第5話 可愛い義妹のアルネイズ

 雪に閉ざされる長い冬が終わり、百花咲き乱れる短い春がやって来た頃のこと。地方へと左遷されることが決定したヴェルザは、長らく暮らしていた王都を離れることとなった。王族の怒りを買ってしまったのだから、もう二度と戻ってくることはないのだろうと覚悟して。

 そして、同じ年の冬の訪れを仄かに感じる秋の終わり。ヴェルザは義兄のヘルギに首根っこを掴まれて、永久の別れを告げたはずの王都に舞い戻ることとなった。想定外デス。


(ああ……遂に戻ってきてしまった。セルスホフジ小隊長の奥様自慢の、鮭の切り身と野菜たっぷりの牛乳スープが食べてみたかった……冬の時期にしか食べられない絶品だと聞いていたから、冬が来るのを楽しみにしていたのになあ……義兄君のお迎えが来年の春だったら……いやいや、義兄君睨まないでください、逃げませんから!)


 国が主体となって推進している鉄道事業の発達により、陸路での遠距離移動にかかる時間が格段に短縮された。本日の昼頃に着の身着のままでヴァトナボルグを出立し、蒸気機関車に閉じ込められること凡そ四半日、まだまだ太陽が沈まぬ空の下。ヴェルザは王都アーサヴェー中央駅の歩廊に降り立つ。


「ヴェルザ、此方へ」


 涼しい顔をしているヘルギに促されて、ヴェルザは重たく感じる足を動かして、彼の部下の皆さんと共に歩いていく。




 大きな湖を水源とする川の両岸と河口一帯を領域とする王都アーサヴェーは主に三つの地域に分けられる。建国の時代に築かれたのだという四重の城壁に囲まれた旧市街、その周りと川の対岸に広がっていった新市街、そして漁業、海運業、海軍の関係者が根城としている港だ。アーサヴェー中央駅と銘打っている駅だが、王都の中心部ではなく、郊外に位置している。クヴェルドゥールヴ家の屋敷は旧市街にあるので、其処までは馬車で移動しないといけないのだ。

 初代の国王を象った青銅製の彫像と豪華な噴水がある駅前の広場で馬車に乗り込み、ヘルギの部下たちは其処で別れる。馬車は新市街の中を駆け、川の支流や本流の上に架けられた橋を幾つも渡り、堅固な城壁に囲まれた旧市街に入る。旧市街には丘の上に建てられた王城を取り巻くように、官公庁の建物や、貴族や軍功により隆盛した名家の者たちの住居が建ち並んでいて、やがて鉄製の門に守られた屋敷の前で馬車が止まる。


(王都に入っただけでは感じなかったけれど、屋敷までやって来ると……ほんの半年しか離れていなかったのに、どうしてか懐かしさがこみあげてくる……ついでに左遷された恨みも)


 屋敷の門を守る馴染み門番に敷地に招き入れられ、ヘルギの背を追って、ヴェルザは玄関を目指す。するといきなり玄関の扉が乱暴に開かれ、何かが中から飛び出してきて、ヘルギが華麗な足取りで横に逃げる。

 何が起こったのか、と、唖然とするヴェルザの耳に野太い雄叫びが聞こえた。


「おねえざまああぁあぁあぁぁぁぁああっ!!!」


 逞しすぎる腕と脚を動かして猪突猛進とヴェルザに向かってくる何かだが、彼女の目は酷くゆっくりと動いているように捉え、それが人間であることが理解できた。くすんだ金色の巻き毛は乱れに乱れ、眼輪筋が異様に発達している眼窩の奥にある琥珀色の目を鋭く光らせている人間は、女性物の可愛らしい服を来ているのだが、肩から先の袖がビリビリに破けてしまっていて、血管が浮かび上がるほど鍛えられた太い両腕が剥き出しになっていて、可愛らしさを全力でぶち壊している。だが、その服に見覚えがあるヴェルザは理解した。あれは義妹のアルネイズが所有している服、つまりあの屈強な戦士はアルネイズの変わり果てた姿だと。


(えーと……アルネイズは私より頭二つ近く背が低かったような……?筋肉の鎧を纏うと自然と身長が伸びるのかしら?いや、それはない……いやいや、人体には未だ解明されていない謎が秘められているというから、ありえない話ではないのかもしれない……)


 アルネイズは義母に似ていると思っていたのだが、このような進化を遂げると義父によく似ている。医療技術が遥かに進んでいるという異国では、顔を別人のように変えてしまう手術が出来ると、ヴェルザは風の噂で耳にしたことを思い出した。その手術を受けたと言っても過言ではないほどのアルネイズの変化に、ヴェルザは暢気に感動する。


(然し……果たして、私は突進してくるアルネイズを受け止められるのだろうか?体の頑丈さには自信があるけれど、ちょっと、今、その自信を失いそう……)


 これは流石に避けた方が身の為ではないか?と、本能が訴えてくる。眼前に迫ってくるアルネイズへの純粋な恐怖で脚が凍りついたように動かない。――ならば、あの巨体を受け止めるしかない。

 あれはアルネイズだ。例え何とか流奥義継承者、いや、あらゆる強者を地に沈めてきた歴戦の覇者にしか見えなくても、あれは可愛い義妹のアルネイズ。ヴェルザは義姉として、彼女を全力で受け止める覚悟を決めた。その理屈は、ヴェルザ本人もよく分かっていない。


「アルネ――」

「おぉねえざまあぁぁあああぁぁあっ!!!」


 山の主たりえる野生の猪に激突されたかのような強烈な衝撃がヴェルザの全身を襲う。吹っ飛ばされるかとヴェルザは危惧したが、その前にアルネイズの腕が彼女の背中に回り、拘束されると同時に体を宙に持ち上げられ、更にはアルネイズの石頭がヴェルザの顎を強打して、彼女の視界は一瞬、暗転した。


(……私、生きているのかな?)


 未開の地にいるという大蛇に巻き付かれて締め上げられる感覚とは、こんな感じなのだろうか。血流が滞り、体のあちこちに痺れを感じるが、なんとか指先は動かせている感覚がある。ならば、自分は生存しているのだろう。ヴェルザは変な方向に冷静だった。


「おねえざまあっ、おがえりなざいぃぃぃぃっ」

「た、只今っ、戻りましたっ!久方ぶりですね、アルネイズ。貴女の顔が見たいので、一度離れて……ぐえぇっ」

「ぬおぉぉぉぉおぉんっ!!!」


 嗚咽というよりは雄叫びを上げているアルネイズは錯乱しているのか、ヴェルザの声が耳に届いていないようで、ヴェルザを締め上げる力を益々強くしていく。

 ――嗚呼、このままでは全身の骨が粉々に砕けて、窒息死まっしぐら……。

 唯一自由な首を動かして、ヴェルザは隣にいるヘルギに目で訴える。助ケテクダサイ、死ニマス、マジデ。

 安全な所に避難しているヘルギは口元を掌で覆い、小刻みに震えている。目の前の光景が面白すぎて堪らない、と、目が語っている。


(助ける気がさらさらありませんね、義兄君……死んだら義兄君を呪いますからね……ふふふ……)


 一頻り楽しんだヘルギが助け舟を出してくれたのは、ヴェルザの意識が遠のき始めた頃だった。

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