第4話


 キリは、泣いていた。泣きながら、走っていた。

 何故、どうして、こんな目に遭わなければいけないのだろう?













 時計の針を戻そう。




 ひっそりと隠れるように、その村はあった。

 聞くところによれば、村人の祖先たちは、から始まった差別や奴隷狩りから辛うじて逃げ延びた者なのだとか。

 彼らによって築かれた人々の安住の地、アシュロンの森という黒い海の上にたった一つだけ浮かぶ小島を思わせる村、その名をトルシュ村という。




 小さいながらもしっかりとした造りの、木造の家屋が建ち並ぶ。

 その間には、収穫を待つ畑や共同井戸のある広場へと通じる道が走る。

 草地では牛やヤギがのんびりと草を食み、家屋の庭の一部を囲ったスペースに放された鶏は地面をつついていた。

 日々の小さな幸せと安寧を願い、生きる人々の生活が見える、慎ましく整った村。


 村人の姿が消えた村を、そいつらはアシュロンの森からじっと見ている。




 村に一軒しかない酒場。そこは、仕事を終えた村人たちが週一回の割合で一杯引っ掛ける、ささやかな娯楽の提供場である。

 そこに、村人たち全員が集っていた。

 なにも知らない者からすれば、異様な光景だろう。

 ニガヨモギ色の肌、垂れた耳と潰れた鼻、全体的にぽってりとした体形の、オークの亜人。

 背はそんなに高くなく、樽みたいなずんぐりむっくりの体躯、髭をぼうぼうと生やした、ドワーフの亜人。

 二足歩行の子犬のように愛らしい姿の、コボルトの亜人。

 村人たちは、全員、亜人である。この世界において忌み嫌われ、「悪」そのものと定められた種族たちだ。

 その誰もが皆、精一杯のおしゃれをしていた。若き一組の男女が愛を誓い、結ばれる結婚式に、野良着や作業着で駆け付けるなんてとんでもないことだからだ。

 そんな中において、キリはまるで麦の袋に紛れ込んだスイカの種みたく、浮いていた。

 身に纏うのが、滅多に着ないよそ行きのワンピースドレスだからではない。

 蜂蜜を溶かしたミルク色の肌、ぱっちりとした黄金の瞳、さらさらロングの髪は秋空のように澄んだライトブルー。

 肌は獣毛や鱗に覆われていないし、尖ったり垂れたりしていない耳は丸い。

 ぱっと見て、キリは人間にしか見えない。亜人を敵視し、憎む「善」そのものの種族そのものだ。

 実際、キリは人間である――ただし、半分だけ。

 聞いた話では、おおよそ十三年前、トルシュ村に一組の男女が現れたのだという。

 奴隷狩りの恐ろしい魔の手から逃げてきたという亜人の男性と、逃亡の手助けをしたために追われることになった人間の女性を、村人たちは匿い、村の一員として受け入れた。

 その二人が逃亡生活の最中もうけたのが、キリなのだという。


「でも、あんまり実感できないよ」


 多分、キリは母親の血が濃いのだと思う。記憶に残る父みたく、肌は青くないし耳は尖っていないし、牙も角もないのだから。

 でもだからといって、母そっくりにもならなかった。記憶に残る母は、黒い髪に黒い瞳、肌は浅黒かったし。

 それでも、いつか聞こうと思っていのだ。

 だけどその頃にはもう、両親は亡き人だった。


「キリ、キリ」


 肩をつつかれる。はっ! と意識を現実に戻したキリに、紙吹雪が入ったバスケットが渡される。

 友達のラロとモルとロロ、同年代のコボルトの亜人とゴブリンの亜人とオークの亜人が、目の前に立っていた。


「いいか?」


 ラロは、真剣な表情でみんなを見る。


「練習通り……いくよ!」

「……ごめん、おしっこしたい」

「ロロ!」


 ラロの声に棘が生える。しかし、祝いの場に怒りはご法度だ。


「さっさと行ってこいよ、もう!」

「それでは、新郎新婦の入場です!」


 ロロは「ごめん、ごめん」と、バスケットを置く。

 酒場の奥の扉が開き、婚礼の衣装に身を包んだ若い亜人の男女が出てくるのと、ロロが野外に設けられたトイレへ行くのにこっそり出て行くのは、ほぼ同時だった。


「ボゥラさん、ドゥーラさん、ご結婚おめでとうございます!」


 村人たちが、祝福の言葉を紡ぐ。

 ラル、モル、キリは、バスケットの紙吹雪をまく。紙吹雪が、新郎新婦に降り注ぐ。


「ボゥラさん、ドゥーラさん、どうか末永くお幸せに!」


 皆からの温かい祝福を受け、新郎新婦は微笑んだ。

 今、この場には、二人の結婚を心から祝う人々の幸せと笑顔が満ち溢れている。



 故に、ロロが戻ってこないのに、誰も気付くことはなかった。


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