5. 心の準備とダンダラココと粉とんとん

 あ……すみません、続けます。


 おほん。


 ユエさんは朗らかでしたが私はどぎまぎしてました。雨宿りしようと入った家にユエさんがいて、日は暮れてて、二人きりです。私にも心の準備が必要でしたが「早くこっちあがっておいでよ」とユエさんはその暇をくれません。


 高床の中二階なんて普通は寝床ぐらいしかありませんから、私は期待半分、緊張半分で急なきざはしを登ります。大目に見てやってください、若かったのです。

 中二階では、むしろを重ねた寝床の上にユエさんが化粧道具のようなものを広げてまして、恐ろしいことを言いました。

「気をつけろって言ったのに。わたしがいなかったら、朝にはこの世とさよならしてたよ。ほら、座って」

 そして、ユエさんはぬかぶくろのような道具を手に取りました。同時に、どおおおお、としゅうが屋根を叩きます。


「ダンダラココ。家オバケ。わたしたちはそのお腹の中にいます。このモノの怪のいいところは、ぼうほうぶん、虫の類が中にいないこと。どんな大雨でも雨漏りしないこと。洪水でも流されないこと。行燈あんどんっぽい明かりが夜通しついてること」

「すごいですね、住みたい」

「ね。で、悪いところは、まぁ、モノの怪だしね。中に入った人を食べることです。そうならないように、今からきみに粉をはたきます」


 いささかかしこまった感じでユエさんが言いましたので「わかりました。お願いします」と私も居住まいを正しました。ユエさんの右手にはぬかぶくろあらため粉袋、左手は床について乗り出した身を支えます。


 両の瞳が近いです。薄暗い所なので、猫の瞳も丸く開いています。一年ぶりにうわーっ、となりまして「近づきすぎだと思うんですよね」と言いましたら「目ぇ閉じて。粉が入るよ」と返されましたので、従います。おでこに粉袋をとんとんされました。

「変わった匂いしますね。肉桂クェエ? 丁香ディングォン? ちがうか……」

「いろいろだね。この匂いでダンダラココを誤魔化して、朝までぐっすり」


「モンチャンには何もしなくていいんですか?」両の瞼にとんとん。

「モンチャン耳長馬みみながうまだから平気」両の耳たぶにとんとん

「ユエさん、いつもモノの怪の腹ん中で寝るんですか?」鼻の頭にとんとん。

「まさか。ダンダラココは季節モノだよ。今日は運がよかった」顎の先にとんとん。

「あの、ユエさん」

「なに?」


「私と暮らしませんか?」



 

「──はい、おしまい」

 おしまい、が、粉はたきの事なのか、この話題のことなのか、それとも私との関わりの事なのか、わからないまま目を開けました。ユエさんは怒ったような、悲しんでいるような、そんな表情をしていて、この時だけはとても頼りなく見えました。


 雨と心臓の音ばかり聞こえていたのを覚えています。


 頼りなさげにユエさんが私から目をそらし、目を泳がせ、ぎゅっと目をつぶり、再びその両目を開いた時には、力の抜けた、呆れたような笑みが浮かんでいまして、こう言われました。


「きみは、急に、そういうこと言うよね」

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