第7話 神殿と秘宝(後編)

 熱気が吹きつけ、炎の中からレグルスが現れた。呆れたと言わんばかりに厳格な目からも力が抜けていた。


「魔族の前では現れちゃいけなかったんじゃないのか?」

「起きてさえいなければいい。魔族は妖霊を受け入れなかった民族だ。故に声をかけず、姿も見せないだけのこと。見られても本来問題はないが、習慣だ」

「へえ。なあ、この文書の内容、理解出来るか? コンピュータとか遺伝子とか、俺にはよくわからないんだけど」

「我輩が考古学に精通しているとでも思うか? 確か、コンピュータとか遺伝子とかはサノーが調べていた。帰ったら訊いてみるといい」

「サノーが?」

「あの老ぼれは考古学を研究することを趣味としている。かなり有益な話が聞けるだろう」


 へえ。ただの医者じゃなかったのか。


「お喋りはいいから寝ろ。ここは完全に妖力が寸断されていて危険はない。すぐに次の明刻が来るぞ」


 レグルスに促されるまま俺は横になった。

 〈太陽ソル〉、テラに恵みを与え、時を知らせていた巨大な星。

 俺は何故かその存在を知っていた。

 どうしても一万年も前に消失したという事実に違和感を覚えてしまう。

 記憶を失う前の俺は何かを知っていたのかもしれない。


 フロースの方を見ると、小瓶の入った鞄が無造作に背中に置かれていた。

 俺はその中の一つを手に取り、飲み干したい衝動に駆られた。

 やめておこう。レグルスの話が本当なら、記憶を取り戻しただけで妖霊が抜けてしまうことだってあるんだ。こんな危険な場所で力を失うわけにはいかない。

 今は堪えて、時期が来るのを待つのが懸命だ。


  ◇


 午前六時、明刻になった。閉ざされた入り口が開き、妖力が部屋に流れてきた。さあ、調査の再開だ。

 あの分岐点まで戻り、左の道を進んだ。狭い路地の先には更に分岐点があり、一つでも情報を漏らすまいと俺達は全て隈なく調べつくした。

 しかし夕べ寝た部屋のような場所は他にはなく、情報らしい情報は得られなかった。


 今日の調査を開始してから五時間くらい経った頃、これまでとは比べ物にならないほど広い部屋に出た。妖力の濃度も濃い気がする。

 奥に妖力が溜まり、形を作る。色とりどりの、レグルスとよく似た獅子の妖獣が十羽出現した。


「氷よ、貫け」

「偽龍よ、撃て」


 俺達は苦労して十羽を退け、妖獣の形態を取れないように呪いをかけた。

 まだ禍々しい妖力を感じる。十分に警戒しながら部屋の中を調べてみた。

 やはりこの部屋だけ何かが違う気がする。床は炎が揺らめくように色が変化しているし、気持ちが変に高揚してくる。フロースも異常を感じ取ったらしく、さっきから眉間にシワを寄せていた。


「何かありそう?」

「真ん中に台座のようなものがある。黒い物が置いてあるな」

「ここ、秘宝を祀る祭壇の間かもしれないわ。遂に最深部まで来たのよ」

「どうする? あそこの台座を調べるか?」

「そうね。私が調べるわ。秘宝に特別な魔法が絡められていないとも限らないもの」


 そういうことなら絶対に俺に調べさせると思ったのに。フロースって自ら呪われに行くとか、時々とんでもない危険を受け入れるから驚いてしまう。

 近づいてみると、台座に置かれていたのがブレスレットと透明な板切れだとわかった。

 フロースが手鏡を構え、注意してブレスレットに手を伸ばす。触れるか触れないかの瞬間、台座から赤いしぶきが上がった。何が起こったのかわからず、フロースは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 噴き出したのは恐ろしい濃度の妖力だ。

 ブレスレットと板切れが赤い光を纏って浮き上がる。その光の一部がコウモリのような形に落ち着き、フロースを見下ろした。


「アーラの秘宝が欲しくば、我を倒せ」


 この妖獣、秘宝に直接寄生しているらしい。こいつを倒さない限り秘宝に直接触れるのは無理そうだ。

 鱗の翼から鋭利な鉤爪が覗いている。先手を譲るわけにはいかないと、相手の形が定まる前に唱えた。


「偽龍のいななき、嵐よ、なぎ払え」


 稲妻を纏った黒い龍が飛び出し、コウモリに巻きつく。

 コウモリは羽を閉じ、さなぎのように身を硬くした。

 バリバリと激しい火花をまき散らしながら雷の嵐がその身を叩いた。

 さすがにこんな攻撃を受けたらくたばるだろう。

 ところが、雷が去った後、コウモリが羽を広げてみると、傷一つついていなかった。


「翼の鉄壁がある限り、我には魔法は通用しない」


 魔法以外の攻撃をしなければならないらしい。他に方法なんてあるか?


「イグニス、投げるわよ」


 フロースが俺に何かを転がしてきた。可愛らしい装飾の施された小瓶だった。


「飲んで」

「記憶だろう? いいのか?」

「いいから渡してるんでしょう。あんたがどんな戦い方をしていたかくらいは思い出させてあげるわよ」


 それは助かる。飛びつくように中身を飲んだ。

 効果はすぐに現れ、おぼろげな記憶が浮上した。

 俺は戦っていた。風のように疾走し、本能に任せて攻撃する。

 手に収まっているのは、緑色の……そうだ、火剣だ。俺はよくレグルスの炎を大剣に変えて、グラディエーターも顔負けなほど豪快に相手をなぎ払っていたんだ。

 早速剣をイメージして手を突き出した。肌を焦がすような熱気を顔面に吹きつけ、立派な剣が現れた。よし、次こそ仕留めてやる。


「動かないで」


 駆け出しそうとした時、ギラリと鏡の光が視界を駆けた。俺に魔法を?


「求めるは口づけ求める王子の嘆き。呪怨よ、翼となれ」


 背中にあった飾り羽が暴れだした。

 痛い。痒い。俺は悶絶した。

 羽がムクムクと膨れ上がり、眩い銀色の羽がバサッと広がった。

 これは驚いた。呪いを受けて天使の翼を得るなんて。


「それで飛んでる相手にも対抗出来るはず。飛び方も思い出したでしょう?」

「うん。ありがとう。フロース」


 地面を蹴って飛び上がる。まさに鳥になった気分で俺はコウモリの尻を追いかけた。


 燃え盛る大剣を振る。

 ヒラリ、かわされた。

 もう一度攻める。

 今度は当たった。


 炎の先端が頑丈そうなコウモリの羽に一本の火傷の跡を残す。患部がボロボロと剥がれ落ち、羽に穴を開けた。

 よし、行ける。

 快感に酔しれながら、剣を振った。

 ダメージが重なり、相手はすっかり逃げ腰になっていた。あと一撃であの羽もただの飾りと化すだろう。

 右に行くと見せかけて左に抜ける。

 フェイント。

 かかった。こっちのものだ。

 剣を構え、猛進する。剣が最後の傷を与えようとしたその時、相手が牙を剥き出しにして不気味に笑った。超音波が放たれ、金切り音が俺の鼓膜に突き刺さった。

 視界がグラリと揺れる。一度崩れたバランスを建て直すことも出来ず、俺は石畳に叩きつけられた。

 羽がクッションになってくれて深手を負わずには済んだ。しかし、骨がすっかりねじ曲がってしまい、使い物にならなくなった羽は塵に朽ち果てた。


「三半規管にショックを与えた。暫くは立ち上がれまい」


 事実、妖獣の言うとおりだった。吐き気を催すほど世界が回っていた。

 妖獣が勝ち誇った様子で傷口を舐め、羽を修復し始める。クソ、あともう少しだったのに。

 弱気になった瞬間、手の中の剣が煙を残して消えた。


 俺は何も出来ないのか。無力感が体を支配する。

 この気持ち、前にも感じたことがある。確か、誰かと喧嘩してコテンパンにやられた時だ。

 俺が持っていたのとそっくりな火剣を地面に突き立てて、分厚い胸板の男が睨んでいた。顔はよく思い出せない。

 ただ、この時の身を焦がすような屈辱だけはハッキリと思い出した。

 この時とは違う。俺はもう弱くない。

 フロースを守るためにも、こんな所でくたばっているわけにはいかないんだ。


「天使よ祈れ、癒しの翼を」


 そうだ。今の俺には自分で立ち上がる力がある。この目眩だって自力で治せる。

 目眩が回復し、俺は立ち上がった。

 翼は折れてしまった。ここからでは剣は届かない。


 だったら武器の形を変えるまで。


 手を前に突き出す。現れたのは銀色の弓矢だった。

 右手に現れた矢をつがえ、狙いを定める。相手は傷の修復に夢中でこちらの動きに気づいていない。

 狙うなら今、それも一発で仕留めなければならない。

 当てられる自信はない。でも、撃たなければ。


 頼む、当たってくれ。


 指を離すと銀色の矢は勢いよく飛び出した。いい。初めてにしてはピッタリの狙いだ。

 当たる。このままいけば間違いなく。

 妖獣が気づいて、コウモリの変に大きな目を更に見開かせた。

 もう遅い。避けるより先に矢が到達し、羽に突き刺さった。コウモリは悲鳴を上げ、石畳に叩きつけられた。


「とどめは私が刺すわ」


 フロースは魔導書を開いた。

 パラパラとページがめくられ、本が紅色に燃え始めた。


「求めるは地底に封されし死神の鎌。呪怨よ、切り裂け」


 黒い刃が現れ、回転しながら空中を突き進む。魔力の追い風を受け、刃はグングンと加速していった。

 コウモリが飛び立とうと懸命に破れた羽をバタつかせる。

 あと三メートル。二メートル、一メートル……。


 当たった――と思った。


 ところが、刃の軌道は若干右側にそれていて、妖獣にかすりもせずに抜けていった。


「外れたの?」

「あ、うん……」


 嫌な沈黙が流れた。敵味方関係なく呆気にとられていた。

 そりゃあ、ここで格好よく仕留めるのが定石だもんな。

 魔力の炎が燃えつき、魔導書がパサッと落ちた。


「だっさ。信じらんない。超だっさ。は、マジ有り得ない」

「別に責めてないから」

「責めてるとかそういう問題? 私、これでも超がつくほどのエリートなのよ? なのに外した? 相手は動けない状態なのに? まるでただの出来損ないみたいじゃない! どう落とし前つけてくれるわけ? プライドがズタズタだわ!」


 まさかの逆ギレ。

 矛先を向けられる方の気持ちも考えてくれよ、全く。


 俺達が話している間にコウモリは赤い霧に戻り、ブレスレットの上まで浮上した。


「試験は終わりだ。約束どおりその秘宝を預けよう。但し、秘宝を渡すにあたって一つ条件がある」

「とどめを刺してないのにいいのか?」

「これまでの戦いでもう十分だと判断した。条件はこれから出す問題に答えてもらうことだ。この問いの答えを見つけ出せなければ、アーラの呪いは砕けない」


 なるほど。問題の答えを得るために秘宝を調べる必要があるんだな?


「わかったから、さっさと問題を言ってちょうだいよ」

「脳裏に浮かぶ遠い日の記憶、果たしてそれは真実か偽りか」

「真実に決まってるでしょ? だって記憶にあるんだから」

「答えは三つの秘宝が揃ってからでなければ出せない。いずれ答えを聞こう。さらば」


 妖獣は邪悪な笑みを浮かべ、台座の中へ引き返していった。

 部屋から禍々しい妖力が消えた。急にホッとして力が抜けた。


「さて、アーラの秘宝も手に入ったわけだし、明刻が終わる前に急いで引き返すわよ」


 フロースは両腕を前に突き出した。


「何を……?」

「おんぶ」


 この女、単なるお嬢様なのか痛い人なのかわからなくなってきた。


 迷宮と神殿の道が閉ざされるまで残り四時間しかない。距離的に急げばギリギリ間に合うが、きわどいな。フロースを背負い、鳥足を蹴って石畳を引き返した。


「最後の矢があんなに真っ直ぐ決まるなんて。なんだか弓の名手にでもなった気分だ」

「それは弓になったアルスが優秀だからよ。アルスは妖獣の出だけど、元々神殿に仕えていた由緒正しい天使なの。他の妖霊とは素質が違う」

「そうなのか?」

「ええ。手に入れるの苦労したんだからね。大切に扱うのよ」


 だからディーバやアグリコラと違って俺に献身的なのか。雰囲気が安心出来るって思ってただけに、ますます好感が持てるな。


 五時五十九分。明刻が終わるギリギリのところで俺達は聖女の像の穴まで辿り着くことが出来た。

 フロースを先に出し、続いて俺が這い上がると穴が消失した。フロースは無事に出られたことを感謝したいと聖女の像に祈りを捧げた。


「帰るわよ。サノー先生に無事な姿を見せなきゃ」


 神殿を出ると、フロースは近くを飛んでいた小鳥を恐竜のような巨大飛行生物に変えた。

 フワフワ毛の背中にまたがると、鳥は呪いに驚いて半狂乱になりながら、翼をはためかせて飛び立った。

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