第6話 おつかいわんこ

 カーテンの隙間から漏れる陽光が、少しずつ室内の闇を和らげていく。その僅かな刺激に反応して目覚めたヴェルザは、重たい瞼を瞬かせた。何もしなくても朝早くに目覚めてしまうのは、長い軍人生活の賜物かもしれない。音符の散らかった大音量のラッパで叩き起こされる生活から解放された時の喜びは筆舌に尽くし難かったものだ。


(此処はアルネイズの部屋……そうだ、アルネイズが放してくれなくて、一緒に寝たのだったわ……)


 ぼんやりとした頭で、昨夜の出来事を思い返す。「アルネイズの気が済むまで付き合ってやってくれ」と言い残して、ヘルギは妻子が待つ家にさっさと帰ってしまった。いつまでも玄関先で義妹に締め上げられている訳にもいかないので、ヴェルザは使用人たちの手を借りて、屋敷の内に入ったのだ。それからずっと泣きじゃくるアルネイズに寄り添い、夜も遅いからと言って退避しようとして失敗して、彼女の寝台で一緒に眠ることになったのだった。


(さて、夢から覚めるのに成功したかな……?)


 目が溶けるほど泣いたのだから、アルネイズにかかっている歴戦の覇者の呪いも解けてはいないか。微かな期待を胸に、健やかな寝息が聞こえてくる方へと顔を向ける。ヴェルザの隣で、可愛らしい寝間着を着た覇者が眠っている。微かな期待は音もなく消え去った。


(うぅ~ん、駄目かぁ~……)


 念の為に頬を抓ってみる。痛い。夢ではなく現実だと認識したヴェルザは身を起こし、ベッドから降りる。


「……お義姉様ぁ?」


 その振動でアルネイズが目を覚ました。ヴェルザは微笑み、ぼさぼさになってしまっている彼女の柔らかな髪を撫でてやる。


「おはよう御座います、アルネイズ。よく眠れましたか?」


 朝食の時間まで鍛錬をするつもりだと告げると、アルネイズも付き合うと言い、着替えた二人は庭に出て、木剣で打ち合いを始める。クヴェルドゥールヴ家は優秀な軍人を多く輩出する家柄で、その家に生まれたアルネイズは剣術の筋が良く、今は覇者に変身しているだけあって、一撃が重い。とても良い鍛錬になったと息を切らしたヴェルザが礼を言うと、アルネイズは嬉しそうにはにかんだ。

 王太子への拝謁は午後からとなっており、ヘルギが迎えに来てくれることになっている。ゆっくりと朝食を頂いた後は、時間がやって来るまでアルネイズとのお喋りに興じる。


「南部辺境だと伺っているけれど、ロスガルジはどのような所なの?」

「王都よりもずっと南に位置していますから温暖な気候で、畑作や牧畜が盛んな長閑で良い所ですよ。現在では馬専門の牧場が少なくなってしまいましたが、やはりロスガルジの馬は体格が良く、脚も丈夫で体力もあり、調教師の腕も良いので乗りやすい。嘗ては駿馬の産地として名高かったのも頷けます。他には……そうですね、のんびりとした方が多かったので、人間よりも動物が絡む事件の方が多かったかもしれません」


 脱走した家畜を捕まえようと町中を走り回ったり、放牧中に急に出産を始めた牛に遭遇して牧場の人々と一丸となって新しい命の誕生を見届けたり、丘の上でのんびりとパンを食べていたら大きな鳥に襲われたり、ロスガルジでの日々は中々忙しかったとヴェルザは振り返る。


「ふふふ、素手で猪を倒すお義姉様でも大きな鳥には勝てないのね」

「それはデマですよ、私は素手で猪なんて倒せません。野営地に迷い込んだ猪の子供を山に逃がしてあげた話が、どうしてかそんなことになってしまっただけです。睨み一つで熊を戦意喪失させる義兄君の話は真実ですけれどね?」


 ヴェルザの話を楽しそうに聞いているアルネイズを見て、彼女は昨日ヘルギに言われたことを思い出した。


『他人が寄越した報告書ではなく、ヴェルザ自身が書いた手紙でお前の近況を知りたかったんだよ』


 変に遠慮せずに、大したことのない内容でも手紙を出していたら良かった。ヴェルザがお喋りをしながら反省していると、主人の留守を任されているクヴェルドゥールヴ家の老執事がやって来て、アルネイズに耳打ちをする。聞き耳を立てているつもりはないが、つい習慣で其方に意識を向けて、声を拾ってしまうヴェルザ。


「アルネイズお嬢様。例の御方の使者がいらっしゃっているのですが、如何致しましょう?」

「打って出る一択よ。その方はこの部屋の下に案内して、使用人全員に屋敷の外に出てはいけないと通達をして」

「畏まりました」


 老執事は落ち着いた様子で部屋を出て行き、アルネイズは箪笥の扉を開けて、弓矢を取り出す。

 ――仮にも良いところのお嬢様の部屋の箪笥に弓矢って仕舞ってあるものなのかな?唖然としているヴェルザに目もくれず、アルネイズは開け放った窓の外に向けて――矢を番える。


(あ、例の御方とは若しや……)


 殺し屋の目をしたアルネイズの獲物の正体に心当たりがあるヴェルザは義妹を止めようとして近寄るが――アルネイズは弓矢を持つ手を下ろし、殺気を隠した。不思議に感じたヴェルザは、アルネイズの逞しい背中越しに窓の外に目を向ける。


「……あら?ガガル伍長ではないですか?」


 二階にあるアルネイズの私室の窓の下――芝生の庭に大きな花束を抱えた軍服姿の青年が佇んでいる。がっしりとした体躯の青年はヴェルザに気が付くと、人懐っこい笑顔を見せた。


「ステルキ教官!お久しぶりです!」


 微かに少年の残り香を感じる顔つきのソールステイン・ガガル伍長は、近衛師団時代のヴェルザの後輩だ。士官学校卒業生や、地方の軍から近衛師団にやってきた者たちが受ける教育課程でヴェルザが教官を務めたことが縁で知り合ったガガル伍長は、彼女とは違う部隊に所属してからも時折交流していた。


「あっ、失礼致しました、ステルキ中隊長!」

「現在の身分は、ロスガルジ小隊所属の平隊員ステルキ准尉です。それほど肩肘を張る必要はないですよ。お久しぶりですね、お元気そうで良かった」


 可愛がっていた後輩との再会に喜ぶが、どうして彼がクヴェルドゥールヴの屋敷にやって来るのかと疑問を抱くヴェルザ。けれども直ぐに彼の所属先を思い出し、何とも言えない表情を浮かべてしまう。


「ソールステイン!あのお馬鹿さんはどうしたの!?いないの!?」


 ヴェルザは知らなかったが、アルネイズとガガル伍長ことソールステインは面識があるようだ。


「こんにちは、アルネイズ様。本日はハムセール王子殿下が体調を崩されまして、不肖ガガル伍長が代理を拝命し、此方へ参りました」

「あのお馬鹿さんはいないのね?」

「はい、殿下は高熱があるのに出かけようとされまして、乳母殿に寝台に括りつけられていらっしゃいます。監視の目が厳しいので、抜け出してくることは殿下には不可能かと存じます」

「分かったわ!」

「えっ、ちょっと、アルネイズ!?」


 窓枠に鍛え上げられた足をかけるなり、アルネイズは二階から飛び降りて、着地と同時に地響きを立てる。彼女はお転婆だと思っていたが、まさかここまでとはと呆れつつ、ヴェルザも窓から飛び降り、華麗に着地する。第三者から見たら、似た者同士じゃね?と突っ込みを入れるかもしれない。


「今日も貢ぎ物?いらないと言っているわよね、毎回!あのお馬鹿さんは学習能力がないのかしら?」

「アルネイズ、落ち着いて。できれば本人の前でお馬鹿さんと連呼はしないでくださいね、不敬罪にあたります」

「自分は一介の軍人ですので、主君の命には従わねばなりません。申し訳ないことこの上ないのですが、こちらはハムセール王子殿下の真心です」


 噛みついてくるアルネイズに怯むことなく、ソールステインは花束を差し出す。今の季節は秋の終わり、自然の花はもう咲いていない。温室で育てられたと思しき花は色鮮やかで美しく、良い香りがほんのりと漂ってくる。腕を組んで仁王立ちしているアルネイズはじいっと花束を見つめ、やがて大きな溜息を吐いた。


「綺麗なお花だけれど、頂く訳にはいかないわ。あのアンポンタンの心を受け取ったと誤解されるのは癪だもの。でも、このままお持ち帰りさせたら貴方が叱責されてしまうから……いつものように使用人に下げ渡すわ。態々御使い御苦労様!」

「勿体無いお言葉を頂きまして、有難う御座います」


 ソールステインから花束を受け取ると、アルネイズはそれを大切そうに抱えて屋敷の中へ。横を通り過ぎていくアルネイズの頬が仄かに赤く見えた気がして、ヴェルザがその背を見つめていると、ソールステインが彼女に声をかけてきた。


「ステルキ准尉、王都に戻られているということは、国王陛下からお許しが出たのでしょうか?自分は今もハムセール王子殿下付きの小隊に所属しているのですが、此方にはあまり情報が入って来ないので……ステルキ准尉がいらっしゃって驚きました」


 ハムセール王子を溺愛している国王は、精鋭揃いの近衛師団の隊員の中でも更に選抜した者を、王子の護衛につける。なので出世街道にのったように見えるのだが、実際は違う。その小隊は仕事内容がしょうもないことで有名で、所属が決まった者は「自分の出世街道終わるの早っ」と燃え尽きてしまうのだ。そんな危険な任務を与えられることがない小隊にはとにかく情報が入らない。故に彼らは軍の関係者から”世間知らず小隊”と陰口を叩かれてしまっている。それでも折れずに仕事を続けているソールステインは尊敬に値するとヴェルザは思っている。


「う~ん、とにかく王都に戻ってくるようにと命じられただけなので、処遇がどうなるのかは私も分からないんです」

「……そうなのですか。それでは落ち着かれましたら、また飲みに誘ってください。宜しければ、自分の愚痴を聞いて頂けると……勿論、自分もステルキ准尉の愚痴でもなんでも聞きますから」

「ええ、いずれまた飲みに行きましょう。楽しみにしています。ガガル伍長、お仕事、頑張って」

「……はい!」

「ソールステイン、もう戻るの?」


 屋敷の中に行ったアルネイズが庭に戻ってきた。花束を置いてきたらしい彼女はソールステインの前に立つと、手にしている紙袋をずいっと彼に差し出した。


「これをお持ちなさい。……あのお馬鹿さんに付き合っていると、ゆっくりと食事も出来ないのではなくて?袋の中身は焼き菓子だけれど、沢山入れてきたわ。食事の代わりにはなるでしょうから、暇を見つけて、こっそり頂きなさい」

「……有難う御座います、アルネイズ様。帰り道に美味しく頂きます」


 つんとして、そっぽを向いているアルネイズに謝辞を述べて、ソールステインは仕事場へと戻っていく。その背中を横目で寂しそうに見ているアルネイズは不意に鼻息を荒く噴き出して、踵を返す。


「さあ、お喋りの続きを致しましょう、お義姉様!」

「はい……ふふっ」


 ヴェルザが王都を離れていた半年の間に、アルネイズには体以外の変化もあったようだと分かり、ヴェルザは楽しそうに笑いながら、ずんずんと力強く進んでいくアルネイズの後を追った。

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