第8話 二つの光(前編)

「ホッホッホ。そりゃあ盛大に失敗したのう」

「笑わないでよ。私、本当にプライドズッタズタなんたから」

「ああ、すまんすまん。まあよいではないか。目的は果たされたのじゃから」

「しかもあの妖獣ったら、イグニスだけの攻撃で秘宝を渡そうなんて言ったのよ。私の存在意義は? まるで私、ただのわがままな役立たずじゃない」


 わがままという自覚はあったのか。むしろそこに驚く。


 サノーの家に戻り、俺達は神殿での出来事を話した。危なっかしい戦いが続いてしまったので、サノーによくそれで無事だったと心配されてしまった。

 俺が報告をしている間、フロースは沸騰寸前まで熱々にしたチョコを喉に流し込み、凍らせたパンをゴリゴリと噛み砕いていた。

 食べ合わせはともかく、絶対におかしいだろ、この温度差。


「まあ、イグニスも姫様と同じくらい能力が高いわけじゃし、そう肩を落とすでないぞ」

「そうだよ。俺だってフロースが翼をくれなきゃ飛行生物なんて相手に出来なかったし、活躍したって言えるだろう」


 ガタン。マグカップをテーブルに叩きつけ、フロースは俺の顎に掴みかかった。


「あんたが言ったところで何の慰めにならないから!」


 黒い爪が立てられる。

 痛い。痛い痛い痛い。じんわり涙がにじんだ。

 というか、見えていないのによくそんなピンポイントで掴めたな。


「しかし、手鏡だけが頼りの状態で床一面の文字を読み取るのは大変じゃっただろう。わしも試しに手鏡だけで文字を読んでみたが、一ページ読むだけで十分もかかってしまった」

「文字は俺が読み上げました。その方が早かったので」


 サノーは顔を強張らせた。


「今、何と? お前さんが読み上げた?」

「はい。おかしいですか?」

「ふむ……。わしの知る限り、お前さんは全く字が読めなかったはずなんじゃが」

「まさか」

「妖族は皆そうじゃ。魔族と違って識字力がなく、妖族が歴史を語ってくれるようになったんで書物に物を記す文化が失われておる」


 だからって、全員が全員読めないなんてことはないだろう。現に俺は読めてるんだし。


「そんなことはどうでもいいから、先生、秘宝を見てほしいの。これなんだけど、なんだかわかる?」

「ふむ……。何やら奇妙な文字が膨大に詰め込まれているようじゃのう。ん? これはもしや……」

「わかるの?」

「確証はないがのう、もしわしの予想が当たっているのならとんでもない代物じゃぞ、これは。うむ、これはわしの方で調べてみよう」


 へえ。妖気も魔力も何も感じないし、ただの装飾品かと思ってた。

 サノーはやけに嬉しそうにブレスレットを腕にはめていた。

 あんな反応されると楽しみになってきた。正直、こんな物が秘宝なのかとガッカリしていたんだ。


「イグニスに記憶は返してやったのか?」

「戦闘時の記憶だけは返したわ」

「それでは足りんじゃろう。責務を果たしたら少しずつ記憶を返してやる、そういう約束をしたんじゃろう?」

「でも先生、それで妖霊が抜けてしまったら」

「約束は約束じゃ。神殿内部を進むのに一羽ぐらい抜けたところでどうってこともない。のう、イグニス」


 サノーから提案してくれたのはありがたい。実は、なんて言って記憶のことをお願いしようか考えていたところだったんだ。


「わかったわ。はい」


 フロースは例の重たそうな鞄から一本を取り出した。鞄の中には十本の小瓶が入っているらしい。そのうちの一本は神殿で飲み干していて空だった。

 つまり、これを含めて残り九つの記憶があるということか。

 受け取るとフロースは鞄をさっさと閉め、階段を上がっていった。


 さて、飲むか。


 少しドキドキしながらコルク栓を開け、中の液体を一気に流し込んだ。神殿の戦いの時と同じように記憶が花開いていくのを感じた。


 俺は森の中を走っていた。

 テッサ、俺の生まれ故郷だ。

 フロースを呼ぶ俺の声。ご機嫌な声を上げ、フロースは振り返った。ニコリ、俺も髪と同じ緑色の目を細めて微笑んだ。

 幼い頃の日常。

 俺とフロースは毎日のように遊んでいた。時々村を飛び出して、草をかき分け、木に登り、湖を一緒に泳いでいた。とても幸せな日々だった。

 もう一つ別の記憶が現れる。フロースと一緒にサノーの家に遊びに来ている記憶だ。

 俺は家に着くなりチョコをねだり、早く出来ないかとサノーにちょっかいを出していた。出来上がるとフロースと一緒に飲んだ。俺は確かに息を吹きかけて冷ましながら飲んでいて、三日前のような無謀な飲み方をしていなかった。


 記憶はこれだけだったが、充分満足だった。

 俺はずっと、どんな風にフロースやサノーと接していたのかが知りたくてしょうがなかったんだ。


「無事に思い出せたかのう?」

「ああ。バッチリだ、ジジイ」


 そう、俺はこんな風にガサツな言葉を使っていた。相手がどんなに偉かろうが臆さず、気楽に接していた。

 今まで敬語を使っていた自分が恥ずかしく思えてくる。俺はそんなおしとやかな男じゃない。


「ホホホ、万全のようじゃのう。それでこそわしの知っているイグニスじゃ」

「これからはまたこんな調子で頼むよ。う……ん?」


 体に違和感を覚える。悪寒がして勝手に身震いが起きた。

 膝がガクガクする。座っていられない。

 椅子からずり落ちそうになった俺をサノーが支えてくれた。


「どうしたんじゃ?」

「わからない。ああ!」


 引っ張られるような感覚を覚えたかと思うと黄色い煙が体から抜け出た。

 煙はユラユラと形を変え、妙に腹の大きい小型の生き物に落ち着いた。


「偽龍じゃな? 新しい記憶が気に食わなかったか」


 偽龍は俺を見下ろし、吐き捨てるように言った。


「お前の体、気持ち悪い。もう二度と僕チンに近づくなよ。バイバイ」


 偽龍は皮の翼をはためかせ、天井をすり抜けて行ってしまった。俺を嫌っていたとしても、あそこまで露骨に嫌な顔をすることはないだろ。嫌な気分だ。


「呆気ないのう。もう大丈夫か?」

「悪寒は収まった。けど……」


 今度は別の違和感に襲われていた。

 痛い。いいや、痒いのか?

 頭に手をやると、偽龍の角がグニャリとかしいだ。

 咄嗟に元の位置まで押し戻したが、ゆっくり手を離すと角は重さに負けて勝手に傾いた。

 まるで抜けかかった子供の歯じゃないか!


「妖霊が抜けたせいで、その身体的特徴が失われようとしているんじゃな。どれ、背中の羽も抜いてやろうかのう」


 羽を抜く? や、やめてくれ! 絶対に痛い!


「これ、逃げるでない」

「抜くとかそう簡単に言うんじゃねえよ」

「はて、わしは元外科医じゃぞ。この手のことは朝飯前なんじゃ」

「だったら麻酔とかメスとか準備をしてくるのが先だろ!」

「騒がしいのう。あ、あそこに空飛ぶバッタが」


 思わずサノーの指さした方を向くと、サノーが素早く背中に回り込み、景気よく羽を引っこ抜いた。


「いって!」

「何、髪の毛を抜かれるのと同じような物じゃろうて」

「髪の毛抜かれるのだって痛いだろ。大体、空飛ぶバッタって普通じゃねえか!」

「ついでに角も取ってやろうかのう?」

「断る!」

「あ、向こうに丸いリンゴが」

「だから普通じゃねえかよ! わかった。角は自分で抜くから触んな」


 ったく、なんで記憶が戻ったらこんな嫌な思いをしなきゃなんないんだよ?

 角に手を添える。左右に揺らす度、嫌な痛みが頭皮に染みた。

 サノーが自慢の顎ひげを撫でながら楽しそうに見ている。

 抜けばいいんだろう? 抜けば。

 歯を食いしばり、思い切って角をもぎ取る。ヒリヒリとした痛みで目に涙が浮かんだ。


 負けるもんか。


 反対側も同じようにして取った。触ってみると、頭に二ヶ所デカいハゲが出来てしまっていた。


「痛かったじゃろう。聖気よ、癒せ」


 いつの間にかサノーは魔導書を片手に手鏡を構えていた。

 痛みが引いていき、ハゲもすっかりなくなった。


「さて、あと七時間で明刻じゃ。上に行って寝るとよい」

「サノーはまだ寝ないのか?」

「わしはもう少し地下で作業をしてから寝よう。おやすみ」


 この家に地下室なんてあったのか。魔族だってもう寝る時間だろうに、フロースもサノーもよく頑張るな。

 俺は寝かせてもらうとしよう。さすがに疲れた。


「ちょっと」


 いつの間にかフロースが階段の前に立っていた。手鏡の光が俺の胸元を指している。


「手伝って」

「何を?」

「何って、ノートの解析に決まってるでしょ?」

「ノート?」

「ああもう、これだから記憶喪失は。サノー先生が私達に役に立つかもしれないって渡してくれた誰かの実験ノートよ」


 フロースは脇に抱えていたノートを俺の胸に押しつけてきた。表紙にやたらと画数の多い文字で何か書かれている。

 こんな物があったなんて、全く覚えていない。

 中を広げると一部が俺達の話すコンコルディア語に翻訳されていた。


「エイコク語の部分はデコードしてあるわ。あんたはそれを声に出して読み上げてくれればいいの」

「魔導書はあんなに読めるのに、これは駄目なのか?」

「特殊なインクで書かれてて、失明してから全然読めないのよ。何故かサノー先生の目には全く映らないっていうし。そんなことはいいから、早く読んで。いい? 早口よ。神殿の時みたいにゆっくり読まれたんじゃあ、明刻を越えて宵刻になってしまうわ」

「はいはい。一行字飛ばしで読んでやるよ」


 あーあ、またこのお嬢様につき合わされるのか。フロースの部屋に行き、俺達は早速作業を始めた。


「細かい所は要らないから、結論の部分だけ読んで」

「『この実験はリンコル氏によって提唱された生命物理量説の立証を目的に行う……』」

「だから、結論以外の所は省いて!」

「普通順番に読むだろ。とにかく続けるぞ」


 前置きの内容はこうだった。

 この論文が書かれた時代、ベイコクという国の研究により別の惑星からある物質が発見された。元素は不明。

 次元の歪みが結晶化したものという説が高いらしい。

 ダークマターの一種と考えられたためラピス・インケルタ、謎の石と呼ばれるようになった。

 ラピスには特別な性質があり、なんと生きたネズミから命を吸いとり、死んだネズミにかざすと蘇らせることが出来るという。まるでおとぎ話に出てくる賢者の石みたいだ。

 その後はこの石の挙動と生命物理量説の関連づけについて、馬鹿みたいにくどくどとわかりにくく書いてあった。

 著者は最後にこう結論づけている。


「『命には質量やエネルギーのような量が存在していると言ってよいのではないか。ラピス・インケルタは現段階で発見されている物質の中で唯一命の吸収と放出が可能なものなのではないか。人間は絶命すると原因不明の体重の減少が見られるという。ラピスを使用すれば、その減少した重量の正体について解明することが出来るのではないか』だってさ」

「……」

「フロース?」


 見るとフロースは椅子に座ったまま目を閉じていた。気持ちよさそうな寝息まで立ててやがる。いつから寝てたんだよ?


「フロース、起きろ」

「ふえ? あー、うん。それで? ネズミが死んでどうしたの?」


 殆ど最初の方で寝落ちしてたんだな。神殿に行った時といい、そもそも難しい話が苦手なんじゃないのか?

 フロースはいかにも眠たそうな目をこすり、わけもわからない様子で論文を手前に引き寄せていた。

 俺は紙束を机の奥に押しやり、後ろからフロースを抱き上げた。


「ちょっと、何すんの!」

「疲れたんだろう。今日は寝ろ。残りは俺が読んでおくから」

「ふざけないでよ。妖族なんかに……」


 また一瞬目が閉じた。口ほどにもない。素直に認めればいいんだ。


「ほら、ベッドに寝かせるぞ」

「まだノートの解析が終わってない」

「いいから寝ろ」

「せめて未翻訳の所が何語かだけでも調べなきゃ」

「寝ろって」

「まだ寝……うん?」


 駄目だ。半分思考停止してる。


「何語かは俺が調べておくから、先に寝てろ」

「う、ん……。ありがとう」


 ようやく素直になったな。最初からそうやっていい子でいればいいんだ。


 ノートを開いてみる。手書きとは思えないほど整った体裁で何かが書かれていた。さすがにコンコルディア語じゃないと俺でも読めないな。

 でもこの文字、どこかで見たことがあるような気が……。実際、一部の単語は読むことも出来て、意味も理解出来る。喉まで出かかってるのに、なんで思い出せないんだよ?


「イグニス、添い寝して?」

「え?」

「嘘。目障りだからあっち行って」

「盲人のくせに」

「じゃあ、耳障りだから」


 気持ちよさそうな寝息が聞こえる。相変わらずわけのわからない女だ。

 俺はノートを脇に挟み、隣に潜り込んだ。フロースが完全に寝ついたので、レグルスが姿を現した。

 縦に切れた目が俺を叱るように睨んでくる。なんだよ。レグルスならこれくらいの光景当たり前に見てきただろう。


「あまり調子に乗るなよ。フロースは時々、わけのわからんことで怒り狂う」

「今更何を心配してんだよ。俺達は恋人なんだぞ」

「念押しするが、お前とフロースの関係は〈妖国フェリアーヌ〉においては認められていなかった。妖族と魔族が結婚した前例もない」

「わざわざ周りから認可されないと恋愛もしちゃいけないのか? 笑えるな」


 俺はまたノートを開いた。うーん、この言葉、本当に見覚えがあるのに思い出せない。

 あー、気持ち悪い。喉の奥に魚の小骨が刺さった気分だ。これを思い出すまでは寝るに寝られない。


「さっきの論文の内容、どう思う?」

「我輩に訊くな」

「なんで?」

「そういう話は好かん。ひとまず、イグニスがさっきから睨みつけているその言葉は恐らくワコク語で、著者の名前がイタクラ ユウヤということだけは伝えておく」

「字が読めるのか?」

「フン。普通の妖族に文字が読めんのだぞ。妖霊に読めるわけがなかろう」

「読めないくせに、なんでわかったんだ?」

「フン」

「カリカリすんなよ。やり辛いな」

「兎に角、それが事実だ。ついでに言うと、ワコクはテラの裏側にあった小さな島国だ。一万年前、〈太陽ソル〉の爆発の衝撃によって海に沈んでしまっている」


 ワコク……。そういえば、どこかで聞いたことがあるような気がする。

 公用語のワコク語には確か平仮名と片仮名と漢字とがあって、平仮名なら簡単だからと書いて覚えた記憶がある。漢字は嫌いだったんで殆ど覚えていない。

 ノートも読めるようで読めなかったのは漢字が多く散りばめられているせいだ。

 って、俺、なんでこんなもう誰も使ってない言葉の読み書きを練習してたんだ? 俺には変わった言葉を学ぶ趣味があったとか?


「何語かわかっただろう。そろそろ寝たらどうだ?」

「そうだな。言葉がわかったんなら、フロースにデコードしてもらった方が早そうだ」


 ノートを閉じ、産毛の尾を抱き寄せた。目を閉じ、体の力を抜く。

 甘い眠気に意識が溶けていくのを感じた。間もなく俺は完全に眠りに落ちた。


 そして目が覚めた時、まさに悪夢と呼べることが起こった。

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