剤ですんなり溶けてくれるといいんじゃが」

「それはペンナがやったんであって、俺じゃないからな」

「神霊様がそんな粗末なことをするわけがなかろう。それより誰にそっくりじゃと?」

「イリス、虹ウサギだよ」

「またわけのわからんことを言うもんじゃない」

「本当だって!」


 ズシンと突き上げるような衝撃があり、棚に積まれていた金属類がカタカタと音を立てて揺れた。

 なんだ? 爆発か?


「遂にこの街にもやってきおったか。奴ら、この街に誰が潜んでおるかも調べもせんで」

「何が起きているんだ?」

「妖族による襲撃じゃ。以前も魔族の街がやられたばかりじゃ」

「なんで妖族が?」

「詳しくは後じゃ! 兎に角、街がイバラに呑み込まれる前に脱出するぞ。わしはここで準備をするから、お前さんは今すぐフロースをここへ連れてくるのじゃ!」


 梯子を上り、二階への階段を一気に駆け上がる。

 揺れがどんどん激しくなっていく。部屋の扉は風に吹かれる旗のようにバタバタと暴れていた。

 挟まれて怪我をしないよう、俺はツタで扉を固定し中に入った。

 フロースは床に突っ伏していた。手には空っぽになった小瓶が握られていた。


 まさか、飲んだのか? 俺の記憶なのに!


「おい、フロース、おい!」


 目を覚まさない。このまま運び出すしかない。

 近くにあった実験ノートとラピスの袋を脇に挟み、立ち上がろうとした時、フロースの下敷きになっていた箱から三つの小瓶が転がり出た。

 箱には『パンドラの箱』と書かれていた。

 こんなところにも隠し持っていたなんて。


 小瓶をポケットに押しこみ、フロースを背負った。ベッドの片隅で小さくなっていたペンナもフロースの肩に飛び乗ると姿を消した。

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