第29話 アトリの残り香、トゥーリッキの気配

 養護院の扉を開ければ、ぎいっと重たく大きな音がする。それに気が付いた幾人かの子供たちが集まってきて、ヴェルザを目にするなり呆然としたり、或いは涙ぐんだりする。

 ――ああ、そうか。彼らの反応が何を意味しているのかを察したヴェルザが事情を説明して、彼らは漸く突然現れた二人組が来客だと気が付いた。それからヴェルザとハルジを品のある老婦人の前に連れて行ってくれ、彼女もまた、子供たちと同じ反応を見せた。


「ようこそ、いらっしゃいませ。わたくしはこの養護院の院長を務めております、ベルグソーラ・ファグルルンドです。先程はじろじろと見てしまって、ごめんなさいね。てっきりアトリが生き返ったのかと思って……」


 アトリの実の姉ならば顔が似ていてもおかしくはないと院長が頷けば、彼女の背後にいる子供たちも頷く。


「どうぞ、お気になさらずに。弟とは背丈も同じくらいで、よく間違えられましたから。改めまして、アトリの姉のスヴェルズレイズ・ステルキと申します。此方の御方は……」

「初めまして。アトリのゆ、ゆう、友人、の、ブリュンハルズ・カウピです」


 これまでの人生で自己紹介は幾度となくしてきたが、”誰かの友人である”という文句を利用してきたことはなかった。ハルジは緊張のあまり声が裏返り、ついでに台詞も噛んだ。表情は変えずとも耳が真っ赤になっているハルジと気付かないふりをしているヴェルザは、温かい目で見守ってくれる院長に応接室へと通される。


「此方のお菓子をどうぞお受け取りください。子供たちに……」

「まあ、こんなにも沢山……有難う御座います」


 席に着くなり、ハルジは大事に抱えていた鞄の中から沢山の袋――干した果物や焼き菓子の入った袋を取り出し、机の上に並べる。両親の教えである「何方かの家に伺う場合は手土産を持っていくこと!」を、彼は忠実に守っているのだ。


「わあ、おかしがいっぱい!」「おじさん、ありがとう!」「あっちであそぼっ!」

「え?いえ、僕は用事がありまして……え?ええ?ええっ?」


 すると、どうやら応接室でかくれんぼをしていたらしい子供たちが何処からともなく現れ、沢山のお菓子を回収し、ついでにハルジも捕まえて、騒がしく応接室から出ていってしまう。間もなく、扉の向こうから子供たちの歓声とハルジの悲鳴が上がり、部屋に残されたヴェルザと院長は顔を見合わせて苦笑いをした。


「国の補助があるとはいえ、運営資金には余裕がなくて、子供たちにはお菓子をあまり買ってあげられないの。それにあの方はアトリの友人だと仰っていたから、彼と同じように自分たちと遊んでくれるものだと早とちりして連れて行ってしまって……御免なさいね」

「恐らくは、問題ないのではないかと」


 ヴェルザは以前にハルジから聞いたことがある、彼には甥と姪が何人かいるのだと。ならば、彼には子供たちの相手がなんとかできるかもしれないと勝手に判断して、ヴェルザは養護院を訪れた目的を果たそうと考えた。


「院長様にお伺いしたいことが御座います」

「ええ、どうぞ。わたくしに答えられることでしたら」

「恥ずかしながら私はつい先日まで弟が此方にお世話になっていたことを存じませんでした。それで……」


 アトリはこの場所でどんなことをしていたのかを知りたい。ヴェルザの訴えに、院長は暫し黙考し、情報を整理してから静かに語り始めた。


「アトリが初めてこの養護院を訪れたのは……そうねえ、三年程前のことだったかしらねえ」


 或る日、幾人かの孤児らしい子供たちを連れた二人組の男女が現れた。一人はアトリで、もう一人は漸く成人の域に達したくらいの年頃の女性だ。


「養護院の職員は困っている子供たちがいないか、定期的に担当区域を見回るのだけれど、彼女たちはエルヴロー地区でもより治安が宜しくない地域に隠れ住んでいて、わたくしたちはなかなか見つけてあげられなかったことをその時に知りました」


 大人を信用していない彼女は寄る辺の無い孤児を集め、自分だけで子供たちをを支えていこうとしていたが、限界を向かえるのは早かった。


「アトリが彼女――トゥーリッキを根気良く説得してくれた御蔭で、彼女も子供たちも悲しい結末を迎えなくて済んだの。……あら?どうかなさって?」

「ああ、いえ……どうぞ、お話を続けてください」


 思わぬところでトゥーリッキの名前を耳にしたので、ヴェルザは動揺した。彼女のことは気になるが、話の腰を折るまいと院長に続きを促す。


「アトリとトゥーリッキは恵まれない子供たちを養護院に預けた後も、何度も様子を窺いに来てくれたわ。親の愛情に飢えている他の子供たちも同じように気遣ってくれて……」


 生活に少し余裕ができればトゥーリッキはお金を寄付してくれたり、アトリは食材を買ってきて料理を振る舞ってくれた。職員の手が足りないことがあれば、二人とも快く手助けをしてくれた。そんな二人に、院長も職員も子供たちもとても感謝していた。だからこそ、突然のアトリとの別れに誰もが心から悲しんだ。養護院の人々に悲しい報せを届けたトゥーリッキの表情が今でも忘れられないと、院長は涙ぐむ。


「……トゥーリッキさんは今でも此方にお顔を出されますか?」

「都合がつかないのか、以前よりは回数が減ってしまったけれど、それでも子供たちの顔を見に来てくれますよ」

「そうなのですね……あの、宜しければ……トゥーリッキさんにお伝えして頂けませんか?アトリの姉が貴女に会いたがっていると」


 アトリが亡くなって暫くしてから、トゥーリッキという人物の名前を知ったこと。彼女に渡したいものがあること。若しかしたら、それがアトリの心残りかもしれないこと。ヴェルザはそれをどうにかしてやりたいと思っていることを伝える。そして、此方を訪れたことで彼女の居場所が掴めそうだが、見ず知らずのアトリの姉がいきなり訪ねていっても彼女が混乱してしまうだろうから、彼女とヴェルザの仲介を院長にしてもらえないかと頼んでみる。院長は快諾してくれたが、トゥーリッキは不定期に訪問してくるので近いうちに叶うとは約束できないとも言われた。ヴェルザは承知の上だと返し、ほっと息を吐いた。


「此方をお尋ねして良かった、私の知らないアトリを知れて……本当に良かったです」

「わたくしもアトリの自慢のお姉様にお会いできて嬉しかったわ。時間に余裕がおありでしたら、どうぞ、子供たちと触れ合ってくださいな。あの子たちが知っているアトリのことを聞けると思いますよ」

「ええ、是非とも、そのように。ああ、カウピさんに背中を押して頂けて……あら?あ、カウピさん!?」


 隣に座していたハルジがお菓子と共に子供たちに連れ去られて、それなりに時間が経過している。ヴェルザは自分の目的を優先して、彼の存在を忘れ去っていたことに気が付き、顔面蒼白となる。


(カウピさんもアトリのお話をお聞きしたかったでしょうに、私としたことが……っ!)


 申し訳ない気持ちでいっぱいのヴェルザは、子供たちが集まっている広間へと足早に向かう。そして、その場の光景に眩暈を覚えた。


「あ!アトリのおねえちゃん!」「あそんで!あそんで!」「おじさん、ねちゃったの!つまんない!」

「ああ~~~、カウピさん、大変申し訳ないことを~~~っ!」

「あらあら、体力がなさそうな方だと思ったけれど、案の定ねえ……」


 元気の有り余っている子供たちに無遠慮にもみくちゃにされたハルジは真っ白に燃え尽きて、広間の中央で伸びている。職員たちも手いっぱいで、ハルジのことにまでは気が回らなかったらしく、申し訳なさそうにしつつも他の子供たちの相手をしていた。


「兎に角、生存確認を……ああ、良かった、息はしていますね」


 足元にじゃれついてくる子供たちを上手くあしらいつつ近づき、ヴェルザは絵物語の王子様のように白目を向いているハルジを助け起こし、軽々と抱き上げた。それを眺めていたお年頃の少女や女性職員たちは胸をときめかせたとか、ときめかせなかったとか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る