第28話 おでかけ

 降り頻る雪の中、寂れた街を並んで歩いていく人影が二つ。雪道を物ともせずに力強い足取りで進んでいく背の高い人物に比べて、背が低い人物の足取りはよたよたとしている。


「カウピさん、足元にお気をつけください。石畳が所々壊れていて、躓きやすくなっておりますので」

「はい、気を付け――」


 少し先を歩いて雪を踏み固めてくれているヴェルザに返事をする途中、蹴躓いてしまったハルジの視界が揺れた。

 ――ああ、このままでは顔面を強打してしまう。手をついて、眼鏡の破壊を阻止しなければ。

 だが、ハルジの腕の神経は脳からの命令をきちんと理解してくれなかった。美味しい餌に飛びつく猫のような体勢で一瞬だけ宙に浮く。そうして彼は見事に体の前面を石畳に打ちつけてしまい、視界に幾つもの星が煌めいた。


「あらら、豪快に転ばれましたね。どこかお怪我などはされていませんか?」

「体の前面が猛烈に痛みますが、擦り傷が出来たり、骨折などはしていないかと思われます。冬の厚着だったことが幸いしたかと。ですが、眼鏡の安否が気になります。ステルキ准尉、お手数ですが助け起こしてくださいませんか?」


 勿論です、と明るく答えて、ヴェルザは倒れ伏したままのハルジを軽々と起こし、雪塗れになった彼の顔を綺麗にしてやり、外した眼鏡を調べる。レンズに水分の多い雪がついているものの、罅が入ったり、傷がついたりはしていないようだと報告すれば、彼はほっと息を吐いた。


「冬を雪に閉ざされる国に生まれ育ったというのに、このざまとは……。僕が普段歩いていたのは、整備がされていて、雪かきもされている安全な道だったのですね……」

「カウピさん、できましたら、直ぐに眼鏡をかけてください。この場に留まっているのは危険ですので」


 柔らかい布でレンズを丁寧ん吹いていたハルジはヴェルザの言葉を耳にすると、慌てて眼鏡をかける。


(そうだった。此処はエルヴロー地区、王都の一部とはいえ、公の目が行き届いているとは言い難い地域……)


 王都中に配置されている警邏隊も手を焼く治安の悪さで知られているこの場所は、他の地域とは雰囲気がまるで異なる。今日は雪空であるからか、表通りに出ている人の姿はあまり見当たらない。お坊ちゃん育ちのハルジには分からなくても、軍人のヴェルザには物陰から二人の様子を窺う怪しい視線がひしひしと感じられるので、警戒を怠らない。


「ステルキ准尉がいなかったら、僕はとっくに追剥に襲われていますね」

「ええ、犯罪者からしたらカウピさんは良いカモです。抵抗されても難無く抑え込めますし、質の良い高級品を剥ぎ取れますし、身代金もかなりの額を狙えますから」


 私が犯罪者なら確実に犯行に及んでいます。薄く笑い、さらりと怖いことを言ってのけるヴェルザの背を見失わないように、ハルジは足にしっかりと力を入れて、雪道を踏みしめていく。




 時は数日ほど前に戻る。

 その日、ヴェルザは執務室で書類に目を通しながら、ホルティ曹長から午前中の巡回の報告を受けていた。すると――


「ステルキ准尉!自分から立候補したくせにお見合いでステルキ准尉をふったカウピ財務官がお越しです!あ、応接室にお通ししておきました!」


 詮索好きのお調子者こと、グス兵長がノックもせずに扉を勢いよく開いて、内に入ってきた。王宮から流れてきているという怪しい噂を真に受けているらしく、野次馬根性をメラメラと燃やした彼は、礼儀作法というものを忘れ去ってしまったらしい。


「……これより小官がこの大馬鹿者を締め上げますので、どうぞ、小隊長は御客様の許へ」

「どうも有難う、ホルティ曹長。ああ、病院送りは避けてくださいね。監察に目をつけられてしまうと厄介ですから」


 静かな怒りを漂わせているホルティ曹長にその場を任せて、ヴェルザは応接室に向かうことにする。通り過ぎる際にグス兵長が「タスケテクダサイ」と縋るような目で見つめてきたが、彼女は笑顔を向けただけで、扉を閉めると同時に向こう側でグス兵長の悲鳴が響いた。


「お待たせ致しました。先日振りで御座いますね、カウピさん。私に御用がおありと伺っておりますが……」

「お久しぶりです、ステルキ准尉。確かに貴女に用があるのですが、今日は面会の約束を取り付けにやってきた次第で、どういう訳か此方に通されてしまいました」


 どうやら、噂の主が現れたことに興奮したグス兵長が暴走したようだと理解して、ヴェルザは引き攣った笑みを浮かべると「部下が失礼なことを致しました」と詫びてから、一つ、提案をした。


「御時間に余裕が御座いましたら、今から御用件をお伺い致します。丁度、休憩に入ろうとしていたところですから。如何で御座いましょう?」


 機転を利かせてくれたヴェルザに、ハルジは甘えることにした。


「ステルキ准尉にお尋ねしたいことがあります。貴女はアトリが児童養護院に出入りしていたことを御存知ですか?」

「あらら、随分と唐突な御質問ですね……」


 呆気にとられつつも、ヴェルザは首を左右に振って、質問の答えとした。その情報は初耳だったのだ。


「財務院の食堂の料理長と雑談をしている際に、突然そのことを知りました。アトリは料理長にそれなりに自分のことを話していたようです。ただ、先日伺ったトゥーリッキさんのことについては料理長も御存知ではありませんでした」


 ハルジは鞄の中から一枚のメモ用紙を取り出し、対面に座しているヴェルザに差し出す。


「アトリが出入りをしていた児童養護院の名称と住所です。料理長に教えて頂きました」

「この場所は……ああ、だからアトリはあの日、あの場所にいたのですね……」


 彼が一人暮らしをしていた町とは違う場所にいた理由が分かり、ヴェルザはほんの少しだけ、寂しそうに笑い、薄手の手袋に包まれた指でメモ用紙を優しく撫でる。それに気付かないハルジは自分の調子で話を続けた。


「料理長には助言もして頂きました。その場所を訪れてみると、何かが分かるかもしれないと。確証は有りませんが、試してみても良いのではないかと、僕は思いました。ですから、僕と一緒にその児童養護院に行ってみませんか?」

「それは全く構わないのですが、理由を伺っても宜しいですか?」


 またしても唐突な発言をされて、呆気にとられるヴェルザにハルジは至極真面目に答える。


「貴女は食事会の席で仰っていましたよね。アトリに心残りがあったのなら、代わりに解消してやりたいと。僕はアトリの友人――だと思いたいので、僕も、その手伝いがしたいと思いました」


 だから、生まれて初めて自分の為ではなく、家族の為でもなく、大切だと思えた誰かの為にハルジは行動を起こした。因みに「戦力外なので、お気持ちだけで結構です」とヴェルザに断りを入れられる可能性までは考えていない。


「アトリには素敵な御友人がいたのですね。そのことが知れて、私はとても嬉しい」

「……素敵な友人?僕がですか?」


 どうしてそのような評価をされるのかが分からない、と言いたそうなハルジの仏頂面を見て、ヴェルザがくすくすと肩を揺らして笑う。


(ちゃんとアトリを見てくれる人がいてくれて良かったですね、アトリ)


 こうして二人は休日に合わせて、エルヴロー地区にある児童養護院に伺うことになったのだ。




「彼方に見える建物が第十七児童養護院ですね」


 机仕事であれば何時間でも耐えられるが、足を動かし続ける仕事には慣れていないハルジは疲労で淀んだ目を声が示す方へと向ける。斜陽の色濃い町の児童養護院の敷地を囲う鉄製の柵は錆びきっていて防犯性の低さは否めず、建物の大きいだけで壊れている箇所がちらほら見受けられた。治安の宜しくない地域にあるこの児童養護院は、恵まれない子供たちが安心して暮らせる家として機能しているのかとハルジは心配になる。


「……開けるのに苦労しそうな門扉ですね」


 開け閉めをするだけで壊れてしまいそうな、錆びだらけの門扉に手をかけて、ハルジは怖々と押してみる。開かない。勇気を出して、力を入れて押してみる。開かない。精いっぱい力を出して押してみる。開かない、びくともしない。これは一体どうしたものかと考え出すハルジの隣で、それまで彼の動向を見守っていたヴェルザが動く。彼女はいとも簡単に門扉を開けた。どうやらハルジが開けようとしていたのは固定されている方の門扉だったらしいと分かり、恥ずかしさでハルジの体温が急激に上昇して、頬に触れた雪が水と化した。


「このまま寒空の下にいると凍えてしまいますから、中に入れて頂きましょう」

「……ひょうれふえ、ごほっ、そうしましょう、ステルキ准尉」


 何も見なかったことにしてくれているヴェルザの優しさが超合金の棘となって、ハルジの鋼鉄の心臓にぶっすりと突き刺さる。何とか平静を装ったが、口が上手く動かなくて、ヴェルザにはハルジの動揺が伝わったのは明白だが、彼女は気付かないふりをして開けた門扉を静かに閉めてくれた。

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