第3話 梅昆布茶は精霊の源

Side:安二郎


 俺は安二郎。

 御年82歳。

 テレビを一日中かけているが、少しも面白くない。

 特に最近のお笑い番組ときたら何が可笑しいのやら。

 若い者にはついていけん。


 かと言って外に出るなど論外だ。

 膝は痛いし、腰も痛い。

 足の皮が薄くなって靴を履いているのに小石を踏んでも痛い。

 かなり痛いのはそれだが、少し痛い箇所など腐るほどある。

 おまけに少し動けば息が切れる。


 遠方にいるひ孫とやりとりする為にスマホを買ったが、使い方が分からん。


 なので、日がな一日、テレビを見ている。


「ふう、梅昆布茶でも飲むとするか」

「わう」


 湯飲み茶碗から犬の鳴き声が聞こえた。

 いよいよわしも耄碌したか。


「わふぅ」


 まただ。

 はっきり聞こえたぞ。


「どこにいる?」

「ここだ、わん」


 犬が喋ったのか。

 妖怪変化という奴か。

 それとも死神か。

 目を凝らしたがいない。


「年寄りの匂いだ、わん」

「犬の匂いなどせん」


「鈍い奴だ、わん」

「お前はどういう存在だ?」

「犬型の魔獣だ、わん」


 魔獣とは、やはり妖怪か。


「どういうつもりだ」

「話がしたい、わん」

「いいだろう。わしも暇だ」

「俺はもうすぐ死ぬ、わん」

「そうか、わしもあまり長い事はないな。同類だな。わはははっ。もしかして、死ぬのが怖いのか」


「うー、怖くなんかない、わん」

「では何だ?」

「後悔がある、わん」


 後悔はきっとみんなもある。

 死が近づいても、わしも悟りきれん。


「どんな後悔だ?」

「今まで人を沢山食い殺してきた、わん。言葉を覚えてから、人に話掛けようとした、わん。でも、駄目だった、くーん」


 妖怪の類では人と仲良くなどできようがない。

 しかし、今だけは話し相手なってやろう。


「ちょっと待て。よっこらせ」


 お茶を淹れる為に立ち上がった。

 おっと、座布団につまずいた。

 歳を取ると足腰が弱くなっていかん。


 湯飲みに梅昆布茶の粉末を入れお湯を注いだ。

 お茶が消えた。

 面妖な。


「ごちそう様、わん。元気が出た、わおぉぉん」


 もしかして、妖怪がお茶を飲んだのか。

 まあ、いいだろ。

 もう一つ湯飲みを用意すれば良いだけだ。

 二人でお茶を飲んでいる気分になった。

 何時ぶりだろう二人でお茶を飲むのは。

 年末に息子が訪ねて来て、それ以来だな。


「お礼をしたい、わん」


 この歳になると欲しい物などない。

 家族の笑顔の他は何もいらない。

 一番大きいひ孫は7歳で一番小さいのは0歳だ。

 その笑顔があるなら何も要らない。


 そうだ、折角だから、足を治してもらおう。

 妖怪なら特別な薬とか持っていそうだ。

 足が良くなれば、ひ孫の所にも頻繁に遊びに行ける。


「足が悪いんだ。治せるかい」

「ごめん、できない、くーん。丸い金属なら沢山ある、わん。全部持って行って良い、わん」


「いいよ、気持ちだけ貰っておく。お替わりを飲むかい?」

「頂く、わん」


 それから、時間を忘れて二人で話をした。


「もう、お別れだ、わん」

「わしは久しぶりに楽しかった。出来る事ならお前を助けたい」

「心臓に虫が入っているから、無理だ、わん」


 なんだったっけ。

 フェラーリじゃなくて。

 フェラガモでもなくて。

 フィンランド、これも違うな。


 ええい、ポンコツ頭め。


「薬を買ってくる」


 わしは足の痛いのを我慢して歩いた。

 ペットショップの自動ドアを潜り。


「ぜーぜー、犬のフィなんとかの薬をくれ」

「フィラリアですか」

「ぜーはー、おう、それそれ」


 薬を買って、出来るだけ早足で戻る。

 ドアを開け居間に転がるように入る。


「ぜーはー、まだ、死んでないだろうな」

「はぁはぁ、まだ平気、くーん」

「薬だ。飲め」


 声が聞こえる湯飲みに薬を入れてやった。


「ごめん駄目みたい、くーん」

「おい、しっかりしろ」


 薬の説明を読むと成虫の場合は獣医にとある。


「はぁはぁ、駄目……」


 せっかく出来た茶飲み友達を一人失ってしまった。

 わしの馬鹿。

 なんで獣医に電話しなかった。

 そうすればもっと良い治療ができたのに。


 湯飲みを仏壇にそなえる。


「わふん、生き返った、わん」


「何だって、さすが妖怪だな」


「今からそっちに行く、わん」


 仏壇の湯飲みから光が出て段々と大きくなる。

 光は12畳の部屋一杯に広がって、バスほどのサイズの黒犬となった。


 わしは壁に張り付けられた。


「苦しいよ」

「ごめん、くーん。小さくなる、わん」


 黒犬の体は縮んでいき、子犬ほどの大きさになった。


「結局の所どうなっている。わしには何が何やら」

「精霊になった、わん」

「魔獣とどう違うんだ」

「魔獣は魔力を持った獣だ、わん。精霊は魔力の塊だ、わん。本来は実体がない、わん」


 妖怪が死んで幽霊になったんだな。


「やりたい事はあるか」

「街を歩きたい、わん」

「すまん、今日は沢山歩いたから、足が持ち上がらない」

「エクストラヒールだ、わん」


 わしの体が暖かくなって、目がはっきり見えるようになった。

 腰が少しも痛くない。

 屈伸しても膝が痛くない。


「来い、丸い金属。テレキネシスだ、わん」


 驚いた事に部屋が金貨で一杯になった。


「くれるのか」

「こんな物要らないわん」


 これがあればひ孫の家の近くに引っ越せる。

 ありがたく頂いておこう。


「よし、散歩に行くか。いいか人に会っても喋るなよ」

「わん」

「首輪とリードはペットショップで買おうな。そうだ名前を付けないと。最初の印象でアヌビスというのはどうだ」


 黒い犬で死神と言えばアヌビスだろう。


「それでいい、わん」


 ペットショップに行きアヌビスの首輪とリードを買う。

 そして、服とか色々なグッズを大人買いした。


 アヌビスの写真をひ孫にメールしたい。

 四苦八苦していたら、店員が手伝ってくれた。

 ひ孫から返事のメールが来る。


 今週末、アヌビスを見に訪ねてくるとの事。

 わしはアヌビスの首筋をわしゃわしゃ撫でてやった。


Side:犬の魔獣


「シャドウドッグエンペラー、潔く死ね」


 住処に冒険者が押し掛けてきた。

 殺したくない。

 でもこいつらは欲に染まった目をしているのだろう。


「もう、少しで、俺は死ぬ、わん。待てないか、わん」


「こいつ喋るぞ。魔法を使ってくるかもしれない。詠唱させるな」

「おう」

「了解。ファイヤーアロー」

「援護する」


 やっぱり、話し合いにはならないか。

 俺は残り少ない余力を振り絞って冒険者に襲い掛かった。

 傷は負ったが何時もの事。

 こんなの舐めておけば良い。


 冒険者の背嚢からころころと何かが転がった。

 もうほとんど目が見えないから、音と匂いでしか分からない。


「ふう、梅昆布茶でも飲むとするか」


 人間の声がする。


「わう」


 尻尾を盛んに振ってしまう。


「わふぅ」


 人間を怖がらせたくはないが鳴き声が出る。


「どこにいる?」


 人間も目が見えないらしい。

 これなら、長年の夢が叶うかも。


「ここだ、わん」


 漂ってくる匂いは近くで、そして年寄りだ。


「年寄りの匂いだ、わん」

「犬の匂いなどせん」


 可哀そうに人間は目と鼻が悪いらしい。


「鈍い奴だ、わん」

「お前はどういう存在だ?」

「犬型の魔獣だ、わん」


「どういうつもりだ」

「話がしたい、わん」

「いいだろう。わしも暇だ」

「俺はもうすぐ死ぬ、わん」

「そうか、わしもあまり長い事はないな。同類だな。わはははっ。もしかして、死ぬのが怖いのか」


「うー、怖くなんかない、わん」

「では何だ?」

「後悔がある、わん」


 この人間なら悩みを打ち明けてもいいかも。


「どんな後悔だ?」

「今まで人を沢山食い殺してきた、わん。言葉を覚えてから、人に話掛けようとした、わん。でも、駄目だった、くーん」


「ちょっと待て。よっこらせ」


 転がった物から水音がする。

 鼻を近づけると暖かい水だった。

 嫌な匂いじゃない。

 ぺろぺろとなめると体中に魔力が行き渡った。


「ごちそう様、わん。元気が出た、わおぉぉん。お礼をしたい、わん」

「足が悪いんだ。治せるかい」


 身体強化以外の魔法は使えない。


「ごめん、できない、くーん。丸い金属なら沢山ある、わん。全部持って行って良い、わん」

「いいよ、気持ちだけ貰っておく。お替わりを飲むかい?」


 丸い金属は人間が好きだったはずだけど、違うのかな。


「頂く、わん」


 暖かい水を何度も舐めると、次第に体が火が点いたようになった。

 今ならドラゴンも倒せる。


 それから、時間を忘れて人間と話をした。


「もう、お別れだ、わん」

「わしは久しぶりに楽しかった。出来る事ならお前を助けたい」

「心臓に虫が入っている、わん。無理だ、わん」


「薬を買ってくる」


 人間はそう言うと、足音を残して去って行った。

 もっと話を聞きたかった。


 足音が帰ってきた。


「ぜーはー、まだ、死んでないだろうな」

「はぁはぁ、まだ平気、くーん」

「薬だ。飲め」


 カランコロンと何かが出てきた。

 嫌な臭いだ。

 でも飲まないと。

 意を決して飲み込む。

 虫は死なない。

 体内にある異物の魔力でそれが分かる。


「ごめん駄目みたい、くーん」

「おい、しっかりしろ」



「はぁはぁ、駄目……」


 目の前が暗くなった。

 冬毛が抜けた感じがする。

 目を開けると自分の死骸がある。

 魔力を確かめると虫の魔力は体内にない。

 体自体が無いようだ。

 こういう存在は知っている、精霊だ。


 はっ、人間がいない。

 人間どこ、隠れてないで出てきてよ。

 おかしい匂いと音はするのに。

 辿ると木のコップからそれらは出ていた。


「わふん、生き返った、わん」


 声を出した。


「何だって、さすが妖怪だな」


 やっぱり声は木のコップの中から聞こえる。

 狭いけど体のない今なら、向こうに行けるかも。


「今からそっちに行く、わん」


 体を魔力に変えてコップの道を通り抜ける。

 途中、高魔力の場所を通ったが精霊には関係ない。

 やった、人間の所に行けた。


「苦しいよ」


 お尻の方から人間の声がする。


「ごめん、くーん。小さくなる、わん」


 精霊は魔力なので、今まで使ってきた身体強化の応用で何でもできる。

 体を縮ませ子犬ほどの大きさにした。


「結局の所どうなっている。わしには何が何やら」

「精霊になった、わん」

「魔獣とどう違うんだ」

「魔獣は魔力を持った獣だ、わん。精霊は魔力の塊だ、わん。本来は実体がない、わん」


「やりたい事はあるか」

「街を歩きたい、わん」

「すまん、今日は沢山歩いたから、足が持ち上がらない」


 確か冒険者がぐったりすると使っていたあれをやろう。

 精霊なら出来るはずだ。


「エクストラヒールだ、わん」


 良かった出来た。

 人間は動いて体の調子を確かめている。

 そうだ、あれを持ってこよう。


「来い、丸い金属。テレキネシスだ、わん」


 部屋が丸い金属で一杯になった。


「くれるのか」

「こんな物要らないわん」


「よし、散歩に行くか。いいか人に会っても喋るなよ」

「わん」

「首輪とリードはペットショップで買おうな。そうだ名前を付けないと。最初の印象でアヌビスというのはどうだ」


 初めて名前を貰った。

 今までは種族名でしか呼ばれた事がない。

 嬉しい。

 尻尾をぶんぶん振った。


「それでいい、わん」


 街で縄張り確認する。

 色んな犬の匂いがある。

 灰色の柱は特に多数の匂いが混在している。


「あー、わんちゃんだ」


 小さい人間が寄ってきた。

 初めて見る。

 人間とは別の種族なのだろうか。


「わん」


 挨拶をする。

 小さい人間は俺を撫でてから去っていった。

 幸せだ。

 人間と分かり合えるなんて、なんて幸せなんだろう。

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