第36話 それは突然やってくるもの(3)

 トゥーリッキが息を引き取った日の翌日。朝早くに警邏隊本部に向い、休暇をもぎ取ってきたヴェルザはちらつく雪も、吹き付ける海風も物ともせずに次の場所へ。新年会ぶりにクヴェルドゥールヴ家の屋敷に顔を出すと、温かく迎えてくれた養母に頼んで”あるもの”を用意してもらい、それを大きな鞄の中に詰め込んで、また次の場所へ。


「おはよう、ステルキ准尉」

「おはよう御座います、女将さん、旦那さん」


 トゥーリッキの自宅で番をしてくれている酒場の店主夫妻と挨拶を交わせば、店主のナグリが「外は寒かっただろう」と言って、熱いコーヒーを御馳走してくれた。


「その大きな荷物……本当にアレを持ってきたんだねえ……」

「ええ、先程、御屋敷に寄りまして、引き取って参りました」


 コーヒーをグイっと飲み干して、体が温まったヴェルザが鞄を開ける。中にしまわれていたのは、彼女の実母が着た花嫁衣装だ。


「流行の意匠ではないけど、時代を選ばない良い衣装だねえ。使ってる布地も、刺繍に使われている糸も質が良いもの」

「あんたの亡くなったおっ母さんのものなんだろ?良いのかい?この子にくれてやっても……」


 いつかヴェルザが必要とするかもしれないからと、亡き実父が大切に保管してくれていた花嫁衣裳。クヴェルドゥールヴ家に身を寄せてからは、大雑把なヴェルザに代わり、養母が大切に保管してくれていた為、物は古くても、傷みは殆ど無い。


「折角、父が残してくれたものですが、私は母よりもずっと背が高くなってしまったので、着られません。このまましまい続けてしまうよりも、トゥーリッキに着せてあげられたら、と思った次第です。母のお古ですので、彼女が気に入ってくれるかどうか不安はありますが」

「着古した服よりはずっと良いさ。この子も文句なんて言わないよ、きっと。あの生い立ちの人間にしては、他人にちゃんと感謝できる子だからね」


 早速、衣装をトゥーリッキの体に合わせてみると、少し大きいようだが着せてやれそうだと分かり、ヴェルザとアジスラは、にっこりと笑いあった。


「おお、そろそろ葬儀屋も営業を始めてる時間だな。依頼をしに行ってくるから、その間にトゥーリッキの身支度を整えてやりな」


 自宅から持ってきたらしい置時計で時間を確認すると、気を利かせたナグリが退室していった。ヴェルザたちは協力して、冷たく硬くなっているトゥーリッキに衣装を着せてやった。


「ふぅ……体に傷をつけちまわないか、腕折っちまわないか、冷や冷やしたよ……」

「私も力加減が難しくて、怖かったです……女将さんが手伝ってくださらなければ、危なかった……!あっ、そうでした!アルネイズから頂いた物が……」


 ヴェルザの上着のポケットから出てきたのは、口紅と紅筆だ。

 盲目的な愛を向けているヴェルザが花嫁衣裳を引き取りに来たと耳にして、「私より強い熊じゃないと御義姉様は渡さない!」と怒り狂ったアルネイズを養母と力を合わせて宥めすかした。事情を説明すれば、冷静になった彼女は自分の化粧台の引き出しから新品の口紅と紅筆を取ってきて、ヴェルザに渡してきた。


『綺麗な色だったから購入したのだけれど、結局使わなかったの。その方がお好きな色かどうかは分からないけれど……アトリの大切な人に使ってあげて』


 春に咲く花のように可憐な色をした口紅を塗ってやろうとして、ヴェルザの手がぴたりと止まる。


「あの~……手元が狂いそうですので、女将さんに代わって頂いても宜しいでしょうか……?」


 ヴェルザは慎重な作業が苦手らしいことを先程理解したので、アジスラは呆れつつも交代してやる。血色が悪かったトゥーリッキの唇が鮮やかな色になり、身支度が或る程度整ったところで、アジスラは時計に目をやった。


「葬儀屋の事務所は此処から歩いて十五分くらいのところにあるから、そろそろ戻ってきても良いくらいだけど……なかなか戻ってこないねえ、うちの亭主。そういえば、この冬はこの子みたいに風邪をこじらせて亡くなる人が多くて、あちこちの葬儀屋が目を回してるらしいって噂で聞いたけど……混雑してるのかねえ?」


 ヴェルザの職場がある地域では風邪が流行しているのかと問われ、彼女は虚ろな目をして返答した。


「グロンホルム地区では風邪はあまり流行していないようですが、無駄に元気の良い変質者が出没することがありまして、部下の隊員ともども頭を抱えたくなる時があります」

「治安を守る警邏隊の仕事って……大変なんだねえ……」


 二人が雑談をしながら待機していると、噂をすれば何とやらか。ナグリが葬儀屋の従業員を連れて戻ってきた。疲れた顔をした従業員はトゥーリッキに祈りを捧げると、巻き尺で彼女の身長を測り、彼女の体に見合った大きさの棺を選定する。それからヴェルザと店主夫妻、葬儀屋の従業員とでじっくりと話し合い、葬儀の内容や日程などが決められた。

 棺の用意をするために従業員が一旦、事務所に戻っていってから暫く。珍しく焦った様子のハルジがやって来た。


「想像していたよりも、時間がかかってしまいました。トゥーリッキが未だ此処にいてくれて、安心しました」


 急いで階段を駆け上がってきたらしく、頬を紅潮させているハルジが厚紙で出来た箱をヴェルザに渡す。


「綺麗な衣装には綺麗な靴が必要だと伺いましたので、これは僕からトゥーリッキへの贈り物です。どうぞ、彼女に履かせてあげてください」


 白地に絹糸で美しい刺繍が施された靴は、ヴェルザの母親の花嫁衣装と合わせても全く違和感がなく、トゥーリッキの足にぴったりと合った。


「眼鏡のにいさん、あんた、カウピって名前だから若しかしてって思ってたんだけど、こんなに立派な靴を用意してくるなんて……やっぱり、カウピ商会の一族の出だったりするのかい?」

「一族といいますか、現会長の末息子です。ですから、実家の力をもってすれば何なりと……と、格好をつけたいところですが、考えもなく行動に出てしまいましたので面倒なことになりました」


 そのことを思い出したくないのか、眉根を寄せたハルジが苦々しく息を吐く。

 昨夜のことだ。トゥーリッキの靴を拝借したハルジは実家に突撃し、就寝しようとしていた両親を捕まえて、こう言った――


『この靴と同じ大きさの、綺麗な靴を扱っている業者に心当たりは有りませんか?できれば、花嫁衣装に合うものが良いのですが』


 時間帯を考えず、いきなり現れた末息子が頓珍漢なことを言っているので、両親は彼を憐れんだ。働き過ぎて頭に異常をきたしているのか、或いは、転んだりして頭を強打してしまった後遺症なのだろうな、と。


『これは一体どういう状況なんだ?』


 所用があって、妻子を連れて実家を訪れていた長兄が偶然にもその場に現れてくれなければ、ハルジと両親の会話は平行線を辿ったままだったに違いない。


『ハルジが、あのハルジが!他人様のために行動を起こすだなんて……!世界を焼き払う巨人が現れる前触れなのだとしても、喜ばしいことこの上ない……!』


 事情を説明すれば、両親は感極まって涙を流し、長兄と、いつの間にか加わっていた彼の妻には温かい眼差しを向けられ、ハルジは物凄く居心地が悪くて仕方がなかった。


「……まあ、結果良ければ全て良し、ということにします。長兄の奥方に紹介して頂いた靴屋が営業を開始すると同時に駆け込み、店主と議論を交わした甲斐があったというものです」


 お洒落というものの概念を理解しきれていないハルジには、綺麗な靴の定義が分からない。店主に幾つかの靴を勧められても、どれを選んだら良いのか皆目見当がつかず、最終的には店の前を通りがかった若い女性に直感で選んでもらったことは、ハルジの胸にしまっておくことにした。




 ――さて、トゥーリッキを弔うための準備は整った。

 養護院を代表してやって来た院長が最後に冥福を祈り、棺の蓋が閉められる。集合住宅の裏口から運び出された棺は、葬儀屋が用意した馬車の荷台に載せられて、ヴェルザとハルジを伴って、火葬場へと向かっていった。

 遺体を焼くのは、死者の為。火葬することで死者の魂は煙に乗って、天井の世界へと向かっていけるのだと古くから信じられている。長い長い時間をかけて、トゥーリッキの体は灰となり、それは小さな壺に収められた。予めトゥーリッキの指から外しておいた金の指輪も、その中へと収められた。

 遠くに王都の街並みを望む丘陵地にある火葬場から戻ってくると、もうすっかり夜の時間帯になっていた。翌日に待ち合わせる時間と場所を決めて、ヴェルザとハルジはそれぞれの帰路に就いていった。

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