第27話 口酸っぱく言われた意味を知るハルジ

 混雑する時間を避けて食堂へとやって来たハルジは、注文を終えると定位置にある席に着く。持参した本を読んで料理の到着を待っていれば、香辛料や焼けた肉の良い香りが鼻腔をくすぐると同時に視界の端に影が現れたので、自然と視線を其方へと動かす。


「よう、カウピさん。アトリの姉さんと見合いしたんだってな?そこら中で噂になってるぜ」


 好奇心で目を輝かせているウクシ料理長が、食卓の上に出来上がった料理を次々と並べていってくれる。その光景は普段であれば食欲を刺激してくるばかりなのだが、今は少々減退させてくるような気がして、ハルジは眉根を寄せた。


「……ええ、諸事情がありまして。此方まで噂が広まっているとは、財務院に勤務している方々は暇を持て余しているのでしょうか」


 分厚い鹿肉ステーキを一口大に切って頬張ると、減ったような気がした食欲は元通りになる。そんな単純なハルジはテキパキと手を動かして、モグモグと口を動かして、机の上に並べられた料理をあっという間に平らげていく。


「冬になると娯楽が減るから、余計に噂が楽しいんだろ。因みに俺が聞いたのは、魔王ステルキに戦いを挑んだ勇者カウピはデコピン一つで空の彼方まで飛んで星になっただとか、ステルキ准尉が巨大すぎて、小さすぎるカウピ財務官に気が付かずに足で踏み潰しただとか、碌な内容じゃなかったな」


 料理長から語られた噂の内容が本当に碌な内容じゃなかったので、ハルジは項垂れた。何をどうしたら見合い話が、魔王と勇者の戦いや巨人と小人の話になるのか。ハルジには全くもって見当がつかない。


「……幾つもの改変済みの噂を耳にしましたが、どういう訳かステルキ准尉が悪者にされている内容が多くて、腑に落ちません。彼女に非は無いというのに……」

「後ろ盾に恵まれていて、優秀な軍人で、オマケに人間の出来まで良いってのがステルキ准尉の欠点なんじゃないか?そういう人は自己肯定感の低い奴に恨まれて、憂さ晴らしに好き勝手に噂を流されるって誰かが言ってたな」


 立派な口髭を手で弄いながら、料理長は目を細め、虚空を見つめた。


「一度だけ、街中でアトリの姉さんを見かけたことがあってな」


 休日だったのだろうか、軍服姿ではなかったステルキ准尉は足が悪いらしい老人を背負い、その孫と思しき子供の手を引いて、力強い足取りで石畳の上を歩いていた。


「泣きべそをかいてる子供を励ます顔が優しくて、『申し訳ない』って繰り返す爺さんに、『どうぞお気になさらず』って何度も笑って言ってたっけ。アトリから聞いてた人となりの通りだなって思ってから、俺はあの人をよく知らないで悪く言うやつが嫌いでね」


 噂話を真に受けてステルキ准尉を悪く言った輩に「俺が作った飯じゃない飯を食って腹を壊してしまえ」とおまじないをかけてやったのは内緒だ。料理長が口元に人差し指を立てて、悪戯っぽく笑う。ハルジは薄く笑い、ふと或る事に気が付いた。


「アトリは料理長に、お姉さんの話をしていたのですか?」


 人間関係の構築に難があるハルジでは気付けなかった――アトリが自分以外の人間に家族の話をしている可能性に。その相手はこんなにも身近にいた。

 ――自分のこと九割、他人のこと一割でも良いから、少しは他人に興味を持ちなさい。自分だけでは気付かないことを教えてもらえることもあるんだから。

 我が道を歩み続ける我が子に両親が口酸っぱく言っていた意味を漸く理解出来たような気がして、ハルジの脳内に衝撃が走る。


「あ~、アトリは人当たりが良いくせに他人に壁を作るところがあったからな。それなりに信用されてたのか、俺には自分や家族の話を少しはしてくれたよ。だからさ、我関せずと一匹狼を貫いてるカウピさんにアトリが自分から関わりに行った時は驚いたもんさ」

「いえ、僕は一匹狼を貫いていた訳ではないのですが」


 その理由をアトリ本人に尋ねると、「あの細い体で大量の料理を綺麗に平らげる変人に興味が湧いてしまったから」と答えが返って来て、料理長は呆気にとられたそうだ。ハルジも以前にアトリに同じような質問をして、同じような回答を得たと記憶している。


「アトリは料理長に、お姉さんのこと以外でどのような話をしていたのか、覚えていらっしゃいますか?」

「遠慮があったのかどうかは知らねえが、クヴェルドゥールヴ家のことは当たり障りがない程度に話してくれたな」


 アトリの交友関係については、適度に親しくしているのは職場の人間で、それ以上に親しくしていたのはハルジくらいだったと語る料理長は、ふと、或る事を思い出す。


「……そうだ、児童養護院に時々顔を出してるって聞いたことがあったな。慈善活動に興味あったのか?って訊いたら、『まあ、そんなところです』とか言ってたっけ」


 児童養護院とは、様々な事情で家庭で育てられない子供を保護し、成人するまで世話をする施設のことだ。


『俺と姉さんは軍人の父親を紛争で亡くした後、運良くクヴェルドゥールヴのお義父さんに助けてもらえたので、何とか生きてこられました。それがなければ、身寄りがなかったので児童養護院に送られたか、浮浪児になって明日をも知れぬ身になっていたのかもしれません』


 或る時、そんなことをアトリが言っていたとハルジは思い出す。だが、それが理由でアトリが児童養護院に顔を出していたのかは分からない。更にハルジは、もう一つの疑問があったことも思い出した。


「……料理長、もう一つお尋ねしたいことがあります。アトリから、トゥーリッキという人物の話を聞いたことはありますか?」


 アトリが遺した指輪に刻まれていた名前の人物を捜していると、あの日、ステルキ准尉は言っていた。ハルジが知らなかったことを知っている料理長に期待を寄せるが、彼は首を左右に振った。表情筋が硬いハルジの顔に落胆の色が現れる。


「カウピさん、あんた、アトリと付き合ってるうちに良い方向に変わってきたな。此処に通い出した頃のあんたとは大違いだよ」


 当時のハルジはもっと表情が乏しくて、声も抑揚がなく、必要最低限の会話しかしないので冷たい印象が強かった。腹を満たす為だけに黙々と大量の料理を平らげる絡繰り人形のようだったと料理長が振り返り、ハルジはどう反応したら良いものかと視線を迷わせる。


「アトリが出入りしてた児童養護院を訪ねてみるのはどうだ?トゥーリッキって人の手がかりがあるかどうかは分からないけどな、欲しい情報ってのは思わぬところに落ちてたりするもんだしよ」

「そうですね、一理あると思います。料理長、その施設の場所は御存知ですか?」

「おう、アトリに聞いたことがあるぜ。待ってな、紙に書いてやるから」


 料理長は懐からメモ帳を取り出して、男らしい外見とは裏腹な可愛らしい文字で情報を書き記していくと、ハルジに手渡す。それを受け取ったハルジは体の向きを彼の方に直して、深々と頭を下げる。


「有難う御座います。料理長。御礼になるかどうか分かりかねますが、料理の追加注文をしても宜しいですか?」


 予想していなかった収穫に喜べば、何故か腹が鳴る。自らの腹の音を聞かなかった振りをするハルジを目にして、料理長は噴き出した。


「おう、沢山食べなよ、カウピさん」


 追加注文を受け付けた料理長が厨房へと向かっていく背中を見送って、ハルジは手元のメモ用紙に目を落とす。


(アーサヴェー新市街エルヴロー地区〇〇番地△△、王立第十八児童養護院……)


 メモ用紙に記された住所――エルヴロー地区を知っているハルジは顔を曇らせ、微かに手を震わせた。

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